「帰ってくるたびキバナのファンが増えてるような気がするけど……もしかしてまた増えた? 気のせい?」

 急に何を言い出すかと思えば。
 キバナはスマホロトムをポケットから出しながら答えた。

「増えたんじゃね?」
「他人事みたいに言うね〜」

 メグは声に若干呆れを滲ませながら、カレーに入れる木の実を吟味している。

「何口にすんの?」
「悩んでる。辛口、甘口、渋口、どれがいい?」
「激辛」
「それは却下。……じゃなくて、ファンの話なんだけど」

 マトマの実をひとつ手に取って、メグはキバナを振り返った。

「最近私たち、よく二人でご飯行くじゃん?」
「おー」

 “最近”というよりむしろ“いつも”と言うべきだと思ったが、キバナは口に出さなかった。今日だって、ワイルドエリアのど真ん中に構えたメグのテントの前で二人でカレーを食べようとしているのだから、“二人でご飯”と言っても差し支えない。
 メグは手に取ったばかりのマトマの実をトレイに置き、その隣にオボンの実を並べた。先ほどもいできたばかりのもので、色つやもいい。
 木の実に触れる手元を見ながら、キバナは「それで?」と促した。

「それで……うん、まぁ、そうするとね、視線を感じるわけ」
「なるほど」
「振り返るとだいたい知らない人が見てる。いつも違う人で、高確率で女性」
「ほー」
「キバナのファンかな? って」
「あー」
「聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。まぁ十中八九オレさまのファンだろーな?」
「うっわ出たよドヤ顔。キバナって昔からずっとああだった?」

 メグがそう声をかけた相手は、木の実袋を持ってメグの隣に立っているサーナイトだ。
 このサーナイトは、最もメグと付き合いの長いポケモンである。もともとは、メグの両親のサーナイトとエルレイドが持っていたタマゴから孵ったラルトスだった。孵化したのは、二人がジムチャレンジに出るよりも前のこと。
 それだけ昔からメグのそばにいるサーナイトは、当然、キバナの幼い頃も知っている。サーナイトはメグの問いかけに小さく首を傾げ、キバナをじっと見つめた後、品を感じさせる笑い方をして主人の顔を見た。

「うーん、そうだね、やっぱりずっとああだった気がする……」

 ボヤいたメグに、サーナイトが静かに笑った。キバナはなんだか釈然としない。たしかに自分でも、昔からそう変わっていないとは思うが。

「どんどん増えるね、キバナファン」
「なに、もしかして妬いてる?」
「え、なんで?」

 振り返ったメグは真顔だ。「いや……マジで、なんで?」虚しくなるから繰り返さないでほしい。

「……腹立つ」
「本気で妬いてると思ったの? 自信過剰〜」
「うっせ」
「まーそれだけファンが増えればそれも当然か」
「増えたのはファンだけじゃねーけどな」
「うん? ああ、やっぱりアンチもいるの?」
「やっぱりってなんだよ」

 キバナは口を尖らせたが、それ以上の反論はしなかった。事実には違いないからだ。
 SNSを見ていれば、アンチの書き込みもファンの声援と同じように目に入る。
 尤も、キバナ自身はアンチに何を書かれようが少しも気にしていないし、アンチの書き込みを理由に振る舞いを変えるつもりもない。ただ、書き込みを確認したジム関係者からの小言が少し面倒なだけだ。
 キバナの声色だけでメグがどこまで察したのかはわからないが、メグは「有名人は大変だ」とだけ呟いた。笑っているようだったが、キバナの位置からでは表情は窺えない。サーナイトが小首を傾げて、メグの顔を覗き込んでいる。
 テントのそばでうとうとしているメグのニャオニクスを写真におさめてから、キバナはメグとサーナイトの側へ近づいた。見れば、並べられていた色とりどりの木の実はいつの間にか下処理まで終わっている。
 隣に立ったキバナをメグは見上げて、「そっちはどう?」と短く尋ねた。
 
「準備できてるぜ」
「ありがと、それじゃあ鍋もそっちに──」
「オレが持っていく」
「お願い」
「結局何カレー?」
「辛口アップルカレー。文句は聞かないよ!」
「文句なんかないっつの」

 ジムチャレンジをしていたあの頃から、キバナはメグのカレーを気に入っている。だからこそ、ワイルドエリアへ行くと言ったメグにキバナは勝手についてきたのだ。
 文句はない。仮にあったとしても、言わない。
 もしもキバナが不満を言えば、「勝手についてきたくせにそうやってわがまま言って」だとか「キバナのために作るわけじゃないんだよ」だとか言われるだろう。ツンデレと呼ばれるような類いのものではなく、正真正銘、本気の小言だ。

「今までもオレがお前のカレーに文句言ったことなんかなかっただろ?」
「えっ、それ本気で言ってる? あるでしょ!『今日は甘口カレーの気分じゃなかった』とか『なんでハンバーグカレーじゃねーの』とかさぁ……私覚えてるからね」
「……オレは忘れた」
「じゃあ思い出…さなくていいけどもう言わないでよ」
「言わねーって」
「まぁキバナって昔から大のカレー好きだもんね〜」

