ある魔法使いの独白

◎ほとんど夢主師匠が喋ってるだけ



 こんばんは、シャイロック。おや、どうしたんだい。まさか、驚いている? きみらしくもない……え? 私の姿が前々回会ったときと同じ? そうだったかな……いや、言われてみればそうかもしれない。この目線できみと話をしたことが、以前にもあるような気がしてきた。近頃どうにも忘れっぽくて……まあいいか、きみが覚えていてくれたから。
 さて、それじゃ、いつものやつを貰えるかい。
 今日は少しきみに聞いてほしい話があって……なに、聞いてくれるだけでいい。というより、最初と最後さえ聞いてくれたなら、残りは聞き流してくれても構わない。本当さ。私はただ、なんというか……そう、懺悔のようなことをしたいんだ。
 ……はは、知っているとも、きみが神でも聖職者でもないことくらい。それでも、私はきみに聞いてほしい。嗤わずに聞いてくれるような知り合いが、きみしか思い浮かばなかったものだから。
 いい、いい、人払いなんて。どうせ誰も聞いちゃいないだろうさ。仮に聞いていたって、すぐに忘れる。酒場でたまたま居合わせたやつの身の上話なんて、そんなものだろう。
 それで……本題に入るけれど。
 私はね、きっと、もう長くない。近いうちに石になる。……だから、懺悔を……、……いやいや、これでもよくもったほうでね。予感がし始めた頃にちょうどベリルに出会って──だからこそ弟子にしたわけなのだけれど──正直、あの子が大人になるまでもたないだろうと、腹を括っていたくらいなんだ。それがどうだい、きみの店でベリルの成人祝いをできた! はは、あの夜の酒は人生で一番美味しかったな。……ああ、本当に良い夜だった。
 ……話を戻そうか、ここからしばらくは、興味がなければ聞き飛ばしてくれて構わないよ。そう、私の懺悔というやつ。
 どこから話せばいいだろう……ベリルに関することだ。
 ベリルは、私の愛弟子はね、……可愛いんだ。北の魔法使いが何を言っているのかと思うだろうね。冗談のように聞こえるかもしれないけれど、本心さ。
 あの子は魔力が強くて物覚えがいいだけじゃあなくて、直向きで素直で、情が深い。私の生涯ただ一人の弟子、自慢の弟子。それでいて娘のような……あるいは半身のような、そういう、とくべつな子。いつの間にこんなに入れ込んでしまったのだか、自分でも不思議なくらいだ。
 本当に、笑えるくらい今の私は『らしくない』んだ。ひょっとすると頻繁に西の国を訪れすぎて、西にかぶれてしまったのかもしれない……なんてね。冗談。きみにだから話すのだけれど、もともと、私は北の国にさほど馴染めていなかったと思うんだ。間違いなくあの凍土に生まれたのに、自分がよそ者であるかのように感じることがあって……おそらく、だからこそ私は、彼方此方を転々とするに至ったのだろうよ。
 それなのに、ねえ、シャイロック。私、あの子の前では見栄を張って、いかにも古い北の魔法使いを気取ってしまうんだ。ますます笑えるだろう? あの子の前での私は、気まぐれで尊大で、自由で強大な古い大魔法使いなんだ。本当の私は、ただ無為に長く生きただけの、仕様もない魔法使いだってのに。
 あの子は純真に私を慕ってくれている。虚飾に塗れた私を、あの子は信じている……。
 私が頻繁に姿を変える理由だって、あの子は知らないんだ。きみは知っているのにね。というより、知っているのはきみだけだ。……光栄? ああそう……たとえ世辞でも、きみに言われると少し嬉しくなってしまうから困る。
 シャイロック。いつかあの子が私のことを尋ねても、私の情けない本性を教えないでくれないかい。約束しろとまでは言わない。これはただ、狡い北の魔法使いが開き直って、みっともなくおねだりをしているだけ。それくらい、あの子に失望されたくない。嫌われたくないんだ。
 実はね、私がこうして姿を変えることも、あの子はただの気まぐれだと……単なる趣味だと思っている。もちろんその認識も間違いというわけでもないのだけれど、正しいとも言えない……、本当は、死に別れた者の面影を必死に繋ぎ止めようとしているだけだ。そんな理由、あの子はきっと想像もしていなだろう。
 でも、それでいいんだ。私が死者の顔を引っ提げて生きていることなんか、あの子は知らなくていい。私が、私の取りこぼした命にいつまでも囚われていることも、何も……。
 ……ああ、シャイロック、お願いだ。どうか何も、何も言わないで。
