掌編

◎Twitter再録/掌編3つ
◎3つ目の掌編にはオマケでブラッドリーとの会話文があります





 突然現れたミスラは、私と談笑していたルチルに言った。

「この人、借りていきます」

 そうして何の説明もなし空間の扉に放り込まれ、連れてこられたのは見知らぬ苔むした森だった。背の高い木々には青葉が生い茂り、空などほとんど見えない。わずかな隙間から差し込む日の光が、時折ちらちらと揺れ動いている。

「どういうつもり?」

 不機嫌さを露わにしたまま尋ねてもミスラは相変わらずで、特に気にした様子もない。「あれを消し炭にしてください」と私の背後を指差す。渋々振り返ると、『あれ』は一本の木の下にあった。
 こんもり積み上げられた、黄色っぽい何か。あれは……いったい何なのだろう。
 遠目だからわからないのかと思ったが、困ったことに、近くで見てもわからない。生き物だということはかろうじてわかるが、これまで目にしたことのない風体をしているのだ。
 カエルのような体に、コウモリのような薄い翼、ネズミのような細い尻尾。全体が黄色っぽく、腹の辺りにだけ赤紫の斑点がある。
 正直、かなり気持ち悪い。

「これは……何?」
「さあ」
「知らないのに、こんなに捕まえたの?」
「はい。消し炭にしたら、美味しそうじゃないですか」
「ええ……?」

 心の底から困惑した声が出た。私なら、たとえどんなに空腹だったとしても、この毒々しい生き物を美味しそうとは思えない。
 この生き物だって、まさか自分が「美味しそう」という理由で乱獲されるとは夢にも思わなかっただろう。まさにミスラに見つかってしまったのが運の尽きだ。ミスラの目にはよほど美味しそうに映ったらしいな、と自分の膝丈以上に積み上げられたコウモリガエルたちを眺めて思う。さすがに少し、哀れだった。

「でも、運ぶのが面倒で」
「そりゃこれだけあればね」
「だから、直接ベリルを連れて来るほうが早いなと思ったんですよね。早く消し炭にしてくださいよ」
「いや、自分でやりなよ。そっちのほうが断然早いでしょ」
「嫌です。今日は、ベリルが作った消し炭の気分なので」
「誰が作ったって同じだと思うんだけど」
「はあ? 全然違いますよ。消し炭加減が」

「消し炭加減」と繰り返した私に、なぜだかミスラは呆れた視線を寄越している。さらには溜息までつく。
 そうしたいのはむしろ私のほうだと思うのだが、ミスラからすれば違うらしい。

「あなたも食に疎いんですか?」
「ミスラにだけは言われたくない言葉だな……」
「まあ、どうでもいいです。味さえ良ければ、それで」

 消し炭に味もクソもあるか。と、飛び出しそうになった言葉は一旦飲み込んでおく。こんな馬鹿らしいやりとりがきっかけで自分が消し炭にされてしまっては、笑い話にもならない。
 かわりに呪文を唱えれば、哀れなコウモリガエルの山がたちまち炎に包まれる。
 それにしてもこれ、食べられる生き物なんだろうか。
 かすかに顔をほころばせたミスラを横目に、私はやけっぱちで火力を上げた。
(220515)





 一輪の花が目を惹いた。
 緑豊かな森の中で、それは一際強烈な存在感を放っている。幾重にも重なる、血で染めたような深紅の花弁のせいだろうか。あるいは、明け方に上がった雨の置き土産が、深紅の上で煌めいているせいかもしれない。しかし、きっと、そればかりでもない。
 初めて目にしたはずなのに、どこか既視感がある。さほど悩むことなく、答えは出た。
 ミスラの髪の色に似ているのだ。銀世界でよく目立つあの赤髪に。ミスラが雪を頭に載せて部屋に入ってきて、その雪が溶けたときなんかは特に、こんな具合になる。
 そう気づくとなんだか可笑しくなった。近づいて覗き込めば、苦みと甘みの混ざり合った香りがする。たとえるなら、北のルージュベリーの果汁のような。
 そのとき不意に、耳元で低い声がした。「それ」
 このまま振り返れば鼻が触れてしまいそうな距離で、ミスラが私の肩越しに花を覗き込んでいる。
 近いと文句を言う間もなく、ミスラは、

