ありふれた明日が欲しい



「あ、名前? 恵が怪我しちゃってさ〜、お見舞い行ってやってよ。そろそろ部屋戻る頃だろうから」

 それじゃ! と、一方的に用件だけ告げられて、切られた。通話時間8秒。この間、名前は一言も言葉を発していない。
 五条がこちらの都合を考慮してくれないのはいつものことなので、今更腹も立たない──これくらいで腹を立てていたらすぐにストレスで胃に穴が空いてしまう──が、それにしたってもう少し言いようがあるだろう。あの通話だけでは、経緯も怪我の程度も、まったくわからない。
 今回伏黒が向かった任務について名前が知っていることは、行き先が仙台ということ、目的が『呪物の回収』だということだけだ。具体的に何を回収するのかまでは聞かされていない。呪物の等級や状況次第では、『最悪』も起こり得る。万に一つよりも遥かに高い確率で。
 ──お見舞いが必要なくらいの大怪我なんだろうか。
 五条の言葉は常の通り軽薄だったし、伏黒が高専に帰ってきているなら、家入の処置を受けているはず。きっと五条が揶揄っているだけ、心配するほどのことではない。……はず。
 そう自分に言い聞かせながら、名前は読みかけの雑誌を閉じ、メッセージアプリを開いて「大丈夫?」と打ち込んだ。少し躊躇ってから送信をタップする。
 すぐに既読がつかないのは想定内だが、妙に落ち着かない。窓の外で木の葉が風に揺れるだけの音が、呪霊の立てる物音のように聞こえてくる始末。
 ──任務の内容をもっと詳しく聞いておけばよかった。
 中途半端な情報だけ持っているせいで、変に心配になってしまう。名前は既読のつかない画面を数分見守ってから、スマホだけ持って部屋を出た。
 
◇ ◇ ◇

 伏黒と名前は中学からの付き合いだ。といっても、ずっと親しくしていたわけではない。
 はじめはクラスも違ったし、接点もなかった。「一年生にかっこいい男子がいる」とかで伏黒恵の名前は入学間もなく有名になったが、名字名前の名前は年度末に誰も読まない学校新聞に小さく載っただけ。
 喧嘩っ早さと腕っ節の強さで伏黒がどんどん有名になっていっても、名前はありふれた生徒の一人にすぎなかった。
 そんな二人に接点が生まれたのは、二年生の夏。自分にしか見えないと思っていたグロテスクな化け物を、伏黒も見ていた。
 たとえば人生の進路を切り替えるスイッチがあるとしたら、名前のスイッチが押されたのはあの日だったと断言できる。
 もしもあの日、目が合わなければ。
 名前が呪術師を目指すことはなかった。それどころか呪術高専の存在も知らず、化け物の正体も自分の能力も知らないまま、今も一般人として生きていたに違いない。

 時々、考える。
 どちらの人生のほうが幸せだったのだろう。自分に本当に向いていたのは、どちらの人生だったのだろう。

 その答えを出すためには、まだ生き足りない。



 伏黒はまだ部屋に戻っていないようだった。ノックをしても声をかけても返事はなく、人の気配もしない。
 相変わらず既読がついていないことを確かめて、名前は壁に背を預けた。五条の言葉を信じるなら、そう待たずとも帰ってくるだろう。
 果たして五分後、伏黒は帰ってきた。仏頂面をしているが、怪我のせいなのか別の理由があるのか、それとも特に理由はないのか、判断が難しい。できれば「部屋の前で同級生が待ち構えているのが見えたから」という理由ではないと思いたい。
 いかにも何か言いたげな伏黒に先を越されないように、名前は「おつかれ」と手を振った。

「なんでいるんだよ」
「恵が怪我したからお見舞い行ってやって、って五条先生が」

 五条の名前を聞いた途端、伏黒は顔をしかめてため息をついた。五条に振り回されてきた人間たちが必ずする顔である。

「別に大した怪我じゃない。家入さんにも診てもらった」
「みたいだね。元気そうでよかった」
「真に受けたのか、五条先生の話」
「そういうわけじゃないけど……ちょっと気になったから? 大怪我でもそうじゃなくても、顔見れたら安心できるじゃん。少なくとも損はないっていうか」
「……あっそ」
「そういうわけで、顔見て満足したから帰るね」
「は?」

 伏黒が変な顔をした。予想外の反応に、名前も眉を寄せる。

「えっ、まだ私にいてほしい? 寂しんぼ?」
「違う」
「そんな嫌そうな顔で即答しなくても」
「五条先生みたいな絡み方するのが悪い」
「うわ、それはそう。謝るからあの人と一緒にしないで」
「いや……」

 珍しく歯切れが悪い伏黒に、名前は首をかしげた。
 寮の廊下で長々話し込んだところで 空き部屋ばかりだから誰の迷惑にもならないが、疲れているだろう伏黒をいつまでも立たせておくのは少し忍びない。

「ほんとどうしたの」
「……せびりに来たのかと」
「せびる? ……あ」

 言われてみれば、任務で仙台へ行くと聞いたとき、名前は伏黒に「お土産は萩の月がいいな」と声をかけた気がする。もちろん伏黒には断られたし、冗談のつもりだった。それは、伏黒もわかっていると思っていたのだが。

「……本当に買ってきてくれたの?」
「いや、それどころじゃなかった」
「だよね、びっくりした」

 二級術師の伏黒が怪我をするほどの任務だったのだ、呑気に土産を選ぶ余裕があるとは思えない。

「……お土産がないから、そんな気まずそうな顔してんの?」

 冗談半分で名前が尋ねると、伏黒はますます顔を顰めた。まじかあ、と思わず呟いた名前に、いよいよ伏黒は顔を背ける。

「…… 名前は地方任務のたびに何かしら買ってくるだろ」
「あれは……ほとんど自分用みたいなものだから」
「そのわりには俺にもたくさん持ってくるよな」
「それは、その……一人で食べるにはちょっと多いし」
「……大箱で買うからだろ」
「……察してよ、そこは」

 名前は口を尖らせた。

「わかってる」

 本当だろうか、名前は訝しむ目つきで伏黒を見上げたが、伏黒はポケットに手を突っ込んで足元を眺めていた。
 こうして伏し目がちになると、伏黒の睫毛の長さがよくわかる。その長さに名前はなぜだか妙に感心してしまって、思わずまじまじと眺めた。きっと自分の睫毛より長い。
 そんなことを考えていたので、伏黒がおもむろに突き出してきた手に反応が遅れた。

「ん」
「……ん?」

 ラッピングされたそれは、名刺ほどの大きさだ。真ん中のあたりが少し膨らんでいる。
 名前が戸惑いながら受け取ると、伏黒は足早に名前を追い抜いた。自分の部屋のドアに手をかけると同時に、

「文句言うなよ」

 怒ったような口調でそれだけ言い残して、さっさと部屋に入っていった。「えぇ……?」一人取り残された名前の、困惑の声が静かな廊下に響く。


 部屋戻ってから中身を見てみると、それは仙台駅限定のご当地ストラップだった。可愛いような可愛くないような、なんとも言い難い絶妙なデザインのそれ。
 伏黒はいったいどんな顔をしてこれを選んだのだろう。想像して、思わず笑みがこぼれる。
 名前は「ありがとう」を伝えるために、メッセージアプリを開いた。


210111/210207
title by サンタナインの街角で
ぷらいべったー掲載済
夢の中で読んでいた夢小説をベースにしたシリーズ化を目論んでいる話
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