※捏造マシマシ


 今日のワイルドエリアは全域曇り空が広がっている。予報では、午後から夕方にかけて局地的に雷を伴う激しい雨が降るらしい。
 にもかかわらず、メグは朝から意気揚々とワイルドエリアへ出掛けていった。豪胆と言うべきか、無鉄砲と言うべきか。後ろ姿を見かけて思わず呼び止めたキバナに対し「今日は近場にしか行かないから平気だよ」と返したメグの呑気な笑顔を思い出す。「天気が荒れる前に帰って来いよ」とは言ったものの、メグが素直に従うかは怪しいところだ。
 尤も、旅慣れているメグのことだから、ちょっとやそっとの悪天候くらい気にならないのだろう。
 それでもつい心配になるのは、キバナの気持ちの問題である。
 チャレンジャーもやって来ないからと事務室にこもったものの、仕事を片付ける合間に、どうしても目が窓の外を向く。一度集中が切れると、ワイルドエリアが気になって仕方がなくなった。
 天気が荒れるくらい、旅慣れたトレーナーには日常茶飯事だ。相応の備えもしているだろう。……ただ、ひとつ大きな問題がある。メグはうっかりやだ。
 昼を過ぎると、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
 メグは戻ってきただろうか。電話でもかけてみようか……いや、それはどうだろう、過保護なんじゃないのか。子どもでもあるまいし、……。
 不毛な葛藤の末、キバナは立ち上がった。

「ちょっと早えけど巡回行ってくるわ」
「あぁ…この後、天気荒れるらしいですもんね」

 事務員はちらりと窓の外に視線を投げかける。外は昼間だというのに薄暗く、空には分厚い雲が広がっていて、もういつ雨が降り始めてもおかしくない。

「お気をつけていってらっしゃいませ」

 事務員の声にキバナは軽く手を上げて応じ、事務室を後にした。





 他の地方では、空の移動手段として自分の鳥ポケモンを選ぶトレーナーは多いと聞く。しかしここガラル地方では、自分のポケモンで空を飛ぶトレーナーは極めて稀だ。
 そもそもガラルにおける“空を飛ぶ”行為は、原則的に認可制である。条件を満たすトレーナーなら誰でも申請できることになっているが、条件はやや厳しく設定されており、実質的に主な対象は空飛ぶタクシーの運転手とそのアーマーガアだ。事実、一般トレーナーの申請率は非常に低い。空飛ぶタクシーはいつでもどこにでも呼べて、ガラルのどこへでも行けるから、一般トレーナーが“空を飛ぶ”必要性がないというのも理由の一つではあるだろう。

 キバナは自身が育てたフライゴンの背に乗って、ナックルシティの街並みを一望した。ちょうど街の上空を一周し終えたところだが、これといって異常は見当たらない。平和で何より、とキバナは表情をゆるめた。

「んじゃ、ワイルドエリアの方行くか」

 つるりとした背を撫でると、フライゴンは心得たように鳴いた。
 認可制の“空を飛ぶ”行為ではあるが、ジムリーダーとチャンピオンは特例で、ややこしい手続きを取らずともその肩書と実力によって“空を飛ぶ”行為が認められる。空の巡回や緊急招集など、その他空飛ぶタクシーではカバーできないような業務も想定されるからだろう。
 とはいえ、ジムリーダー全員が飛行タイプのポケモンを育てているわけでもない。実際に自分のポケモンで“空を飛ぶ”ジムリーダーは多くはなく、今のメンバーではフライゴンのいるキバナくらいのものだ。ワイルドエリアに接するナックルシティ、そのジムリーダーとなると、ワイルドエリアの北側も管轄になるから、フライゴンとの巡回が最も効率が良いのである。

 ナックル丘陵の上空は分厚い雲のおかげでほとんど真っ暗だった。雷雨になれば、さすがに危ない。フライゴンもそれがわかっているのか、気遣わしげな鳴き声をあげた。キバナはワイルドエリアを見下ろしながらも、その背に「早めに帰ろうな」と声をかけた。……早めに、メグが見つかればいいのだが。
 ナックル丘陵から巨人の鏡池へくだり、砂塵の窪地を巨人の帽子へ抜けて、逆鱗の湖へ。それがいつもの巡回ルートだ。
 ──メグの姿は、巨人の帽子にあった。湖の辺りにテントを張って、呑気にポケモンたちと戯れている。
 キバナはフライゴンに着陸を指示した。旋回しながら降りていくと、メグが気づいて顔を上げる。「あれ? キバナだ」
 どうしてここに、と目を丸めたのも束の間で、すぐにへらりと気の抜けるような笑顔を浮かべた。

