他愛ない特別

 宝石を、貰った。
 甘やかなワインレッドに輝く、小さな石。

 ローズベリルだと言われたそれを氷で拵えた小箱に入れ、もちろん保護魔法もかけ、一旦部屋の棚に飾っておくことにして──数日経った。未だベリルの荷物よりも前の住人の荷物のほうが多いこの部屋に、新たに増えたベリルの所有物。半透明な器の真ん中で存在を主張するワインレッドの石は、まるで小さな心臓のようだ。
 傷があろうと美しいこの石を、こうしてただの置物にしてしまうのは勿体ないと思う。……思うのだが、いったいどうしたものか。
 ベリルは氷ごしのワインレッドを見つめて溜息をついた。
 宝石を受け取ること自体は初めてではなかった。どういうつもりだったのかは知らないが、ブラッドリーは過去にも幾度かベリルに宝石を寄越した。目を見張るような宝飾品を渡されたこともある。それに加え、人間や格下の魔法使いが貢物や対価として宝飾品を持ってくることもあったから、すべて合わせればそれなりの数になるはずだ。
 心惹かれず思い入れもない宝石や宝飾品は、いくつもあっても嵩張るばかりで正直困る。未練もないので、そういうものはさっさと売り払った。金に換えてしまうほうが使い途が増えて都合がよかった。町の修繕やら何やらの費用に充てるもよし、人間たちへの駄賃にするもよし。いくつ売り払ったかは覚えていない。呪われているものや媒介として使えそうなものは保管しておいたが、管理が面倒になればチレッタやミスラに譲った。いくつ譲ったかは、やはり覚えていない。
「淡白だよねぇ」と、チレッタはよく揶揄って笑った。「だからこそ余計に、ベリルが気に入って大事にしてるそれとかそれとか、誰からどういう経緯で貰ったのか気になるんだよね」
 “それ”というのは、たとえばホワイトベリルのブローチ、エメラルドの指輪にアクアマリンの髪飾り、ヘリオドールのペンダント──等々。
 ホワイトベリルのブローチは、師匠に貰った宝石をチレッタが紹介してくれた職人に依頼してブローチにしたもので、その頃から髪飾りとしてもよく身につけていた。ベリルがこの魔法舎に持ってきた数少ない荷物のひとつでもある。
 置いてきたほかの宝飾品も、確かにチレッタに言われたとおり気に入っていた品ではあって──悔しいことに、どれもブラッドリーが寄越したものだ。最初から装身具のかたちをしていたものもあれば、目の前のローズベリルのように宝石だけを渡されて、後に職人の手によって装身具に変わったものもある。
 ──別に、深い理由があるわけではなくて。
 チレッタにはそう弁明した。結果的に、ブラッドリーに寄越されたものはすべて売りも譲りもせずに残っているが、深い理由はあってのことではない。さすが大盗賊団の首領とでもいうべきか、ブラッドリーは相当な目利きなのだ。あの男が気まぐれを起こして気軽な言葉とともに渡してくる宝飾品は、素人目にも上等だとわかる逸品ばかり。いつも、琴線に触れるような輝きがあった。手放すことも仕舞い込むことも惜しいと、ベリルが思ってしまうくらいには。
 どうせブラッドリーのほうにも深い理由があったわけではないだろう。長い付き合いの中で、ブラッドリーは様々なものをベリル邸に持ち込んでは置いていった。贈り物でも貢物でもない、ブラッドリーの荷物。酒やダーツがいい例だ。盗品の隠し場所の一つにされていた節もあるし、そう考えると、たまに渡される宝飾品は賄賂のつもりだったのかもしれない。
 賄賂をいつまでも大事にしていると思われては癪だが、心惹かれてしまったからにはしかたがない。今 手元にあるローズベリルにしてもそうだ。この小さな宝石をブラッドリーがどういうつもりで寄越したかはさておき、これを手放したり仕舞い込んだりする選択肢は、最早ベリルの中に存在していない。
 それはそれでやっぱり少し癪だけれど──ともかく、この宝石を加工するなら。

「指輪か耳飾りかな……」

 ここは終の住処でもなければ隠れ家や別邸などでもない、いつ離れるともわからない場所だ。置いていきたくないものは、肌身離さず持っているほうがいいのだとベリルはよく知っている。
 しかし、自分で宝石を加工する技量はないし伝手もない。ベリルが知っている職人は昔チレッタに紹介された西の魔法使いだけで、その魔法使いも百年ほど前に石になったと聞いた。腕のいい職人だったが弟子はいなかったそうだから、もうまったくあてがない。
 小さなローズベリルをポケットに仕舞って持ち歩くことは簡単だ。ただ、勿体ない。そんなふうに仕舞い込んで、時々取り出して眺めるような、そういう愛で方は何か違う気がする。この宝石には相応しくないような気がしてしまうのだ。
 ベリルは一人呻いた。思考が堂々巡りに陥っている。少しも前進していない。
 やがてこうしていること自体が心底馬鹿馬鹿しく思えてきて、ベリルは氷に閉じ込めたままのローズベリルを手に取った。


