メグがガラルへ戻ってきて二週間。キバナが頻繁にメグと夕食をともにしていることは、いつの間にかスタジアムの関係者全員の知るところとなっていた。
 特段言いふらしていたつもりはないが、隠していたつもりもない。そもそも、頻度の差こそあれ、メグが帰ってくる度にキバナはメグを夕食に誘っている。キバナは今更誰に知られようと全く気にしていなかったし、ジムトレーナーたちもすっかり慣れた顔をしていた。
 スポンサー柄とでもいうのか、ナックルスタジアムには、世間一般がジムリーダー・キバナに持つイメージとは打って変わって真面目な性格のトレーナーが多い。公私混同はせず、何事もきっちりとこなし、冗談はあまり言わないような、そんな大人たちだ。
 しかし、それは決して堅物揃いということではない。時間を気にするキバナに「今夜もメグさんと約束ですか?」と声をかけて定時に上がれるように調整してくれる者もいれば、「相変わらず仲がよろしいようで」などと茶化してくる者もいる。時にはおすすめの店を紹介してくれることもあるほどだ。
 そんな連中ばかりだからこそキバナも平然としていられるのだが、今回は少し違った。
 新入りのジムトレーナーが、一人、浮かない顔をしている。なぜお前が浮かない顔をする必要があるのか。キバナが問えば、新入りは表情同様に沈んだ声でもって答えた。

「だって……SNSで話題になってますよ。大丈夫なんですか?」
「何が?」
「炎上とか……」
「いやー、そんなの今更だろ」

 褒められたことではないが、キバナがSNSで炎上したことは一度や二度ではない。
 キバナがけらけら笑うと、新入りジムトレーナーはわかりやすく顔を顰めた。

「キバナさんはそうでも、メグさんは違うでしょう」
「ああ、メグに迷惑がかかるって?」
「そうです!」
「んー」

 確かにここ数日、SNSの一部の界隈が『キバナと夕食をともにしている謎の女性』の話題で賑わっていることは、キバナも知っている。今カノ説、元カノ説に親戚説をはじめとして、その他諸説あるらしい。
 メグと一緒にいることがこんな話題になったのは、これが初めてだ。今まで騒がれなかったのがツイていたのか、それともたまたま今回がツイていなかったのか。

「写真まで出回ってるんですよ、ご存知ありませんか?」
「あー知ってる知ってる」

 SNSをやっていないメグはまだ知らないだろうが、日常的にSNSを使うキバナは噂の写真が投稿されたその日のうちにそれを見た。
 キバナと向かい合って座るメグの写真。投稿者にも多少の良心はあったようで、メグの顔がはっきりわかるようなものではない。あの写真でメグ個人を特定できるかといえば、なかなか難しいだろうとキバナは思う。
 仮に特定できる者がいるとすれば、それはメグをよく知っている者だろう。つまりそれは、キバナとメグの関係を知っている者とほぼイコールである。
 別にいかがわしい写真でもないし、やましいことも何もない。
 腑に落ちない顔をしている新入りに、キバナはまた笑った。

「まぁ大丈夫だろ」

 どうせまた何週間もしないうちに、メグはどこかへ旅に出るのだろうから。





 二人が食事に行くとき、店選びはキバナがする。メグは「ガラルもナックルシティも、私はもうよくわからないから」と言って毎回キバナに任せきりだ。それを煩わしいとは思わない。ただ、メグがガラルを離れていた時間の長さを実感するだけで。
 一年のうちメグがガラルで過ごす時間は、全部合わせてもはほんの一ヶ月くらいだ。時々ふらりと帰ってきて、数週間滞在し、また別の地方に旅立っていく。それがもう何年も続いている。
 メグが旅に出てはじめの数年、キバナは、毎回メグがどこか知らない人間のようになって帰ってくるように思えて、それが無性に気に入らなかった。
 背丈はいつの間にかキバナより頭一つ分以上低くなり、体つきは知らぬ間にまるみを帯び、仕草や口調からは子どもっぽさが消えた。昔みたいな気の抜ける話し方をすることはあっても、昔みたいに駄々はこねないし、負け惜しみのあっかんべもしない。十年ずっと一緒に成長してきたのが嘘のように、“キバナの知っているメグ”が少なくなって、“知らないメグ”が増えていく。

「あ、そういえば」

 物思いに耽っていたキバナははっとして、目の前のメグを見た。メグはちょうど、メインディッシュよりも楽しみにしていたらしいデザートにスプーンを入れるところだった。

「今年もダンデくんに負けたんだって?」
「……うるせ」
「やっぱり今でも強いんだねーダンデくん。あの頃も圧倒的だったもんなぁ」

 歪に欠けたマホイップパフェの頭を後ろから眺めて、キバナは頬杖をついた。

「試合観てねーのかよ」
「だってずっとガラルの外にいたんだよ。中継されない地域多いし、あったとしても旅してるとテレビなんてほぼ見ないし」
「それもそうか。その時期にあわせて帰ってくるとかいう発想はねーの?」
「なかったねぇ、自分のバトルに手一杯で」
「ああ、アローラリーグ荒らししてたんだっけか」
「ううん、その頃はホウエンにいた……ていうか私は荒らしじゃないからね。人聞きの悪いこと言わないでくれる?」

