そのくすぶりで土を踏め



※小学生のいざこざ
※好ましくない描写を含みます


 護藤守璃が“個性”を暴走させてしまい、1年4組の教室に誰も立ち入れなくなってしまった。至急、救助を求む。

 すっかり馴染みとなってしまった守璃の通う小学校最寄りの警察署から要請を受けた時、相澤は、ちょうど一仕事終えて事務所に戻ったところだった。ヒーローなんぞをしていれば、至急、緊急、という言葉は聞き慣れてしまうし、仕事はいつだって突然舞い込んでくるものである。あぁあの子か、とついさっき通り抜けてきたばかりの入り口を引き返し、事務所の車に乗り込んで小学校へと急いだ。
 相澤が現場に到着した時もまだ守璃の“個性”の暴走は治まってはおらず、見慣れた障壁が教室の出入口をすっかり塞いでいた。他の児童たちは教室が完全に塞がれる前に全員避難し、今は副担任に付き添われて別の教室で待機しているらしい。
 廊下では担任と養護教諭を含んだ数名の教師が障壁越しに中の様子を伺い、守璃の説得を試みていて、立て籠り事件さながらの様相を呈していた。

「守璃ちゃんの事情は把握していたんですけど今日は急にこうなってしまって……私たちも何がなんだか……」

 若そうな担任は狼狽した顔でそう言う。

「ずっと声をかけてるんですけど全然中に入れてくれなくて」
「……なるほど」

 状況を理解した相澤は頭をかいた。
 何が「事情は把握していた」だ。ろくに理解していないから「何がなんだか」わからないのだろうし、「中に入れてくれない」という言葉が出てくるのだろう。ここまで暴走させてしまったら、今の守璃では自分にもどうにもできない。「ずっと声をかけ」られて不要なプレッシャーを感じていたのであれば尚更だ。
 拗らせやがって、というのが正直な感想だったが、相澤は言葉にはもちろん表情にも出さなかった。

「……先生、ここからはこちらに任せてもらえますか」
「ええ、お願いします」

 担任はあからさまにホッとした表情を浮かべた。しかし、他の教師たちと目を合わせて何やら視線のやり取りをした後、「そうだ、」と口にした。

「私たちも何か――」
「いえ、結構。強いて言えば、黙っていて頂けるとそれが一番助かります」

 相澤の辛辣な物言いに担任は僅かにムッとしたようだったが、相澤は取り合わなかった。ここで話し込んでも時間の無駄でしかない。さっさと教師らに背を向け、首の武器に手を伸ばした。
 到着した時点で教室の出入口は一切隙間なく塞がっていて、指先さえ入り込むことはできず、廊下側から守璃の姿は確認できない。となれば、一度外に回って、窓から教室の中に入るのが一番手っ取り早い方法だった。やや気温の高い日だったこともあって、窓は開けられている。捕縛武器を活用しながら窓まで登れば、担任と話してから中に入るまでに五分とかからなかった。

「守璃ちゃん。どこにいる?」
「……イレイザーヘッドさん」

 守璃は教室の隅で蹲っていた。呼び掛けに反応してあげた顔は、いつから、どれくらい泣いていたのか、涙でぐちゃぐちゃに濡れている。
 相澤は整然と並ぶ机の上や隙間にランダムに散らばっている障壁を確認すると、いつものように自身の“個性”で守璃の“個性”を消してやった。

「ごめんなさい…」
「謝ることはないさ、これも俺の仕事だ」

 立たせて顔を拭ってやり、とんとんと肩を軽く叩く。ざっと見る限り、怪我などはない。

「……何があった?」

□□□

 場所を保健室に移し、ぽつりぽつりと守璃が話したのは、騒動の直前にあったクラスメイトとのやり取りだった。
 体育のドッジボールでボールが当たりそうになった時、うっかり“個性”を使って弾いてしまったことについて、「ずるい」
 守璃の“個性”の件を知っている担任が「大目に見てあげてね」とフォローしたことについて、「ヒイキだ」
 それらを面と向かって言われたので泣きそうになりながら謝れば、「うざい」

「なんでそんなすぐ“個性”つかうの」
「みんな、つかっちゃダメっていわれるのに!」
「守璃ちゃんだけトクベツあつかいみたいじゃない?」
「そんなに“個性”見せびらかしたいの?」

