深緑覆う氷霜のライゼ

「ベリルちゃん見ーっけ。今暇〜?」
「暇に決まってるよね〜?」

 双子が両側から腕を絡めてきて、ベリルは胡乱な目を向けた。経験上、双子がこうしてわざとらしい高い声を出すときは大抵ろくな話ではない。

「暇だったら何なんですか」
「可愛い我らのお願いを聞いてほしいのじゃ!」
「賢いベリルちゃんなら、もちろん聞いてくれるじゃろ?」
「この場合の『賢い』、脅迫としか思えないんですが……」

 ベリルの溜息を、双子は否定するでもなくただ一笑した。どうやら脅迫と受け取って構わないらしい。幼な子のように愛らしい笑みも途端にぞっとする冷笑に見えてくる。
 今日は魔法舎に人が少ないからと塔の中にいたのがよくなかった──というか、さっさと食事を済ませて食堂を出ればよかった。ベリルはもう一つため息をついた。つい長居してしまったのがいけなかった、と恨めしい気分になる。ネロがうっかり作りすぎたというデザートを出してきたせいだ。もっともネロにもデザートにも罪はないのだから、この場合、恨めしいのは自分自身の胃袋のほうなのだが。

「……聞くだけでいいなら聞きますよ、聞くだけなら」
「そう捻くれたことを言うでない。我らは知っておるぞ。なんだかんだ言いつつ、結局引き受けてくれるのがベリルじゃと」
「そういうこと言うのやめてくださいます?」
「ほっほっほ。ともかく、詳しい話は談話室でしよう。ネロも一緒に来てくれるかの」
「えっ俺も?」

 キッチンから困惑顔を覗かせたネロは、双子に腕を絡め取られているベリルを一瞬見やって目を逸らした。名指しされなければ、ベリルが双子に連れ去られるまで隠れているつもりだったに違いない。

「ベリルと俺を呼んでする話とか……想像つかねえんだけど」
「東の魔法使いたちに行ってもらう次の任務の話じゃ。ファウストたちのことは、賢者が呼びに行っておる。もう談話室に着いておるかもしれん」

 答えたスノウはネロを見上げ、ホワイトはベリルを見上げた。金色の瞳に映るベリルの顔は戸惑いに染まっている。
 ホワイトが宥めるように微笑んだ。


* * *


 依頼元の『木陰の村』は、東の国の北西部に位置する小さな村だ。周囲を鬱蒼とした森に囲まれており、人の往来は決して多くない。住人は限られた土地に畑を作り、時に森に分け入って採集をし、細々と暮らしている。閉鎖的な土地柄で、魔法使いに対する昔ながらの差別や偏見も根強い。
 良くも悪くも東の国らしいそんな村から魔法舎へ依頼が届いたわけだから、事態は相当切迫していると思われた。

「村全体に奇妙な霜が降り、何日経っても消えないんだそうです」

 と、賢者は人の良さそうな顔を曇らせて言った。
 気温も下がっていないのに霜が降り、その量は日に日に増えていく。その上、この霜に触れてしまった者は昼夜を問わず寒さに震え、次第に体の芯からの凍りつくような激しい寒さを訴える者も出始めた。彼らは呼吸のたびに肺が鋭く痛むとも言う。
 この状態が長く続けば、皆が命を落とすのではないか。よしんば寒さに打ち勝ったとしても、霜が溶けないままでは畑の作物は全滅し、冬への蓄えができない。
 魔法使いは恐ろしいが、震えながら死を待つことはもっと恐ろしい──そんな苦悩の末に人々が選んだのは魔法使いを頼ることだった、というわけである。

「それと……霜が降りるようになったのと同じ頃から、不気味な音が聞こえたり、奇妙な影が見えたりするようになったそうです。霜と直接的な関係があるかどうかはまだわかりませんが、無関係とも思えません。こちらについても、調査をしたいと思います」