* * *


 今日の魔法舎は人が多い。南の国での任務にあたっていた魔法使いたちが無事異変を解決し、昨夜帰ってきたばかりだからだ。普段よりもやや長めの任務だったこともあり、今日一日を休養にあてようという者が多いらしい。
 昨日まではひっそりしていた中庭からも、今日は賑やかな声が廊下まで届いている。ルチルとクロエの弾む声、それに、賢者とヒースクリフの笑い声。話しているのは主にルチルとクロエのようだが、和気藹々とした雰囲気が遠目にもわかる。
 不意にルチルがこちらを向いた。窓越しに目が合うと、ルチルは笑顔をよりいっそう深くして大きく手を振る。小さく手を振り返せば、ルチルのそれは手招きに変わった。
 南の若造が北の魔女を手招きひとつで呼びつけようなんて、随分度胸がある。もっともルチルはただ何も気にしていないだけだろうし、大魔女チレッタの息子らしい豪胆さ──というよりは、北も南も魔力の強さもルチルにとっては些事なのだろう。北だとか南だとか、あるいは自分より強いだとか弱いだとか、ルチルが気にしている素振りを見せたことは一度もない。どうやらルチルがそういう尺度を持たない子らしいということは、短い付き合いの中でも早々に察しがついている。
 したがってここで目を向けるべきは、そんな若造に手を振られて素直に手を振り返した自分の腑抜け具合なのだ。ベリルはひっそりと苦笑した。無視して立ち去ってもよかったのに、それをしなかった。できなかった。あの笑顔を目にすると、ついつい甘くなってしまう。
 ルチルの視線を辿ってベリルに気がついた他の三人は、三者三様の反応を見せている。素朴な笑顔を浮かべる賢者、そわそわするクロエ、会釈をするヒースクリフ。知り合った当初はベリルのことを恐れているようだったヒースクリフも、任務を共にしてからは随分慣れた様子だ。
 四人のいる中庭まで行くと、ルチルを筆頭に朗らかな挨拶が飛んでくる。「ちょうどベリルさんのことを話していたんです」と続くものだから、ベリルは首を捻った。

「私の?」
「この前、東の国での任務にベリルさんもご一緒したんでしょう?」

 村全体に奇妙な霜が降り、何日経っても消えない──そんな異変に見舞われた『木陰の村』へ赴いたときの話だろう。
 あの任務以降、双子は何かとベリルを呼びつけるようになった。なかなか揃わない北の魔法使いたちの数合わせにちょうどいいと考えているらしく、それを隠そうともしない。つい先日も「くしゃみで消えたブラッドリーの代わりに」と、北の魔法使いにあてがわれた任務に連行されたばかりだ。

「スノウ様とホワイト様が言ってたんだ。これからはベリル様が任務に同行することが増えるって」
「それで、次はどの任務に参加されるのかなってみんなで話していたんです。私、今回の任務に一緒に行けなかったこと、ちょっぴり残念だったんですよ」

 ルチルはそう言って、拗ねたふりをして見せる。いつだったかチレッタも似たようなことをしていたのを思い出しながら、ベリルは笑った。

「だって、『咳をすると体が発光してしまう病の調査』でしょ? 私が行ってもしかたないし、それに、フィガロが行くっていうから」

 いくらルチルが可愛くとも、フィガロと一緒に行動するなんて冗談ではない。昔からあの男に良い印象は持っていないが、魔法舎でのフィガロの振る舞い──特に子どもたちの前での言動を見ていると、薄気味悪くて寒気がするようだった。ブラッドリーとの晩酌でも幾度か話題に上がったほどである。
 ベリルの胸中など知らないルチルは、「そんなこと言わないでください」とベリルの顔を覗き込んだ。

「フィガロ先生はたしかに一番の適任でしたけど、ベリルさんが行ってもしかたないなんてことはありませんよ。フィガロ先生だって、ベリルさんも来てくれたらよかったのにって言ってました。もしかしたら、似たような症例を見たことがあったんじゃないかって」
「フィガロのやつ、適当言ったな……」

