右手と左手の受難



 やばい。私、今日が命日なのかもしれない。

 爆豪の怒号を至近距離で聞きながら、守璃はそう思った。

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 簡潔に言うと、爆豪と守璃は“個性”事故に巻き込まれた。爆豪の右手と守璃の左手の甲同士ががっちりくっついて離れなくなってしまったのである。
 並んで職員室へ報告しに行ったとき、相澤は彼にしては珍しく目を丸くした。第一声は「なんだそりゃ」である。続いてやって来たプレゼント・マイクとミッドナイトが「ヤベェな!」「見てるこっちがドキドキしちゃう!」と声をあげ、13号が「笑い事じゃないですって」と二人を窘めた。爆豪が「センセーならなんとかしろよ!」とキレて、相澤に“個性”を使わせたことは言うまでもない。
 発端となった“個性”の持ち主によると、この状態が続くのは早ければ数時間、長くても一日以内には自然と離れるらしい。それまでの間はどこへ行くにも二人一緒に行動しなければならない。
 当然、爆豪はキレた。そりゃあもう、隣にいるのが恐ろしいほどに。
 一方、守璃は戦慄した。見も知らぬ誰かとくっついてしまうよりは断然マシだとはいえ、よりにもよってあの爆豪だ。
 たとえばこれが女子の誰かだったり、切島や障子だったりしたら、こんな恐ろしさは感じなかっただろう。お互い「困ったね」「迷惑かけると思うけどよろしくね」と苦笑しあって、どうにかこうにか協力しながら一日を過ごしたに違いない。
 けれど相手が爆豪となると、協力しながら一日を過ごせるビジョンが全く思い浮かべられない。
 どれだけ引っ張ってみても皮膚が千切れそうに痛いだけでちっとも離れそうになく、「こりゃ自然に離れるまで我慢するしかないね」とリカバリーガールに宣告されてからまだ十分も経っていないが、守璃の心は早くも折れそうだった。
 憤怒の形相の爆豪と、この世の終わりのような顔をした守璃が文字通り並んで教室に入ったとき、最初に気がついたのは上鳴だった。

「エッ何どういう状況!? 手繋いでんの!?」
「繋いでねェよよく見ろやクソが!」

 爆豪が右手を勢いよく振り上げると、守璃の左手も一緒に持ち上がる。あまりの勢いに皮膚が引っ張られて痛いくらいだったが、抗議の声を上げる気にはなれなかった。

「何それ!? くっついてんの!?」
「なんで!?」

 集まってきたクラスメイトに、爆豪は大きな舌打ちをした。

「うるせえ! 散れ!」

 けれど、この数ヶ月同じ教室で机を並べ、同じフィールドで訓練してきたクラスメイトたちはもはやその程度では怯まない。驚いたり面白がったりと反応はそれぞれだが、みんな近寄って二人の手をよく見ようとする。峰田に至っては血眼で爆豪ににじり寄り、「そこ代われよ爆豪ォ…!」とまるで呪詛でも吐き出すかのように唸った。
 守璃としては、爆豪の右手がいつ爆破を起こすか気が気でない。

「もしかして“個性”事故?」
「うん……しばらく取れないっぽいんだよね……」
「ツイてないねぇ」
「トイレとかどーすんの」
「……我慢するしかないよね?」

 爆豪を見上げると大きな舌打ちが降ってきた。よくわからないが、おそらく肯定だろう。爆豪は何か案があるならハッキリ言うタイプのはずだ。もしかすると、聞くまでもないことをいちいち聞くな、という意味なのかもしれない。
 少しでも早く元に戻りますように。守璃はそう祈るしかなかった。

