そういうことにしておいて

◎捏造が多い


 魔法舎に来て五日目の夜だった。

「どうせ暇だろ? 付き合えよ」

 ブラッドリーの一言目は問いかけの形をしていたものの、ベリルの返事を待つ気遣いというものは伴っていなかった。うんともすんとも言わないうちにブラッドリーの部屋へ連行され、気づけば晩酌が始まっている。
 といってもグラスに口をつけているのはブラッドリーばかりで、ベリルはまだ一口も飲んでいない。
 思えば、『ブラッドリーの部屋』というものに入るのはこれが初めてのことだ。ついしげしげと眺めてしまう。
 ブラッドリーとは付き合いこそ長いが、隠れ家だとか盗賊団のアジトだとか、そういったところへ立ち入ったことは過去に一度もなかった。そもそも、どこにあったのかさえ知らない。時の洞窟の方角にアジトがある、という程度のことをなんとなく察していただけだ。
 ベリルはブラッドリーの手下でもなければ家族でもない。双子やフィガロは妙な勘違いをしていたらしかったが──ブラッドリーが捕まった直後に尋問される羽目になったのもそのせいだ──、なあなあの付き合いにも守るべき一線はある。
 適当に座れよ、と促されるまま黒革のソファに腰を降ろせば、想定した以上に体が沈んだ。自邸で長年使っている草臥れたソファとは、比べ物にならない。囚人のくせに随分上等なものを使っているらしい。そう思ったらほんの少し腹が立った。八つ当たりだ。
 テーブルの上ではグラスがひとつ、ベリルが手を伸ばすのを待っている。ブラッドリーは自分のグラスにウイスキーを注いでいるのに、ベリルの分はなぜかサングリアだ。
 自分の爪とよく似た色の液体を眺めながら、いったいどういうつもりなのだろうと考える。揶揄われているのならなんだか癪だが、サングリアに罪はないのでグラスに手を伸ばすと、ブラッドリーは満足げに笑った。それから何かを思いついたような顔になって、「これもあった」と指を鳴らす。
 途端にパッとテーブルの上に皿が並んで、ベリルは思わず目を瞠った。フライドチキンにココットとスイートポテト、どれも香りはもちろん見栄えもいい。
 まさかブラッドリーが作ったわけではないだろう──ベリルが無言で視線を投げかけるとブラッドリーは端的に、

「俺たちの好物」
「それは見ればわかる。どこから盗んできたの」
「盗んでねえよ。これは東の飯屋から……差し入れみてえなもんだ」
「東の……?」

 ぴんとこないベリルが首を傾げれば、ブラッドリーは呆れたように笑った。その手は早速フライドチキンへと伸びている。

「誰かさんが全然顔出さねえからな。たまには行ってやれよ。あいつああ見えて、ベリルがちゃんと飯食ってっか気にしてんだぜ」
「なんで? というか私、東の国に料理屋の知り合いなんていないんだけど」
「そういうことじゃ──いや、今のは俺の言い方が悪かったか……?」

 ブラッドリーは首を捻りつつ、それはそれとばかりにフライドチキンにかぶりついた。説明よりも食欲が優先されたらしい。

「東の魔法使いに、ここの厨房を任されてるネロってやつがいるだろ?」

 あぁ、とベリルは相槌を打つ。ブラッドリーが言った魔法使いとは、魔法舎に来たその日のうちにほんの少し顔を合わせていた。双子に促されて、互いに国と名を名乗るだけの簡単な自己紹介をした。そのほかに会話らしい会話はなく、それ以来会ってもいないので、まだまともに口を利いたことはない。
 名乗って早々気まずそうに目を逸らした顔を思い浮かべ、ベリルは怪訝に思った。突然転がり込んできた余所者──それも、初対面の北の魔女だ──の食事を気にするほどの世話好きには、到底見えなかったからだ。

「あいつ、魔法舎に来る前は雨の街で飯屋やってたんだとよ」
「へえ、雨の街で」
「あいつの飯は美味いからな、相当繁盛してただろうぜ。つーか、食わねえなら全部食っちまうぞ」

 そう続けたブラッドリーは、早くも次のフライドチキンに手を伸ばしている。

「腹が減ってねえわけじゃねえんだろ?」
「んー……」

 ベリルは曖昧に唸ったが、どちらかといえば答えは「減っている」だ。実は、こちらに来てからまだ一度もきちんとした食事をとっていない。
 魔法舎の食堂へ行くのは気が引けた。しかし買い食いするにしても、急な出発だったので所持金は心許ない。換金できそうなものも持っていない。かといって、脅しや盗みなどは以ての外だ。アーサーに迷惑をかけかねないだけでなく、何よりベリルの主義に反する。過去のどんなに困窮していたときだって、それだけは絶対にしなかったのだ。
 幸い、近くの森に行けば木の実と野草と川魚が手に入った。腹一杯とはいかずとも食べることはできる。ベリルの食事量は普段からあまり多くはなかったし、そこそこの魔力がある分、人間ほどすぐ飢えることはない。
 だから今後の身の振り方が決まるまでの間食糧を森から調達することは、ベリルにとっては十分現実的な選択肢だった。むしろほかの選択肢を考えもしなかったのだが、ブラッドリー曰く「ネロ」は「ちゃんと飯食ってんのか気にして」くれているらしい。そんな義理もないだろうに。
 ブラッドリーはフライドチキンを美味しそうに頬張っている。その様子を眺めながら、ベリルは無意識のうちに目を細めた。このフライドチキンを作ったのは自分ではないけれど、美味しそうに食べる人を見ているのは気分がいいものだ。
 ベリルだって、目の前から漂う美味しそうな匂いに食欲を唆られていないといえば嘘になる。ブラッドリーの食べっぷりを間近で見ていれば尚更で、ベリルは少し考えてから、ココットに手を伸ばした。まだ温かい。
 ──誰かの手料理を食べるなんて、何百年振りだろう。
 少しの感慨と妙な緊張とが同時にやってくる。しかしそれは、ココットを一口食べた瞬間にどこかへ吹き飛んでしまった。