 メグが間延びした口調で言う。
 ……カレーが好きというか、なんというか。

「……まぁな」

 メグが作ったカレーが好きだったんだよなぁ、と、思う。はっきりそう言えば良かったのかもしれないが、沈黙とも呼べないくらいのほんの一瞬の躊躇いは、なんてことないように言葉を続けるには少しだけ長すぎた。
 キバナは誤魔化すように、日向ぼっこをしていたコータスを呼ぶ。

「おーい、コータス! 火を分けてくれ!」

 甲羅からもくもくと煙を噴き出しながら、コータスは心得たように鼻を鳴らした。



 少し前まで上空で追いかけっこをしていたキバナのフライゴンとメグのオンバーンが遅れて戻ってきて、キバナは二匹の前にカレーを並べてやった。思う存分飛び回って腹を空かせていたらしい二匹の食べっぷりは、見ていて気持ちいいくらいだ。

「そんなに慌てて食べなくてもカレーは逃げないのに」
「ヨクバリスに横取りされると思ってるんじゃねーの」
「あぁ、昔そんなことあったもんね! カレーの準備してたら野生のホシガリスにきのみ袋取られちゃって」
「オレさまが追いかけたんだよな。やたら素早くてなかなか捕まらなかった」
「そうそう! そっか、そういえばこの子たち、その頃から一緒だ」
「案外トラウマになってるのかもな」
「どうだろ? トラウマになってんのむしろ私かも。あれ以来、テント張るときは必ず周りにたくさんスプレーするようになった」

 メグは笑いながら、エレズンの口元にべったりついたカレーを拭った。
 ほんの数日前にメグの手持ちに仲間入りしたばかりのエレズンは、カレーを食べるのが随分下手らしい。エレズンという種族が皆そうなのか、それともこのエレズンが偶々そういう性格なのか。エレズンを育てたことがないキバナにはわからない。
 メグがエレズンの口周りを拭うたび、ぱちぱちと静電気の弾ける音がする。「いてて」と呟くメグの顔はデレデレで、言葉とは裏腹に少しも痛そうではない。思えば昔からメグはそういうやつだった。いっそのことポケモンブリーダーにでもなればいいのに。それか、ハノシマ原っぱの預かり屋でも継がせてもらうとか、……。

「そういやお前、結局いつまでこっちにいんの?」
「んー?」

 メグがエレズンの口元にスプーンを運んだ姿勢のまま首を傾げる。

「ごめん、なんて?」
「いつまでこっちいるのかって聞いてんだよ」
「急に? ていうか、言ってなかったっけ」
「何も聞いてないぜ」
「あれ?」
「明日発つとか言うなよ!?」
「まさか!」

 けらけら笑い始めたメグに、キバナはここ最近で一番冷ややかな目を向けた。その“まさか”をしでかすのがメグというポケモントレーナーだ。前科だってある。
 メグは一度、これまでの自分の行いを振り返ってみたほうがいい──キバナが小言を言う前に、メグは笑いながら言葉を続けた。

「しばらくどこにも行くつもりないから!」

 それは、予想していたどんな答えとも違う。
 キバナは拍子抜けして、メグの顔を凝視した。

「……マジ?」
「マジ。あちこち旅しながらジム挑戦しまくって、わりと満足したっていうか。これからはたまの旅行くらいでいいかなーって……何その顔」
「いや……正直、そろそろカロスに戻るのかと思ってたわ」
「なんでカロス?」
「今の彼氏、カロスのやつだったろ」
「えっいつの話してんの! 別れたよとっくに!」
「は!? いつだよ!?」

 聞いていない話ばかりだ。「いつ……?」と呑気に首を捻ったメグを横目にとりあえず口に運んでみたカレーは、なぜかあまり味がしない。

「もうかなり前だよ。やっぱ私も彼も故郷捨てられないからこう………自然消滅的な感じで」
「……へえ」
「なにニヤニヤしてんの」
「別に?」
「……ちょっと気持ち悪いよ」
「ガチトーンで言うな。……移住とかは考えたことねえの?」
「それはない」

 もっと悩むものかと思いきや、メグはきっぱりした口調で即答した。「ね」と同意を求められたサーナイトも、微笑みながらゆったりと頷く。

「旅はね、もちろん楽しいよ。旅先で仲良くなった人もたくさんいるし、気に入った街もたくさんある。でも私はやっぱりガラルが一番好きだから、帰る場所はガラルしか考えられないんだよね」

 その気の抜ける笑みを見ていたら、急にカレーの味が戻ってきた。……うん、美味い。
 キバナが残りを一気に掻き込むと、見ていたサーナイトがくすくす笑った。いや、もっと前からサーナイトは微笑んでいたかもしれない。人間の気持ちに敏感なこのポケモンには、キバナの心中などお見通しなのだろう。

「よし、今度飯いこーぜ!」
「えっ! 今カレー食べたばっかりなのにもう次のご飯の話する!?」
「なんだよ、行くだろ?」
「行くよ! 行くけどさぁ、」

 どれだけ食い意地張ってんの。成長期はさすがにもう終わったでしょ。
 そう言って声を上げて笑ったメグは、きっと何もわかっていないのだ。
 少しはサーナイトを見習えよ、この鈍感。
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