「おつかれ〜」
「おつかれ、じゃねーよ」

 フライゴンの背から飛び降りる。「天気が荒れる前に帰れって言ったよな?」

「まだ荒れてないよ」
「荒れてからじゃ遅えの! 帰るぞ。ほら、さっさとテント片付けろ」
「ええ……どうしちゃったの、ママみたいだよ」
「誰がママだ」

 どうしてこの呑気さで、今まで一人旅なんかできていたのだろう。
 キバナがテントのペグを引っこ抜くと、メグはのろのろとポケモンたちをボールに戻し始めた。困り顔のサーナイトがキバナに近寄ってきて、テントを畳むのを手伝ってくれる。まるで「うちの子がいつも迷惑をかけて……」とでも言い出しそうな顔だ。片付けも随分手慣れているし、キバナなんかよりよほど母親のようである。
 サーナイトの手伝いでテントの片付けはすぐに終わった。メグを振り返ると、メグはモンスターボールを腰のベルトにつけているところだった。

「一応聞くけどお前、ライセンスは?」
「なんの?」
「飛行ライセンス。持ってるかって聞いてんの」
「……あぁ! 忘れてた、ガラルはそうだった。持ってる持ってる」

 意外さに、キバナは目を瞬いた。ジムリーダー歴もチャンピオン歴もなく、滅多にガラルにいないメグが持っているとは思わなかった。いつの間に取ったんだ、と考えていると、メグの方から「3年くらい前かな? 帰ってきたときに取ったんだよね。無いと不便で」と教えてくれる。

「不便?」
「あ、空飛ぶタクシーは便利だけどね。でも普段は自分のポケモンと飛んでるから、タクシーはなんか物足りないっていうか……スピードも調整できないしさ」

 ──他の地方では、空の移動手段として自分の鳥ポケモンを選ぶトレーナーは多いと聞く。ガラルで生まれ育ったキバナにとっては、風の噂に聞くだけの遠いどこかの話。しかしメグにとっては、そうではないらしい。
 そのとき、冷たいものがキバナの鼻先に落ちてきた。──雨だ。

「やっべ」
「ありゃ、降ってきちゃった」
「さっさと戻るぞ!」

 りょうかい。間延びした口調で呟いたメグは、サーナイトをボールに戻した。その間にも雨脚が強くなる。「荒れるかなあ」「朝からそう言ってんだろーが」「そうだった。うーん、それなら──」雨音も会話も掻き消すような羽ばたきが、真上から聞こえた。

「ちょうど良いタイミング! 街に戻るよ、お願いね、カイリュー」





 ぽつりぽつりと控えめだったのは、最初だけだ。雨脚は瞬く間に強くなって、雷鳴が鳴り響き、二人が街に戻る頃にはバケツをひっくり返したような勢いになっていた。
 家に帰すよりもナックルスタジアムの方が近いからと、二人揃ってスタジアムに転がり込む。数人のスタッフが慌てたようにバスタオルを持って駆けつけてくると、メグは曖昧に笑った。

「またご迷惑をおかけします……」
「ホントにな」

 もしもキバナが見つけなかったら、メグは今もまだワイルドエリアにいたのではなかろうか。

「一応ね、どんなに荒れてもちゃんと帰れるように、悪天候に強いカイリューを連れて行ったんだけど」
「だからなんで荒れるまでいようとしてんだよ。その前に帰れって」

 キバナの視線に、メグは肩を竦めた。「以後、気をつけます……」

「おー、そうしろ。……誰か、メグをシャワー室に案内してやってくれ」

 キバナがそう言うと、一人の女性スタッフがすぐに名乗り出て、てきぱきとメグを連れて行った。「そこまでお世話になるわけには!」「そういう指示ですので」「でも──」声が遠ざかっていって、ようやくキバナはほっと息を吐いた。