「美味しい……!」
「ははっ。そうだろ!」
「なんであんたが得意げなの」
「俺はあいつの飯が気に入ってんだよ」

「あぁそう……」聞き覚えのある台詞だなと思いながら、二口目を口に運ぶ。「これ、凄く良いエバーチーズ使ってるんじゃない? どこのだろう」

「さあな。あいつのことだから食材にはこだわってるだろうが」
「このマカロニ菜も美味しい。あんまり苦くないし」
「なんだ、まだ苦いもん苦手か? 相変わらずガキみてえな舌だな」
「あんたの野菜嫌いだって『ガキみてえ』だと思うけどね」

 そもそも苦手とはいっても、あまり好んで食べないというだけでまったく食べられないわけではない。ポトフやカプレーゼを見ただけで嫌そうに顔をしかめるブラッドリーのほうが、よほど子どもじみている。
 相棒の料理人を怒らせて夕食がポトフになってしまったから、という理由でブラッドリーが食事をたかりに来たことも一度や二度ではなかったし──そんなことを思い出して、ベリルははたと思い当たった。

「これを作ったネロって、昔話してたあんたの相棒のネロ?」
「あ? いや──」

 ベリルにはブラッドリーがわずかに言い淀んだように見えた。不自然ではない程度の、奇妙な沈黙。しかしすぐウイスキーを煽ったので、質問のタイミングが悪かっただけなのかもしれない。
「あいつは関係ねえよ」と答えたブラッドリーは、呆れ笑いを浮かべていた。

「俺様の相棒なら盗賊で北の魔法使いだ。そんなやつが、東で真面目に飯屋なんざやってるわけねえだろ」
「そう?」

 ベリルは首を傾げながら、また一口、ココットを口に運んだ。
 オズが中央の魔法使いでフィガロが南の魔法使い。そんな話と比べれば、北の盗賊が足を洗って東の料理人になるくらい驚くほどのことでもない。
 ブラッドリーは盗賊団の手下たちや隠れ家を特定できるような話をほとんどしなかったが、相棒のネロのことだけは例外だった。そう頻繁ではないものの、四百年近い付き合いの中で幾度か話題に上ったから、ベリルは面識もないネロについて少しだけ情報を持っている。たとえば料理が上手いこと。よく気が利くこと。ただし怒らせるとおっかない。つまみ食いをすると特にやばい──など。
 そういう話をするときのブラッドリーはいつも印象的だった。口調こそぼやいているように聞こえるのに、声音には必ず親しみだとか信頼だとかが滲んでいる。あいつの飯が気に入っている、という先程の言葉にはそれとよく似た響きがあった。
 魔法舎にいるネロという魔法使いがブラッドリーの相棒のネロと同一人物だというのなら、色々としっくりくる──のだが。ブラッドリーは、首を傾げたベリルに「そうだ」と肩をすくめるだけだった。
 この話はここまで。暗にそう言われたような気がして、ベリルは曖昧な相槌を打った。
 ──まぁ、よくよく考えてみれば。

「……それもそうか。無意味な質問だった」

 魔法舎にはブラッドリーを捕まえた双子とフィガロが三人とも揃っている。ブラッドリーの答えが真実かどうかはさておき、死の盗賊団との関わりを疑われて「料理屋のネロ」が得をすることなどひとつもない。
「わかりゃいいさ」ブラッドリーはからりと笑った。

「ほら、こっちも食ってみろよ」
「フライドチキン……。これはちゃんとあんた好みの味付けなんだ?」
「何言ってんだ。フライドチキンはどんな味付けでも美味いだろうが」
「いや……あんた昔、『てめえの味付けはネロのよりちょっと甘いな』って文句言ったことあるじゃん。それで──」

 私はコックじゃない、そもそもあんたのために作ってない、という話をしたことがあったのを思い出した。ネロは仲間だからブラッドリー好みに味付けするかもしれないが、それはネロの厚意であって、いつ来るかもわからない男のためにベリルが同じようにする義理はない、と。二百年目くらいには多少、ブラッドリーの好みに寄せた味つけをすることも増えていたのだけれど、それはそれだ。
 当時はそれなりに苛立ちを覚えた気がするのに、今は不思議と、懐かしさのほうが勝っている。皮肉というよりは思い出話の気分で口にした話題だったが、意外にもブラッドリーは焦ったような顔をした。

「待て待て! それは文句じゃねえ。これはこれで美味いっつー話だったはずだ」
「フライドチキンはね? ココットはもう少し酸味がほしいとか、グラタンはもっとしょっぱめが良いとか」
「言っ……」
「た」
「……根に持ってんのか?」

 ベリルは思わず目を丸くした。ブラッドリーがばつが悪そうに、眉をひそめ口の端を下げていたからだ。
 こうもわかりやすい困り顔は、あまり見ることがない。表情のせいか、「なあ」と返答を催促する声も心なしか弱ったように聞こえる。
 ブラッドリーのことがなんだか妙に可愛らしく見えて、ベリルは込み上げてきた笑いを噛み殺した。



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