 そんなやり取りのあと、誰かが、背中に向かって消しゴムを投げた。そして――。

「……そういうのは、前からあったの?」

 養護教諭が問いかけると、守璃は首を横に振った。
 守璃が小学校に入学した日から、遅かれ早かれいつかこういうことが起こるのではないかとは思っていた。
 超人社会となり様々な面で多様化が進んだこの時代でも、子どもというものの中身はあまり変わらない。ほかの子どもと違うところがあればその子はターゲット(・・・・・)にされやすいし、それぞれに“個性”がある分、怪我のリスクは高くなった。子どもたちはちょっとしたからかいや押し合いのつもりでも、“個性”の性質や相性次第では、双方が予想だにしなかった大怪我に繋がりかねない。今回は、相手が“個性”を使わず消しゴムを投げるにとどまったこと、守璃の“個性”が基本的に攻撃向きでなかったことを、不幸中の幸いと呼ぶべきなのかもしれなかった。
 養護教諭とも相談して守璃は今日はこのまま早退させることを決め、担任への連絡やクラスメイトへの指導などはすべて養護教諭に任せることにする。学校が今回の件をどう受け止め、今後どう対応していくかは、保護者ですらない相澤が口を出せるものではない。
 養護教諭が教室に守璃の荷物を取りに行っている間、相澤は守璃を施設まで送ってから戻ると事務所に連絡を入れた。事務員の方も慣れたもので、「そうなると思ってました。了解です」とあっさりとした返答だ。
 通話を切って守璃を見ると、まだ情けなく眉を下げたまま、小さくなっていた。
 かける言葉を探しているうちに、守璃のランドセルを抱えた養護教諭が戻ってくる。まだ新しいランドセルには、オールマイトのマスコットタイプの防犯ブザーがぶら下がっていた。

 助手席に守璃を乗せて車を走らせると、すぐに守璃が口を開いた。

「……いつも、ごめんなさい」
「君が謝ることじゃない」

 相澤がそう言えば、「でも、いつもごめいわくをかけてるから……」という、 その年齢に似つかわしくない答えが返ってくる。
 生意気なうるさい子どもは好きではないが、ここまで殊勝な子どもというのも考えものだと思う。

「迷惑をかけられてると思ったことはないんだが……」
「……ほんと?」
「ああ。嘘はつかないよ」

 赤信号で車を停め、ちらりと様子を見ると、守璃はどこか腑に落ちないような顔をしていた。目には涙を浮かべ、膝に載せたランドセルを抱える手はかたく握られている。

「みんなちゃんと“個性”つかえるのに、どうしてわたしはダメなんだろう……」
「そりゃ……個人差があるからだ。悪いことじゃない。守璃ちゃんも前よりだいぶ良くなってるよ。大丈夫だ」
「でも、イレイザーヘッドさんもずっとはわたしをみてられないって、先生が言ってた」
「……そうだな、確かにずっとは無理だろうな。でもまだしばらくは問題ない。今日みたいに、何かあればすぐに行って見てやれる」
「しばらくって、どれくらい?」
「……心配しなくても、守璃ちゃんが“個性”をちゃんと使えるようになるまでは見てるつもりだ。安心していい」

 職業柄、いつになるかもわからない先のことについて確かな約束はしてやれないが、少なくともそれだけの心積もりはある。出会った時から既に二つ歳を重ね、いくらか背丈も伸びたこの少女が、“個性”を制御出来るようになるまでどれくらいかかろうと、ここまで関わったならせめてしっかりと見届けてやりたかった。
 それは己の義務であるような気がしたし、同時にただのエゴであるような気もした。
 しかしどちらにしても、自分のするべきことは変わらない。
 もしもあの日、あと少し早く現場に駆け付けていたら――そんな風に考えてみたところで、とっくに終わってしまったことは今更変えようがないのだ。No.1ヒーローでさえ手が届かない“もしも”を考えるより、この子のこれからのことを考えてやるほうがよほど合理的に違いない。
 守璃は、ホッとしたように表情を和らげていた。
 少しして「ありがとうございます」とやはり歳のわりにはあまりにも大人びた返事がある。その舌足らずな音にだけ、年相応の幼さを感じられた。
 信号が青になる。
 あとひとつ先の交差点を曲がれば施設に着く。相澤は手を伸ばして、目尻に溜まった涙を指で拭ってやり、車を走らせた。

180629 / title by ユリ柩
家族になる前の、他人行儀な呼び方をしていた頃のお話。
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