 あの子は本当に直向きで素直で、物覚えも良くて、情が深いんだ。だから……。……、……うん、うん。そうだね、きみの言うとおりだろう。あの子なら……。私が私を偽っていたと知っても、あの子ならその情の深さで私を許すのかもしれない。……そのほかに、私に瑕瑾がなければね。
 ……そう、駄目なんだ。きみが思うよりも、私はあの子の心を踏み躙っている。
 ……私が思うに、あの子はきっと、北の国に来るべきではなかったんだ。北の国で生きるには直向きすぎた。情を、知りすぎていた。
 どういうことかって? 驚いた、きみ、最後までちゃんと聴いてくれるつもりなのだね。
 そうだな……最初は、あの子の母親が病で死んだときだった。次は、父親が死んだとき。それから、あの谷底に人間が集まり始めて最初にできた友人が死んだときと……、……ほかにもあった気がするけれど、いつだったろうね。とにかく私は──あの子から、一度や二度ならず感情を奪った。
 ……ああ、奪ったのさ。軽蔑するかい? どれほどあの子を傷つけ苦しめる感情だとしても、悲しみも痛みも後悔も、伴う苦しみまですべてあの子のものだものな。……それがわかっていながら、私は密かに手を出して……抹消した。
 でもきっと、私がそうしていなければあの子の心は今頃──……いや、言い訳を重ねるべきではないね。私は今、過ちの告白をしているのだから。
 本当にベリルのことを想うなら、あの子の心に手を出すべきじゃあなかった。あんなことをしてはいけなかったんだ。
 強すぎる感情を消せば、関連する記憶も曖昧になる。ベリルは自分がどれほど両親を大切に思っていたかを、もう二度と、本当の意味で思い出すことないだろう。……ああ、流れゆく時間がそうさせることは往々にしてある。だからあの子も、『時間のせい』だと思っているはずだ。私のことなど疑いもせず。……私は悉く、あの子の心を裏切っているわけだね。
 懺悔、とは言ったけれど。
 どうせ裏切っているのならこのまま、あの子には何も知らせないままで、石になりたいとも思う。
 それでいて、真実と──私という魔法使いの愚かしさを、誰かに知ってほしいような、そんな気もするんだ。……そう、それで、もしも誰かにこの話をするのなら、その相手はきみがいいなと思って。
 ……聴いてくれてありがとう。
 ああ、もういっそ、全部話してしまおうか。私が石になるまでにあと何度ここに来られるのかわからないけれど、来る度一つ、ベリルの話をしてもいいかい。あの子自身も知らないあの子の身の上話だとか、あの子の親が私に託した話だとか……私の魂と共に失われるだろう昔話をさ。
 いつかあの子が自分のルーツを知りたくなったとき、知る術がないのは……、ちょっときみ、今笑った? 何か笑うようなこと……ええ? そんなにいつもベリルの話ばかりしていたかな……、……、言われてみれば、していたかも……?
 はは、じゃあ、今夜はこれくらいにしておくとしよう。次の機会が……あるといいのだけれど。
 そうだ、忘れるところだった。これを。こっちが今日の迷惑料で、こっちは前払い。そう、前払いだ。いつかベリルが愛を見定めてあの谷を出て、きみの店を訪れたときのための。
 きっと来るよ。ベリルは「愛せる子」だし、「愛される子」だもの。だから、必ずいつかあの谷底を出る。そうして、きみの店を思い出すだろう。何せきみとこの店は、私のお気に入りなのだからね。
 それでもしもそのとき、友人だとか恋人だとか……あるいはそういう、あの子の気に入った誰かと一緒だったら……そいつにも一杯、私の奢りで。もしもそいつがあの子を愛してくれているのなら、もう一杯。私からの祝福と感謝を込めて。
 ああ、でも、チレッタは例外にしておくれ。彼女のことは嫌いではないけれど……それとこれとは話が違う。たとえ二人が相思相愛になっても、チレッタの分は絶対に奢ってやらないと決めているんだ。ベリルをチレッタに取られるなんて、想像しただけでなんというか……その……妬いてしまう。まあ、ベリルが選ぶのはチレッタではないだろうさ。チレッタもベリルを可愛がりこそすれ、唯一には選ばないだろうし。
 ……はあ。いったいどんなやつなのだろうね、ベリルが選ぶのは。ねえ、シャイロック、私の代わりに見届けておくれ。……お願いが多い? 悪いね、余命僅かと思うとあれもこれも湧いて出て、際限がないらしい。でもきみ、おねだりされるのは嫌いじゃないはずだろう?────