「ナックルシティもワイルドエリアも異常なし。今日みたいな日にワイルドエリアうろついてる一般人はあのバカくらい」

 見れば、自分の足元に水溜りができている。濡れた服がぺっとり体に張りついて気持ち悪い。「……報告書まとめる前にシャワー行ってくるわ」

 キバナがシャワーから戻ってしばらくして、すっかり乾いたメグがやってきた。服も、どうやら着られるくらいには乾いたらしい。室内を日照り状態にしてくれたコータス様様といったところだ。

「何から何までありがとうございます……」

 促されるまま事務室の隅にある来客用のソファに腰を下ろしたメグが、深々と頭を下げる。顔を上げたタイミングでテーブルにコーヒーが置かれ、メグは礼を繰り返した。それから、おもむろに窓の外を見る。激しい雨がガラスを叩き、まだまだ止む気配がない。

「……雨が止むまでいれば」
「えっ、完全な部外者だけどいいの」
「オレさまがいいって言ってんだからいいんだよ」
「じゃあ……もう少し弱まるまで」

 ジムスタッフに迷惑をかけたことを気にしているのか、どことなく悄気ているように見える。キバナに迷惑をかけることはそれほど気にしていなそうなのに──気を許して頼られているからだと思っておけばいいのだろうか。

「……怒ってる?」
「どっちかっつーと呆れてる」
「んん、ごめん」
「…………」

「……ガラルの観光名所ってどこ?」
「急にどうした」

 あまりにも脈絡が無さすぎる。思わずキバナは書類作業の手を止めて、メグの顔を見た。
 メグはマグカップを手に思案顔をしていた。急な話題転換はわざとなのか、それとも天然なのか、さすがのキバナにも判断がつかない。

「いや、実はね。近々、カロスの友だちが旅行でガラルに来るらしくて。案内してほしいって言われたんだけど……正直、ガラルのこと、よくわからないんだよね」
「一年の大半ガラルの外に行ってりゃそうだよな」
「やっぱりターフの地上絵かなぁ」

 半分独り言のような調子だった。

「あぁ、まーそうかもな」

 キバナは曖昧に答えて書類に向き直る。
 「仕事中にごめんね」と声がして、やや置いてスマホロトムを起動させる音が聞こえた。検索することにしたらしい。

「ラテラルの遺跡」

 ぼそりと呟くと、意外にもすぐ「確かに」と返答があった。

「ルミナスメイズの森はどうかな?」
「ルミナスメイズ? 好きなやつは好きだろうけど……観光地ではないだろ。フェアリータイプのイタズラで迷いやすいって話もあるし」
「そっかぁ。確かに観光客がいるイメージないかも……めちゃくちゃ珍しい場所なのに」
「そうか?」
「そうだよ。アラベスクタウンもだけど、他の地方ではあんなキノコ見たことない」
「ふーん。メグが案内するなら行ってみてもいいんじゃね。お前、今更あの森で迷わないだろ」
「たぶん。もし迷ったらキバナに連絡する」
「……仕方ねーから迎えに行ってやるよ」
「やった。さすがキバナさま、優しい〜」
「心がこもってねえ……」

 さっきまでの殊勝なメグはどこへ行ったのか。けらけら笑うメグを小突いてやりたかったが、そうするには距離が遠かった。わざわざ立ち上がるほどのことでもない。
 安心して迷子になれる、などとふざけたことを言うメグは、もうすっかりいつものペースに戻っている。頼られること自体に悪い気はしないが、道連れにされる友人はさぞ困るだろう。キバナがその友人なら、案内人に迷われたくはない。
 と、そこまで考えて。
 キバナはなんとなく気になって、何気ない調子で口を開いた。

「なぁ、その友だちって女? 男?」
「男友達だよ」
「は?」
「えっ、何」
「元彼?」
「え、えぇ……そーいうこと聞く…?」

 メグが口籠る。メグにしては珍しく。
 それがもう、答えみたいなものだ。

「違うからね。ただの友達。本当」

 そうやって念押しするから余計に怪しいのだということに、メグは気づいていないのだろう。誤魔化すようにコーヒーに口をつける。
 キバナは溜息をついた。メグの交友関係に口を出す権利はない。それはよくわかっている。わかっている、けれど。
 どちらからともなく押し黙ると、雨の音ばかりがいやに耳についた。
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