「食べないほうがいいですよ。食べると一日中、手足が痺れます」
「……は?」
「あっちの白い花にしたらどうですか。美味しかったような気がします。腹には溜まりませんが」
「……どうして食べる前提?」
「腹が減ってるんじゃないんですか?」
「違うけど」
「えっ」

 ミスラにしては大きな声だった。

「あんなに熱心に見ていたのに?」
「熱心に見るものが食べたいものだとは限らないでしょ……」

 そもそも花を見て「美味しそうだな」と思った経験は、今のところ一度もない。納得のいっていないような顔をしているミスラに向けて、「あんたの髪の色みたいだと思って、眺めてただけ」と付け加える。
 ミスラは「はあ」と相槌なんだか溜息なんだか、どちらとも判別し難い返事を寄越した。おそらくこの話題自体、もうどうでもいいのだろう。ミスラは昔から、そういう男だ。
 なおも近いミスラを押しやって、先ほどミスラが指し示した白い花に目を向ける。まるく大ぶりの、薄い花弁。食べようというつもりはまったくないが、たしかに腹に溜まらなそうではある。

「それを言うなら、この森全体、あなたの目の色ですけどね」

 と、ミスラのそんな声が聞こえて、私は思わず顔を上げた。ぽかんとしている私を──私の目を真っ直ぐに見据えて、ミスラは続ける。

「生命の色。あなたの目と同じでしょう」
「……あんたの目も、でしょ」
「あぁ、たしかに」
「たしかにって」
「自分の目なんて、そうそう見ることもありませんし」

 そう言いながら、ミスラは白い花弁をむしりとった。
 腹に溜まらないと不満ありげに言っていたのに、結局食べるのか。
 呆れたのも一瞬のこと、予想に反して、花弁は私の唇へ押しつけられる。そのあまりのぞんざいさにくぐもった声が漏れると、ミスラは珍しく、声を上げて笑った。
(220515)





「ベリルもいつか、結婚するんですか?」
 ミスラがそう聞いてきたのは、チレッタが南の国の人間と結婚して何年か過ぎた頃だったと思う。ベリルは地下室に押し込んだ収集品の整理をしていて、壁に背を預けたミスラは手伝うでもなく、ただそれを眺めていた。


 脈絡なく投げかけられた問いに、ベリルはさほど悩むこともなく「しないと思うよ」と答えた。

「なぜ」
「魔女にそれを聞く?」
「チレッタも魔女です。でも、彼女は結婚した。それなら、あなただって、結婚するかもしれないじゃないですか」
「それは一理あるけど」

 振り返った先に見えた緑の目は、決して悲しんでいるわけではなかったが、楽しげとも言いがたかった。ベリルにはそれが、どこか拗ねているように見える。……たとえばそう、構ってもらえない子どものように。
 チレッタが人間と結婚して以降、この目を見ることが増えた気がするのは、単なる思い違いでもないだろう。
 ミスラはチレッタと一緒にいる時間が長かった。チレッタが人間の男に恋をして、遥々南の国にまで飛んでいってしまった──なんて、惚れた腫れたのある無しにかかわらず、複雑な気分にもなろうというもの。正直ベリルだって、未だに複雑な気持ちでいるくらいだ。
 ベリルは作業の手を止め、ミスラに向き直った。

「たぶん、私には当てはまらないよ」
「どうして言い切れるんです?」
「チレッタはずっと子どもをほしがってたし、恋に恋してる節があったでしょう。私はそういうの、考えたことがない。……それに」
「それに?」

 チレッタの結婚相手は人間だ。人間と魔法使いでは、約束の重みが違う。
 人間は約束を違えたところで失う魔力など端から持っていないし、大抵、先に死んでしまうのだ。魔法使いのほうが先立つなんてことは、滅多に起こらない。
 結婚という『約束』を前にして決めるべき覚悟はいくつかあるけれど、『失う覚悟』をするのは自分一人でいい──チレッタがそんなことを考えたかどうかは知らないが、失うのが自分一人で済むのなら、いくらか気楽に構えられるように思う。魔力ある者同士の結婚では、そうはいかない。