 似たような症例なんぞベリルは知らない。過去に谷底の町の周辺で流行ったという話も耳にした覚えがない。仮に知っていたとしても、ベリルが知っている程度のことはフィガロだって知っているだろう。よもや「ベリルも来てくれたらよかったのに」なんて、あの男が言うはずがない。本当に言ったのであれば、ただ子どもたちに口を合わせただけか、何か裏があるかのどちらかだ。
 眉をひそめて首を横に振れば、ルチルは寂しそうな顔をした。

「適当だなんて。魔法舎に依頼が届くのはそれだけ大変な目にあっている方がいるということですし、危険な任務もありますから、安易に『嬉しい』とは言えませんけど……ベリルさんが一緒に任務に行ってくださることは、私たちにとって特別で頼もしいことなんですよ。ベリルさんとの思い出が増えることも、素敵だなって思います」
「『私たち』?」
「私と賢者様とクロエとヒース。それに、ミチルとフィガロ先生と──」

 最初に名前を挙げられた三人の顔を見ると、驚くことに賢者もクロエもうんうん頷いている。ヒースクリフでさえ、気恥ずかしそうにしてはいても否定はしない。
 彼らの素直さや人懐こさは彼らの美点であろうけれど、それを発揮する相手はもっと選んでもよいのではないか。

「アーサーもだよ! 東の魔法使いがベリル様と任務に行った話を聞いて、すっごく羨ましがってたもん」
「そういうアーサー様を見ているからか、リケもベリル様との任務を待ち遠しそうにしていましたよ」
「その前からアーサーは、なかなかベリルさんとお話しする時間が取れないと残念がっていましたもんね。どんな任務でも、ベリルさんが一緒ならいつも以上に張り切りそうです」

 三人の言葉になんと返したものか分からずに、ベリルは曖昧に笑った。可愛げのある若輩を邪険に扱うほど冷酷ではないつもりだが、可愛げがありすぎるのも困りものだ。特にアーサーには中央の国の王子という立場がある。三人の話が事実だとして、それが魔法舎の外にまで知れるような事態になれば、あの子にとって厄介なことになるのは想像に難くない。
 ──いや、それはあの子だけでなく、目の前の彼らもか。

「カインも、早くベリル様と任務に行ってみたいって言ってたな。一人で一つの町を守り抜いてきたベリル様が、どんなふうに戦うのか興味があるんだって」
「それ、レノさんも似たようなこと言ってた!」
「なんていうか、二人らしい視点ですよね」
「だよね! 俺はね、ベリル様とはまだお喋りもあんまりできてないから、任務をきっかけに仲良くなれたらいいなって思ってて。アーサーには、『任務じゃなくても、ベリル様は気軽にお喋りしてくださるよ』って言われたんだけど……」
「……まあ、お喋りくらいは」
「ほんと!? じゃあ、えっと、色々聞いてもいい!?」
「いいけど、その前に坊やたちに言っておきたいことがある」

 きょとんとした彼らに「ミスラのことはなんて呼んでる?」と尋ねると、質問の意図がわからないという顔をした。それはそうだろう、ベリル自身も脈絡がない質問だったとは思う。しかしベリルは、彼らから答えが返ってくる前に言葉を継いだ。

「ミスラに敬称をつけないなら、私にもいらない。ミスラと砕けた口調で話しているなら、私にも同じようにしてくれる?」
「えっと……それはどうしてですか?」
「そのほうが面倒事が少なく済みそうだから」

 ヒースクリフが察したように──それでいて困ったように──目を泳がせる。

「アーサー様にも同じことを?」
「次に会ったら言うつもり」
「……お考えはわかりました。でも、本当にいいんでしょうか? ミスラと同じとなると、ベリル様のことを呼び捨てることに……」
「良くなかったら言い出さない。それに、呼び方が変わったくらいで、おまえたちの心まで変わるわけでもないでしょう」

 ふと、師匠の言葉を思い出した。たくさんの名前を持ち、誰もに好きに呼ばせていたあの人は、こう話していた──「そこに私への真心があるなら、呼び名の違いなんて瑣末なことさ」
 まさか六百年近く経った今になって、しみじみ共感することがあろうとは。

「そう重く考えなくていいよ。真心込めて呼んでくれる坊やたちを、怒ったりはしないから」
「私、また『ベリルお姉さん』って呼んでもいいですか?」
「それはいいとは言ってあげられない。ミスラが拗ねて面倒」

「あ、だから『ミスラと同じ』なんですね」と賢者が苦笑した。その横でクロエも同じように苦笑を浮かべている。

「そういえばミスラ、自分のほうが若く見えるはずだって張り合ったんだっけ」
「うーん……それじゃ、二人きりのときに呼んじゃおうっと。それならいいですよね?」
「そんなときがあれば、ね」
「絶対ありますよ」