 東の魔法使いたちは頷きながら、しかしどこか落ち着きなくちらちらとベリルに視線を送った。
 ベリルは未だ双子にがっしりと腕を取られ、部屋の隅に立たされている。双子はただ微笑むだけで何も言わない。
 双子が説明しないなら、ベリルはずっと口を噤んでいるつもりだった。余計な口を挟んで面倒なことになりたくはない。賢者の話を聞いて『お願い』の内容になんとなく想像がついてしまっただけに、自分から訊くのは負けのような気もして、下から感じる双子の視線に素知らぬふりを決め込む。
 やがて諦めたように、東の魔法使い──ファウストが口火を切った。

「依頼の内容はわかったし、僕たちでその任務にあたることについても異論はないが……、なぜ、ベリルがいるんだ」
「それは私もまだちゃんと聞いていなくて……。あの、スノウ、ホワイト。みんなに説明してもらってもいいですか……?」
「賢者からそのように言われては、話さぬわけにはいかんのう」
「そろそろ頃合いかとも思っておったしの。本当はベリルから訊いてほしかったのじゃが、しかたあるまい」

 スノウとホワイトはそれぞれベリルの手を引くと、ベリルを賢者と東の魔法使いたちが顔を突き合わせている談話室の中心へ連れていった。
 まだ口を引き結んでいるベリルを見上げたスノウが、わざとらしく「やれやれ」と呟く。

「すでに察しがついている者もいるじゃろうが、今回の任務には、ベリルにも同行してもらおうと思う」
「えっ」

 賢者と若い魔法使いが驚きの声をあげる中、ネロは黙って苦い顔をした。ファウストのほうは帽子のつばとサングラスに隠れてわかりにくいが、やはり難色を示しているように見える。

「賢者の魔法使いではない彼女には、この任務に同行する義務も理由もないはずだが」
「そうじゃな。確かに義務はない」
「だからこそ、ベリルに同行してほしいのじゃ」

 賢者の魔法使いではない魔法使いが──それも北の魔女が、自ら進んで賢者一行に力を貸している。前例のない、誰も想像しないそんな光景が、現実となって広く知れ渡れば、魔法使いについてまわる悪い印象が少しは良いものへと変わるかもしれない。
 ベリルの不満も賢者や東の魔法使いたちの戸惑いも黙殺し、スノウとホワイトは軽やかに語った。

「今回限りではなく、ベリルが手を貸してくれることを我らは期待しておる」
「きっと、ベリルならそうしてくれるじゃろうとも」

 いかにも双子の考えそうなことだとベリルは目を伏せた。
 双子にはどうもベリルを魔法舎に引き留め、馴染ませたがっているような節があったが、この話を聞かされればそれも頷ける。ひょっとするとフィガロも一枚噛んでいるだろうか。彼らはベリルを善良な魔法使いに仕立て上げ、百合の紋章を持たずして賢者と手を取り合う絵を作りたいのだ。

「ベリルが魔法舎に来てから、我らはずっと考えておったのじゃ。ベリルをただ一時の居候として見送るのは惜しい」
「賢者の魔法使いではない者が魔法舎に住まうことなど、いまだかつてなかったことじゃ。これも何かの巡り合わせじゃろう」

「それに今回の依頼は、あつらえたようにベリル向きの内容じゃ」とホワイトが目配せをした。
「霜ならば氷、氷ならばベリルの得意分野じゃな」とスノウが微笑んでベリルを見上げる。

「……それが本当に霜であるとも限りません」
「それはそうじゃのう。ぜひ、そなたの目で確かめて来てくれぬか」

 一見すると慈愛に満ちた微笑みだが、有無を言わせぬ目をしている。スノウは口を噤んだベリルから視線を逸らさなかった。視線だけで屈服させようとしているかのように、瞬きさえしない。
 その眼差しのせいか、いつの間にか空気がぴんと張り詰めていた。東の魔法使いが息をつめて成り行きを見守っているのを肌で感じる。
 ややあって、そんな空気を破ったのは賢者だった。



220924
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