□□□

 授業は爆豪の右隣りの耳郎と席を代わってもらい、机をぴったりくっつけて受けることになった。

「一日よろしくー」

 反対隣りの上鳴が笑顔で手を振ってくれる。できれば半日くらいで元に戻りたい守璃は、曖昧に笑った。
 爆豪と手の甲が繋がったこの状態、特筆すべきは何をおいてもその不便さだ。
 手の甲がべったりくっついてしまっているので、爆豪が右手を動かすと当然守璃の左手も同時に動く。爆豪がノートを取ったり教科書をめくったりするのに合わせて、守璃の腕も引き摺られるのだ。
 爆豪のノートの端が守璃の腕の下でくしゃくしゃによれる度、守璃は小声で「ごめん」と呟いた。爆豪の返事は煩わしげな舌打ちだけだ。
 守璃は守璃で左手が全く使えないので、ノートを取りながらページをめくるのも、消しゴムをかけるのも、すべて右手だけでやらなければならない。爆豪に合わせて動く左手は守璃の予期しない動きをするし、ただの現代文の授業なのに異常なほど気疲れする。爆豪にも気を遣うので、ずっとハラハラしっぱなしだ。
 机から消しゴムが転がり落ちたときにはどうしようかと思ったが、すぐに斜め前の障子が気づいて複製腕で拾ってくれた。焦る守璃の机の上に、無言でぽんと消しゴムが置かれたときの安堵感といったら言葉にできない。地獄に仏とはこのことか──守璃はわりと真剣にそう思った。
 不便さに次いで困ったのは、先生たちの反応だ。セメントスやエクトプラズムは気遣ってくれたが、プレゼント・マイクとミッドナイトはどうも二人の状況を面白がっている節があって、守璃と目が合うとわかりやすくにやにやした。ほかの教師より親しく――それが良いことがどうかはさておくとして――マイクに至っては付き合いの長さ相応に気心も知れているから、どうしても揶揄いたくなるのだろう。
 問題は、その視線に気がつくのは守璃だけではないということだ。ただでさえ爆豪は鋭い。生暖かい視線に爆豪が舌打ちをする度、守璃はびくりとした。そんな爆豪の反応も大人にとっては可愛く見えるのかもしれないが、生憎守璃にそこまでの余裕はない。
 爆豪の心底邪魔そうな、鬱陶しそうな舌打ちは何度も聞こえてきた。繋がった手からは爆豪の苛立ちが直に伝わってくる。とはいえそれを守璃にぶつけても仕方がないことは爆豪もわかっているためか、直接文句を言ってくることはなかった。
 やっと午前の授業が終わって、昼休みになった。いつもなら耳郎や八百万たちと昼食をとるところだが、今日ばかりは、爆豪と一緒だ。
 爆豪が食事を口に運ぶのに合わせて守璃の左手も持ち上がる。自分の食事どころじゃない。

「護藤それでメシ食える?」
「大丈夫か?」
「んー……」

 向かいに座った上鳴と切島が気遣わしげな顔をする。

「なんとかする」
「あ! 俺、食べさせてあげよっか!?」
「や、それはいいよ……」

 そんな会話をしている間にも、守璃の左手は自分の意思に関係なく上がったり下がったりしている。お椀を持てなくても食べられるようにと考えてオムライスにしたのだが(切島が代わりに並んでくれた)、左手が勝手に動いているとどうにも食べにくい。

「でも全然進んでねーじゃん」
「爆豪はもう食べ終わりそうだぞ」
「えっ早」

 すると爆豪が一際大きな舌打ちをした。
 たしかに爆豪の皿にはもうほとんど残っていない。

「オイ、モブ顔女」
「えっうん、なに」
「こっち見てる暇あんならさっさと食えや。テメェが食ってると俺が動けねーだろが」
「う、ハイ、そうだよね……急ぐね。左手、ちょっと動かしてもいい?」

 爆豪は舌打ちをしたが、何も言わない。
 了承の意ととった守璃は、おそるおそる左手を動かした。当然のことだが、爆豪の手がぴったりくっついてくる。爆豪が苦虫を噛み潰したような顔をしているのは見ないふりをして、大急ぎで昼食を食べ進めた。
 すぐに切島と上鳴が口を挟む。

「あんまり慌てんなって!」
「そーそー! 喉に詰まらせんなよ!」
「爆豪もあんま急かすなよな。護藤可哀想だろ」

「あぁ?」凄んだ爆豪が守璃を振り返った。「オイ、モブ顔!」

「っえ、なに」
「急に掻き込んでんじゃねーよ……俺が急かしてるみてーになってんじゃねーか!」
「えぇ……爆豪くんさっさと食えって言ったじゃん……ガン見してくるし……」
「してねェ!」

 至近距離で怒鳴られ、守璃は思わず顔をしかめた。鼓膜が破れたら困る。

「じゃあ程々に急ぐから……」
「みみっちいぞ爆豪」
「護藤なんも悪くねーじゃん」
「うるせェな! んなこたァわかってんだよ!!」
「だったらもう少しは気ィつかってやれよー」

 二人のゆるい口調と爆豪の怒号の対比はなんとも奇妙だ。三人の会話をBGMに、守璃は食事を再開した。
 爆豪の左手では爆発が起こっている。
 ――けれど、考えてみれば。
 休み時間にクラスメイトに揶揄われたときも、今も、爆豪は右手では“個性”を使っていない。爆豪なりに気を遣ってくれていたのだろうか。
 黙々とオムライスを食べていると、不意にぷちんと何かが弾けるような小さな音がして、左手が軽くなった。

「あ」
「……取れたか」

 おかしなとこはねーな。
 自分の手の甲を素早く検分した爆豪が、ちらりと守璃の左手を見下ろしてそう呟いた。それが単なる独り言だったのか、守璃に向けられたものだったのか、守璃にはわからない。
 ただ、手の甲が離れた途端に両手で“個性”を使い出した爆豪の様子を見る限り、半日気を遣われていたことだけは確からしいと思った。
 ――わかりづらい。わかりづらいけれど、爆豪なりの優しさというか、思いやりというか、そういうものなのだろう。
 守璃は自由になった左手の甲を撫でながら、爆豪を見上げた。
 取っつきにくい印象はまだ拭えないものの、ただの暴君ではないことは間違いない。上鳴や切島と言い合っている爆豪の横顔は相変わらず敵顔負けだが、それでもなぜか守璃が食べ終わるのを待ってくれているので、守璃はこっそり笑ってしまった。

190503
40万打企画@沙梨さん
if 爆豪と体の一部がくっついてしまったら
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