 ルチルは眩しいほど笑顔だ。
 もしもチレッタが北の国で結婚し、北の国で子育てをしていたなら、生まれた子どもはこういうふうには育たなかっただろう。ふいにそんな感想が湧き上がり、ベリルは目を細めた。南の国の魔法使いには魔法舎に来るまで会ったこともなかったが、ルチルはまさに南の魔法使いらしい魔法使いであるに違いない。
 吹けば飛ぶ粉雪のごとく胸を掠めた寂しさに、ベリルは気づかないふりをした。これは、今ここで向き合う必要のないものだ。

「……それで? なんだっけ、お喋りをするんだった?」
「あっ、うん! 今じゃなくてもいいんだけどね!? ベリル様の……じゃなかった、ベリルの時間がいっぱいあるときで……!」
「……腰を据えて、込み入った話でもしたいの?」
「ううん、そうじゃないんだけど……ただ、気軽にお喋りしていいんだって思ったら、何から話せばいいのかわからなくなっちゃった……」

 えへへ、とクロエは照れ笑いをする。北の国にはいないタイプであるのは間違いないが、西の国のほかの魔法使いたちとも少しタイプが違う。ベリルは随分昔の町の子どもたちのことを思い出しながら、できるだけ柔らかい声色で話しかけた。

「好きなときに、なんでも自由に話せばいいんじゃない? 私も自由に答えたり、答えなかったりするから」
「そ、そう? じゃあ、そうしようかな……あっでもやっぱり今いくつか訊いてもいい?」
「どうぞ」
「ありがとう! えっとね、ベリルはどんな服が好き? やっぱり今着ているような系統の服?」
「うーん……まぁそうだね。然程こだわりがあるわけでもないけど」
「そうなんだ。ちなみに今の服を選んだときに重視したのは、見た目? 着心地? 動きやすさ?」
「しいて言えば、着心地……?」

 それを訊いていったいどうしようというのか。ベリルは戸惑ったが、クロエは興味津々だった。丸い瞳をきらきらと輝かせながら、ベリルの答えを噛み締めているように見えた。

「そっか、着心地かあ。たしかに気になるよね、窮屈な服じゃ息が詰まっちゃうもん。……ええと、ところで、たまには普段と違う雰囲気の服も着てみたいって思ったりする?」

 いよいよベリルが当惑したのを見てとってか、クロエは「あのね!」と熱のこもった声をあげる。

「俺、よくみんなの服を作らせてもらってるんだ。すっごく楽しいしやりがいもあるんだけど、今の賢者の魔法使いって男の人ばかりでしょ? 俺はいつか自分の店を持ちたいから、できれば女の人の服も色々作ってみたくて……だから、その……もしよかったら、ベリルの服を作らせてもらえないかな」

 胸の前で両手をぎゅっと握ったクロエは、まるで一世一代の告白でもしているかのように頬を染め、真剣な面持ちでベリルの返事を待っている。
 ベリルが面食らっていると、他の三人が後押しと言わんばかりに口を開いた。「クロエの服はいつもとても素敵なんです。どれも着る人のことを考えて作られていて……」「クロエの優しさとこだわりが伝わってくるというか」「クロエは作ってくれた服は全部私のお気に入りで」──次から次へと出てくる率直な褒め言葉。クロエが嬉しそうに破顔し、さらに頬を染める。
 それは純真で実直な子どもたちの、絵に描いたように微笑ましい光景だった。ベリルには縁遠い、生ぬるく擽ったいもの。そしてかすかに、どこか懐かしいもの。
 決して厭わしくはないが、うっかり浸ってしまえば自分が自分でなくなってしまいそうな、そんな気配を肌に感じる。たとえばアーサーと共にいるオズが、春空のごとく穏やかであったように。
 ──なんていうのは、さすがに発想が飛躍しすぎているだろうな。
 ベリルは息だけで笑った。吐息が目には見えない膜を張り、彼らと自分を隔てるイメージが脳裏をよぎる。

「……つまりクロエは、新進気鋭の仕立て屋くんってことね。その仕立て屋くんが、私の服を作りたい、と」
「う、うん……どうかな」
「いいよ、断る理由が見当たらない」
「本当!? やったー!」