「それに、なんですか」

 ミスラの急かす声にハッとして、ベリルは曖昧に笑った。
 チレッタが考えたかどうかもわからないことを、安易に口にするわけにもいくまい。憶測は飲み込んで、もう一つの理由を説明する言葉を探す。
 ──この先私に結婚を考える相手ができるとすれば、その人は、たぶん。

「……私は、自由な人が好きなんだよ」
「はあ」
「たとえば……町の上空を飛んでいったドラゴンに惚れ込んだとする。そうしたら、またあの猛々しい羽ばたきを見たいとか、恐ろしくも美しい牙や爪をもっと近くで見てみたいとか思うよね。きっと、ドラゴンが再び飛んでくるのを心待ちにするようになる。でも、だからって籠に閉じ込めておくのは、違うでしょう」
「…………」
「常に手元に繋ぎ止めておけば、牙も爪も好きなだけ眺めることができるけど、初めに焦がれた羽ばたきは見られない。飼い殺しのドラゴンに惹かれたわけじゃないのに。自由な……ありのままに生きる姿に惹かれたのに、それを損ねる理由に自分がなるなんて、私は嫌だよ」
「……ベリルは、ドラゴンに惚れてるんですか?」
「たとえばって言ったじゃん」

「わかりにくいですよ」ミスラは眉をひそめて文句を言った。「でもまぁ、ドラゴンはかっこいいですよね」

「そうそう。とにかく、私が結婚しないと思う理由はそんな感じ」
「ふぅん……」

 自分から尋ねてきたくせに、気のない返事だった。話をしている間に、興味を失ったのかもしれない。失礼極まりないが、ミスラにはありがちなことなので、いちいち気にしていてはきりがない。
 ミスラが飽きているなら、そのうち勝手に帰るだろう。中断していた作業に戻るべく背を向けると、後ろで身じろぎする気配がした。
 思ったとおり、帰るらしい──そんなベリルの考えに反して、ミスラはこちらにやってきた。気怠げな歩みなのに、一歩が大きいせいですぐに距離が縮まる。
 あっという間に目の前にまでやって来たミスラは、じっとベリルの顔を覗き込んだ。

「何?」
「話が長くてよくわかりませんでしたが、ここに来れば、あなたはいるんですね」
「まぁ……留守にしてない限りは」
「それならいいです」
「……うん?」

 ミスラはもう、拗ねた目をしていなかった。
「あれ、いいですね。貰います」と壁に掛けてあった『呪いの鏡』を無造作に引き寄せ、「では、失礼します」と言い残してさっさと空間の扉から帰って行った姿も、いたっていつも通りだ。
 静かな地下室にはベリルだけ。作業を再開しながら、ミスラの言葉を反芻する。

 ……案外ミスラは、寂しがりなのだろうか。いやいや、そんなまさか……ねえ。

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「──ってことがあって」
「へえ?」
「何その顔」
「たとえは拙いが、気持ちはわかると思っただけだよ」
「一言余計。……でも、そうだよね、ドラゴンはなにものにも縛られずにいてこそかっこいいというか……」
「わかるわかる。けどよ、籠に閉じ込めるだけが『繋ぎ止める』ってことじゃねえし、自由なまま近づくことが絶対に不可能だとも限らねえ」
「そう?」
「そうさ。相性もあるだろうが……。ああ、ほら、気性の荒い野良猫が自分にだけ喉を鳴らして擦り寄ってくるようなもんだ」
「ドラゴンと猫は全然違うじゃん」
「たとえだろ、たとえ。ドラゴンも野良猫も、首輪をつけて飼い慣らすわけじゃねえ。野生の荒々しさも忘れてねえ、誰のものでもねえそいつが、自分にだけ少し気を許すって考えてみな。一線を越えれば牙をむくが、そこさえ守れば触らせてもくれる。なかなか悪くねえだろ」
「……特別感的な意味で?」
「優越感とかな。あとアレだ、前の賢者が言ってたやつ……なんだっけな、ツンデレ?」
「つんでれ」
「いや……ギャップ萌えか?」
「ぎゃっぷもえ」
「使い方があってんのか知らねえけど、たぶんそんな感じだろ」
「適当……」
「まぁ、結婚となるとまた話は変わってくるか。覚悟と欲の問題だしな」
「……やっぱり私には縁遠い話だ」
(220605)
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