 メグは眉をつりあげながら、一掬いしたホイップを口に運んだ。パフェはもうマホイップを模していたことがわからないくらいに食べ進められ、胴体らしい部分しか残っていない。正面から見れば、なかなかグロテスクな見た目になっているのではないだろうか。

「ホントのことだろ。あちこちで殿堂入りしてるお前が行ったら実質荒らしみてーなもんじゃね?」
「全然違いますー。私は地方ごとに毎回一からバトルメンバー育ててこつこつジムバッジ集めた上で正式に挑戦してるんですー、あっこのきのみ美味しい!」
「そりゃ良かったな」

 ぱっと表情を変えるのが面白くて、キバナは笑った。
 しかしメグは、発言の前半を笑われたと思ったらしい。

「初心に返って旅してるだけで、うちの子たちはみんな強いからね? 手持ちリストラしてるわけじゃないから」
「わかってるっての。お前のとこのポケモン、どこに出してもすげー評判良いものな」

 メグは一瞬きょとんとした後で、破顔した。「でしょ!」

 本人が言う通り、メグはいつも旅先でメンバーを入れ換える。ジムチャレンジをしていた頃からただの一度も換えていないのは、おそらく一番の古株・サーナイトくらいだろう。
 では、連れて行けないポケモンたちはどうしているのか。
 自分の都合でずっとボックスに預けておくのはポケモンたちに申し訳ない、というメグが出した答えは、ポケジョブに派遣することだった。今、メグが育てたポケモンは様々な分野で活躍している。ポケジョブをよく利用する企業の間で『メグ』といえば、ちょっとしたブランド名にも等しい。
 メグがガラルを離れている間にポケジョブ派遣組のことで何かあれば、メグの代わりにキバナがその対応をすることになっていたが、これまで特に問題が起きたこともない。派遣先や派遣メンバー、そのシフト調整などに関しては、メグが帰省した際にずっと先の分まですべて段取りをつけていく。キバナがすることといえば、メグのポケモンたちと自分の休みが重なった日に自分の手持ちたちと一緒に遊んでやるとか、ワイルドエリアでのびのびさせてやるとか、そのくらいである。
 もちろんすべてのポケモンを派遣しているわけではなく、ポケモンの気性や生態に合わせて各地方の様々な場所で現地のトレーナーに預かってもらい、それぞれ“お手伝い”や“修行”をしているポケモンもいるらしいが、その辺りはキバナも詳しくは知らなかった。
 
「うちの子たちはみんな凄いんだから」

 にこにこ嬉しそうなメグがパフェを掬う。マホイップの面影はもうほとんど残っていない。

「知ってる」
「キバナにはいつも面倒見てもらってるもんね。ほんとありがと」
「そのうちお前よりオレさまに懐いちまうかもな」
「そんなこと、ない、とは言い切れないのがつらい……」
「オンバーンなんてもうすっかりオレに懐いてるぜ」
「え! ウソだ」
「残念、ホント。写真見るか?」

 声をかける前にキバナのスマホロトムが飛び出してきた。目当ての写真を表示させてメグの方へ向けてやれば、メグは微妙な表情でそれを覗き込む。

「うわっ、ホントにキバナに懐いてるみたいに見える〜! 悔しい……でもこの表情めっちゃ可愛くない?」
「親バカ。いい加減お前もスマホロトムに替えれば? そしたらこの写真も送ってやるよ」
「うーん……」
「ついでにこの前のダンデ戦のときの自撮りも送ってやるし」
「それはいらない」
「せめてもう少し悩むフリをしろ」

 キバナの言い分をメグはけらけら笑うだけで流し、パフェの最後の一口を口に運ぶ。
 ふと視線を落とすと、キバナを見上げるスマホロトムと目があった。やれやれとでも言いたげな、面白がる表情をしている。……コイツ。
 キバナは額にあたる部分を指でつついた。「笑ってんじゃねー」

「ロトムいじめハンターイ」
「人聞き悪いな、スキンシップだよ」
「ていうかキバナ、試合中に自撮りなんてしてんの?」

 今度はキバナがきょとんとした。キバナが試合で自撮りをすることは、ガラルでは既に有名な話だが──そうか、メグは知らないのか。
 キバナはメグの問いには答えずに、先日のダンデ戦で撮った写真を表示させた。この日の写真は、砂嵐に埋れることも半目になることもなく撮れた会心の一枚である。

「よく撮れてるだろ」
「見せなくていいって」

 そう言いながらも、メグはまじまじとスマホを見つめている。ガラルにいない、SNSも見ないとくれば、おそらくキバナが試合中に撮った写真を見るのは初めてなのだろう。

「惚れるなよ?」
「は〜? 調子乗んないで」

 メグは笑って切り捨てる。「私、ダンデくんみたいな顔が好みなんだよね」と冗談めかして続けたメグに「メグの顔はダンデの好みじゃねーと思うわ」と言い返せば、「え〜残念」と返ってくる。どちらからともなく、また笑った。

 ちっとも残念そうではないその口調にキバナが少しだけホッとしたことは、きっとロトムにもバレていないだろう。
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