 ぴょんと飛び跳ねて全身で喜ぶクロエに、三人が口々によかったねと声をかけている。谷底の町にもこんな子どもたちがいた時代があったな、と妙な感慨がわいた。

「俺、ベリルに気に入ってもらえるように頑張るから! 何か要望があったらいつでも言ってね!」
「ありがとう。でも要望なんて言われても、特には──」

 心配せずともクロエは真心のこもったものを用意してくれそうだし、そういうものに文句があるはずもない。喜びやら熱意やらで自身の髪と同じくらい紅潮しているクロエにそう伝えようとしたとき、不意にポケットの中の宝石を思い出した。
 そのうち指輪か耳飾りになるだろう、小さなローズベリル。

「──それじゃ、ひとつだけ」
「なになに?」
「この石に合う服だと嬉しい」

 ベリルが手のひらに載せた石を、クロエは目を丸くして見つめた。

「わぁ、宝石? 綺麗……。手に取って見てもいい?」
「どうぞ」
「……宝石には詳しくないんだけど、惹きつけられる宝石だね。小さいのに存在感があるっていうか」

 気づけば他の三人の視線もクロエの手元に注がれている。

「あ、でもここ、傷が……」
「あぁ、それはいいの。初めからそうだったから」
「そっか。この石に合う服、ってことは、アクセサリーにするの?」
「そのつもり。まだ具体的には決まってないけどね。伝手がないから、いつになるかもわからない」

 陽射しを受けてきらめいたローズベリルは、ベリルの部屋にぽつんと置かれているときよりもよほど美しく見えた。やはり置物にするには勿体ないと改めて思う。
 顔の広そうなシャイロックに、職人の一人か二人でも紹介してもらえればいいのだが──。
 ベリルがそんなことを考えていると、急にルチルが表情を変え、クロエに耳打ちをした。ヒースクリフと賢者のことも手招きし、同じように耳元に口を寄せる。四人は表情をころころと変えながら何やら相談を始めた。
 ヒースクリフが戸惑っている──そう感じたのも束の間、案外すぐに話がまとまったらしい。

「もしベリルが嫌じゃなかったら」とクロエが口を開いた。「その宝石を使ったアクセサリー、俺たちに作らせてもらえない?」

 思いもよらない提案にベリルは目を丸くした。見つめ返したクロエの瞳は、緊張と決意が入り混じって熱がこもっている。
 さらに聞けば、クロエを中心に四人でデザインを考え、ヒースクリフが加工するというプランのようだ。ヒースクリフの腕の良さをすでに目の当たりにしている身として、悪くない提案に思える。
 ベリルは少し考えて首を縦に振った。途端に子どもたちが嬉しそうな顔をするのが、微笑ましいのと同時に奇妙でもあった。彼らは受け取る側ではなく、差し出す側だろうに。
 壊れ物を扱うような慎重な手つきで宝石をベリルに返したクロエは、早くも楽しげでさえある。無意識に不思議そうな顔でもしてしまったのか、ルチルが笑みを浮かべたまま、言い聞かせるように言った。

「私──いえ、私たちは、今とっても嬉しいんです。こうしてベリルさんとお喋りできていることも、私たちがこれからベリルさんに贈り物をできることも。全部大切な思い出になりますから」
「感激屋だね。他愛ないお喋りしかしてないのに」
「好きな人とすることだったら、どんなに何気ないことも特別になるんですよ?」
「……それは……そうかも」

 ルチルの言葉は星火のように胸に落ちた。身に染みて実感できるというよりも、覚えがないわけでもないという程度のものだが、ともかく理解できる感覚ではある。とはいえ自分が彼らにとってそういう存在であるらしいことには、ただただ驚くばかりだ。

「本当に俺が加工を任せてもらっていいのかな。緊張してきた……」
「自信持って、ヒース!」
「ヒースなら大丈夫です!」
「みんなでとびきりの服とアクセサリーを作ろうね! どんなデザインがいいかな? 特別な日に身につけるような華やかなデザインも良いけど、宝石自体が小ぶりだし普段使いできるようなデザインも良いよね」
「どっちにするかで服の方向性も変わってくるよね?」
「そうなんだよね。悩む〜! ねえベリル、どっちがいい?」
「任せるよ。でもどちらかといえば、普段使いできるほうが助かるかな」

 投げかけられる弾んだ声と輝く表情に、ベリルの返答も自然と柔らかくなる。
 ……ブラッドリーが居合わせていなくてよかった。聞かれていたらきっと、揶揄われたに違いない。


 それから数日──一週間も経たぬうちに、ベリルはクロエから服を、ヒースクリフから耳飾りを受け取った。まさかこんなに早く出来上がるとは思いもよらず、しかもその出来栄えの素晴らしさときたら筆舌に尽くしがたい。
 報酬は四人全員に固辞され、代わりとして、贈られた服と耳飾りを身につけて彼らと出掛けることになったりしたのだが──それはまた、別の話だ。


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