見知らぬ色彩

 マナ石三つと、呪術の媒介に使えそうな蒐集品をひとつ。……ベリルがミスラとの交渉において差し出したものだ。加えて賢者の口添えがあってなんとかミスラに空間を繋げさせることに成功し、ベリルは行きより遥かに速く快適に谷底の町まで帰ってくることができた。
 夜というにはまだ早い時間だが、あたりはすでに薄暗い。嶮しい谷にあるこの町は、一年を通して日の当たる時間が短いのだ。悪天候の日にはさらに短くなる。
 ベリルはのっそりついてきたミスラに対価を引き渡した後、マナ石を検分するミスラを無視して暖炉に火を入れた。火の起こる音に重ねて、背後から「まあまあですね」とやや不満げな声がする。

「もっと良いやつがあるでしょう?」
「一番良いのをやるとは一言も言ってない」
「はあ?」
「でも、一番大きいのはそれ。あんたは今、ほんのちょっと空間を繋いだだけで私のとっておきのマナ石を三つも手に入れたってわけ。ボロ儲けでしょ。何が不満?」
「とっておきなんですか、これ」
「そう。物足りなく思えるのは、それだけあんたが強い魔法使いだからでしょうね。天下のミスラの魔力と比べたら、うちにあるマナ石なんて全部霞んで見えちゃう」

 ふぅん──そんな曖昧な音を最後に、静かになった。ベリルの詭弁に納得したのだろうか。振り返れば、気怠げな長身も空間を繋ぐ扉もすっかり消え去っている。
 なぜかついて来たブラッドリーだけが、ソファにどっかと腰を下ろしていた。

「……あんたは帰らないの? 賢者一行が調査を始めるのは、数日先になるって話だったと思うけど」

 それは、別れ際に賢者と双子が口にしていたことだった。ミスラとオーエンの説得に、サポートをする魔法使いたちの選出と相談。諸々の準備にはどれだけ急いでも一週間近くかかる。だからその間はベリルのほうで注意深く町の様子を見ていてほしい──と、そういうふうに話がまとまったはずである。
「そうだな」と首肯したブラッドリーに、ベリルは目を眇めた。「なんのつもり?」

「ベリル、おまえ……しおらしく見せちゃいるが、腹ん中はそうじゃねえだろ」

 ブラッドリーはにやりと口の端をつりあげた。

「ほかの魔法使いたちに干渉されるなんざ本当はごめんだろ? それも北の魔法使いなんて、論外だ。ミスラとオーエンがまともな集団行動を取れるわけがねえ。異変を解決する前におまえの箱庭をめちゃくちゃにするに決まってる。だからおまえは、できることなら賢者一行が到着する前になんとかカタをつけたい。違うか?」

 ベリルは答えなかったが、ブラッドリーはその沈黙を肯定と取ったらしかった。妙に満足げに頷いて、言葉を継ぐ。

「『心当たり』があるっつーフィガロの見立てが正しいなら、今おまえに足りないのは魔力だけだ。──それを、俺様が補ってやる」

 暖炉の火が大きく爆ぜる音だけが部屋に響いた。
 ブラッドリーが何を考えているのか、ベリルにはわからなかった。はっきりしているのは、それが北の魔法使いらしからぬ発言だということだけ。何か裏があるに違いない──だとしても、これほど魔力がある魔法使いが、裏をかくようなまどろっこしいことをするものだろうか?
 ベリルが胡乱げな目を向けるのも構わず、ブラッドリーは「手始めに酒でも飲もうぜ」と続ける。