* * *


 シャイロックは懐古する。
 かの人は深くベリルを愛していた。それはたぶん、自分だけが知っている。かの人と生前親交があったらしい双子がどれほどのことを知り、あるいは察しているのかは測りかねるけれど、本人の口から直接聞かされる機会があったとは思わない。なぜなら彼らが、北の魔法使いだからだ。彼らは西の魔法使いのようには語らわない。愛や恋や情の話など、なおのこと。

 賢者とベリルとブラッドリーという少し不思議な組み合わせの客を迎え入れたときから、糸がほつれて解けるように古い記憶が呼び起こされて、シャイロックは久方ぶりに古い友人の溜息を思い出した。表情も、声色も。
 もちろん、あの日の会話を忘れていたわけではない。一杯二杯にはあまりに多すぎる「前払い」のこともある。ベリルが魔法舎にやってきた日には、ついに「愛を見定めた」のかと感慨を覚えたものだ。


「今回の任務も同行してくださって、ありがとうございました。お礼に、今日は私に奢らせてください」
「あんたね……この前もそう言って、ケーキ買って来たでしょう。そこまで気を使わなくていいのに」
「でも、こんなに何度も協力してもらってるので……」
「気にしすぎだぜ、賢者。ベリルは何もてめえからの依頼で動いてるわけじゃねえ。自分の意思で動いてんだ。そこを履き違えて、頭のてめえが下手に出すぎるなよ」
「気前が良いのは悪いことじゃないけどね」
「ま、ベリルの気を引く手段としても間違っちゃいねえだろうがな」
「その言い方、私が食べ物で釣れる女みたいじゃん」
「あはは……。下手に出ているつもりも、気を引こうとしているつもりもないんです。ただ本当に、お礼をしたくて」
「ふうん。ほんとお人好し」

 そう言って表情を緩めたベリルに賢者がはにかんで、ブラッドリーがどこか呆れたように笑っている。
 そんな様子をしばし眺めて、シャイロックはそっと口を開いた。

「賢者様。実はもう、今日のお代はいただいているんです。賢者様とブラッドリーの分も」
「えっ?」

 賢者は素直な驚きを浮かべて、ベリルとブラッドリーを振り返った。二人のどちらかが先に支払いを済ませたのだと思ったのだろう。
 困惑を隠しきれないベリルと怪訝そうなブラッドリーは、賢者の視線には応えなかった。声を揃えて、「誰から?」と短く言う。その言葉はまるで氷の礫のようだ。問いかけのかたちをしていても、北の国仕込みの鋭利さを内包している。
 けれどもシャイロックは、そこに愛らしさを見る。尻尾を膨らませた猫を眺めるように。
 もっとも、たとえ恐怖を見出したとて同じこと──シャイロックはキセルを片手に、ゆったりと微笑んだ。

「誰よりベリルを愛した魔法使いからですよ」

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