半田と幼馴染
幼馴染が玄関先でフリーズしてしまった。
呼びかけてもつついても応答なし。しかし私の幼馴染は人造人間でも人工知能でもアプリケーションでもなくダンピールなので、強制終了だとか再起動だとかは試せない。ずっと玄関に残しておくわけにもいかないし(というか絶妙に邪魔でドアを閉められない)、必死で引きずって家の中に入れた。
……さて、フリーズしたダンピールは、どうすれば回復するのだろう。【ダンピール フリーズ 対処法】で検索してみても、表示される結果はソフトウェアがフリーズしたときの対処法ばかりで、なんの参考にもなりゃしない。
時間を見ると、幼馴染もとい半田がこの状態になってすでに五分以上が経過していた。引くほど全然動かない。思わず呼吸を確認したら、息はちゃんとしていた。よかった。
それにしてもマジでどうしようかな。と半田の顔を見上げる。物心ついた頃からの付き合いなのでどんな表情も見慣れていると思っていたけれど、今の表情は初めて見るものかもしれなかった。驚愕と焦燥と苛立ちと……あと何か色々混じっていそうな気がする。たぶん。
このフリーズの原因は、一応、わかっている。「さっき駅前で絡んできた男はなんだ? 知り合いのようだったが」と聞かれ、「元彼」と答えた瞬間から動かなくなったので、つまりそういうことなんだろうと思う。
「ねー、いつまで固まってんの」
頬に指を突き立ててみたり、頬をつまんでみたり、何度か繰り返すとさすがに鬱陶しくなってきたのか、ようやく半田が動いた。ネジの切れかけたおもちゃのようにぎごちない動き。それでいて案外強い力で私の手を掴んでくる。
「おお、動いた」
「……元彼とは、なんだ」
「元彼とは、過去に恋人だった男性のことだよ」
「そんなことは知っている!」
半田は私の手を掴んだまま、ぐわっと目を見開いた。
「俺が聞きたいのはそういうことではなくてだな!!」
「声でっか。わかるよ、彼氏いたのかってことでしょ」
「そうだ! 俺は何も聞いていないぞ!」
「だって何も言ってないし……」
「な……なぜだ!? どうして名前に彼氏がいる!?」
「失礼だな! そもそもアンタに報告する必要ある?」
毎日顔を突き合わせているならそういう話になることもあるかもしれないけれど、半田と私では生活リズムが違う。休日も違う。同じ学校だった中学時代まではともかく、別の学校へ進学した高校時代からずっと、顔を合わせない日のほうが多いくらいなのだ。
「いくら幼馴染だからって、なんでも言うわけないじゃん。彼氏ができました別れましたまた彼氏ができましたーって、そんなの逐一報告されても、半田だって困るでしょうが」
半田は雷に打たれたような顔になって動かなくなった。私の手を離すことなくフリーズしている。今度はいったい何がそんなにショックだったのか。もしかして、幼馴染にはなんでも報告してほしい派だった?
また五分以上フリーズしたら困ると思ったけれど、案外今回は回復が早く、一分足らずで「なぜだ……」という掠れ声がした。先程までのあの勢いはどこへやら、弱々しい……というか、すっかり悄気ている。
「……彼氏、が、いるのか?」
「それは、今いるのかってこと? 今はいないよ」
「過去にはいたのか……」
「そりゃまぁ、人並みに」
半田が睨んでくる。その目が若干潤んでいるように見えるのは私の気のせいだとしても、身長百八十センチの男に睨まれているにしては恐ろしさを感じなかった。昔、『ももちゃんママ』の取り合いで喧嘩になったときのことを思い出すからかもしれない。
その頃の私は半田をももちゃんと呼んでいて、半田のお母さんのことが大大大好きだったのだ。「俺のお母さんだぞ!」と怒るときの半田は、ちょうどこんな顔をしていた。懐かしい。
あれから二十年近く経ち、あけみさんの取り合いをすることもなくなった今、またこの顔を見ることになるとは夢にも思わなかった。私の手を掴んで離さない半田の手は、なんだか少し湿っている。
「俺のことが嫌いになったのか……?」
「エッなんでそういう話になった?」
「名前が俺に黙って彼氏なんぞ作っているからだろう……! 思えばいつからか俺のことを半田呼ばわりするし、俺が顔を見に行ってやらねば自分からは全然会いにも来ないし、それに……俺の扱いが、雑になった」
拗ねた子どもみたいな半田が、手にぎゅっと力をこめる。無意識なのか、少し痛かった。
「えーと……」
「俺は……俺は、嫌われたのか?」
「そ、そういうわけじゃ」
たしかに呼び方が変わったのは事実だけれど、後半については「何それ!?」と言いたい。
顔を見に来ているつもりだったなんて知らないし、扱いが雑なんて言われてもよくわからない。半田からの電話をすぐ切ったこと? それとも、ご飯に誘われたのを二回続けて断ったこと? あのときはタイミング悪く彼氏との予定が入っていて……。扱いが雑、だったのかな。そういうつもりはなかったけれど、半田はずっと気にしていたんだろうか。
顔をしかめて私を見下ろす半田は、図体ばかり大きい子どものようだった。このまま泣き出したらどうしよう。そう思ったとき、半田は涙より破壊力のある爆弾を寄越した。
「名前は俺と結婚するんだろう!?」
「は!?」
その瞬間、幼き日の思い出が走馬灯のように駆け巡った。
私には「大きくなったらももちゃんと結婚する!」と公言していた時期がある。本当はももちゃんママと結婚したかったのだけれど、既婚であることを理由に真面目に優しくフラれてしまったので。しかし、私は半田本人にもフラれたはず。「ももちゃんと結婚する」と私が口にするたびに、お母さんと結婚したい派のももちゃんが「嫌だ」と答えていたことを私は忘れちゃいない。
それがどうだ。半田は「お前はいつもそう言っていたのに……」と恨み節のように呟いている。
「……半田は、私と結婚したいの?」
「そういうわけではない」
「なんなの!?」
「だが、名前が俺以外のヤツと結婚するのは、その……なんだ、何か違うと思う」
「暴論」
なんなの、本当に……。思わず脱力した私とは反対に、半田は手の力を強めてくる。
……ひとまず、ちゃんと話をしよう。そして、私の骨が折れる前にどうか冷静になってほしい。
220910 / 220924