「預けたワイン、まだ残ってるだろうな?」
 
 言うが早いか立ち上がり部屋を出て行こうとするので──しかもその足は真っ直ぐワインセラーの方へ向いている──ベリルは慌てて声を上げた。「勝手に話を進めるな」

「私に手を貸して、あんたになんの利益があるわけ?」
「あ? 恩赦だよ、恩赦」
「恩赦? ……え、あんた囚人なの?」
「……そういやそれも忘れてんのか……」

 その顔には、どうも『言わなきゃよかった』と書いてあるように見える。
 ベリルはブラッドリーの先の発言を思い返して、虜囚の身でよくもまあ堂々と『史上最強の盗賊団のボス』を名乗れたものだと思ったが、言葉にはしなかった。

「なるほどね、話が見えてきた。つまりあんたは今、社会奉仕活動がしたいんだ」
「腹立つ言い方しやがって」
「本当のことでしょう? 町の異変を解決できれば、賢者の魔法使いの役目のために励んだことになる。私や人間から証言も取れるし、私にでかい貸しを作れる──私が思っていたより、あんたにも利がある話だ」
「……まあな。納得したか?」
「それなりにね。案外まともな話だったから」
「案外?」
「まさかスノウ様とホワイト様の冗談を真に受けて調子に乗ったんじゃないだろうなって、少し考えた」
「はぁ? んなわけあるか。……ま、そんなに悪い気はしてねえけどな」

 ブラッドリーは軽い調子でそう言って、頭をかいた。

「大切だの愛しいだの、惚れた腫れたに限ったことじゃねえだろ。つーか、おまえが俺に気があったってんならとっくに気づいてるし、もしそうならおまえだって俺の記憶に保護魔法をかけておいたはずだ。お互い、馬鹿じゃねえからな」

 呆れたような声色だが、それは決して嘲るようなものではなく、冷ややかなものでもなかった。むしろどこか親しみさえ感じられる。
 ──いったい、こいつは自分にとってどんな存在だったのだろう。
 ここにきてようやくベリルは、ブラッドリーと自分の関係に思いを巡らせた。家族ではない。恋人……でもないだろう。今のところ、こうして向き合っていてもブラッドリーの瞳にそういう熱は感じられない。それに何より、家族や恋人ならばブラッドリーははっきりとそう言うに違いないし、ブラッドリーが先に指摘したとおり、過去のベリルが記憶に保護魔法をかけている。
 忘れたくない大切な記憶は、魔法で守らなければならない。そうしなければならない理由がこの町にはあることを、ベリルは誰より知っている。
 ──知っていた、はずだ。

「……馬鹿なのかもしれない」

 思わず口を突いて出たのは、そんな言葉だった。
 自分もブラッドリーも、『ベリル』を買い被りすぎているのではないか。不完全な記憶に不安定な心、この町の現状──それこそが、己の愚かさの証明なのではないのか?

「馬鹿だったから、見誤ったのかもしれない」

 本当に大切なものを見落としたか、あるいは大切だと知りながらなおざりにしたか。
 目を伏せるベリルに、「かもな」と静かな肯定が落ちてくる。「忘れちまってるのは事実だしな。ただ、」

「大切だとわかってるもんを蔑ろにするような馬鹿じゃねえよ、おまえは。そこだけは安心しとけ」
「……随分知ったような口を聞くね」
「知ったような、じゃなくて知ってんだよ」

 俺は覚えてるからな──ブラッドリーはそう言うと、雑にベリルの前髪をかき回した。花というには烈しく血潮というには甘やかな色をした瞳は、確かな自信をたたえている。

「つーわけで、まずは酒だ」

 ワイン、ワインと鼻歌交じりにブラッドリーがコートを翻し、ベリルは小さく溜息をついた。何が『つーわけで』だ。ただ飲みたいだけじゃないのか。
 乱れた前髪を手櫛で整え──ふと、己の爪先に目が留まった。鮮やかに彩られた爪。いつからこうして色を乗せるようになったのか、はっきりとしない。それでも、魔道具を使えない今はこの指先だけが頼りだから、祈るような気持ちでずっと色を乗せ続けている。
 その色は、花より烈しく血よりは甘い。つい先ほど見上げた色とまるで同じだった。

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