加速していく運命によせて



『A組、敵に襲われたって聞いた』『大丈夫?』『落ち着いたら連絡して』


 そのメッセージに返信していなかったことを守璃が思い出したのは、A組がUSJで敵の襲撃を受けた翌日――臨時休校となった日の、夜のことだった。メッセージを受信日時は、昨日の夕方。画面に表示されたポップアップで内容には目を通していたが、既読さえつけずに二十四時間以上放置してしまっていた。心配してくれた相手に対して、随分と失礼な態度である。
 しかし言い訳を聞いてもらえるならば、昨日は返信をするだけの心の余裕がなかったのだ。敵が雄英の施設に侵入してきたこと自体が十分ショッキングな出来事であるのに加え、相澤が重傷で病院に運ばれ、まだ意識が戻っていなかったからだ。全身を包帯に覆われた姿とはいえ五体満足な状態でこうして相澤が帰宅して、話をして、それでようやく人心地つけたのが今なのであって、決して故意に無視していたわけではない。
 とにもかくにも、返信していないことに気がついた守璃は慌ててトーク画面を開いた。相手は心操人使――守璃の幼馴染みである。

□□□

 幼馴染みとはいっても、心操と守璃はずっと一緒に過ごしてきたわけではない。

 心操は、守璃が相澤家に引き取られるよりもずっと前――つまり施設に入るよりも前に、実母と暮らしていたアパートの隣の家に住んでいた男の子だ。心操は守璃と同い年で、当時は遊び相手といえば彼に決まっていた。同い年の子どもは、近所にはほかにいなかったからだ。
 おそらく親同士も歳が近かったのだろう。母親同士の関係も良好で、いわゆる家族ぐるみのお付き合いなんてものをしていた。
 しかし守璃が施設に入ったのをきっかけに、なかなか会えなくなった。施設が同じ学区内にあったおかげで同じ小学校には入学できたものの、クラスは離れていたし、施設と心操の自宅とは真逆の方向にあって、一緒に登下校するということもできなかったのだ。
 会えるのは休み時間と放課後の限られた時間だけ。
 それでも、急激に変化した環境やクラスメイトとのすれ違いに神経をすり減らしていた当時の守璃にとって、それは大切な時間で、心操は特別な存在だった。やがて相澤家に引き取られることが決まり、転校しなければならなくなったときには、別れがつらくてこっそり泣いた覚えがある。
 ギリギリまで転校のことを言えなくて、けれども言わなければという気持ちはあって、うじうじしていたら心操に心配された。それでもなかなか言い出せず、きちんと打ち明けられたのは転校する直前、最後の登校日になってからだった。
 打ち明けた瞬間の心操の顔を、おそらく守璃は一生忘れないだろう。
 守璃が転校するのだということを辿々しく打ち明けて、「あしたからちがうなまえになるし、きょうが、こっちの学校にくるさいごなの」と言った瞬間の心操は、まさしく雷に打たれたような顔をしていた。

「は?」

 と、短く発された音は鋭く、刺すような冷え冷えとした響きを持っていて、確かに守璃の心臓を突き刺した。今になって思えば、あのとき先に相手の心臓を言葉で一突きにしたのは、紛れもなく守璃の方だっただろう。だというのに当時の守璃は、その鋭さに思わず怯み――身勝手にも――泣いてしまったのだった。

 ぼろぼろと泣き出した守璃を見て我に返った心操の一言目は「泣くのはずるい」だった。

「そういうのって、すごくまえから決まってたんでしょ」
「なんでもっとはやく言ってくれなかったの」
「言うタイミング、もっとまえにもあったよね」
「いま言われても、こまる」

 矢継ぎ早に繰り出される正論に、守璃は何も言えなかった。
 最後にはたぶん心操も泣いていた気がする。あくまでも、たぶん、だけれど。
 守璃の涙でしとどになった顔を、心操は自分のハンカチでごしごし拭ってくれた。怒っていたのか寂しいのを誤魔化すためだったのか、少し力が強すぎて、それが痛くてまた涙が出て。そうして結局、心操とは、泣きはらした真っ赤な目と顔で、ごめんもありがとうもろくに言えないまま――もちろん自分が悪い――別れることになったのだ。
 いつ思い出しても恥ずかしく情けない、苦い記憶のひとつである。

 そんな気まずい別れ方をしたものだから、ずっと心のどこかで心操のことが気にかかっていた。たくさんの受験生がひしめく入試の実技試験会場で、よく似た面差しの人がいることに気がついたのも、きっとそのせいだろう。
 試験の後、声をかけたのは守璃のほうだった。他人の空似の可能性を考えなかったわけではない。それでも、帰り際にもう一度あの横顔を見つけたとき、考えるよりも先に呼び止めてしまっていたのだ。
 振り返った心操の怪訝な表情が驚きに染まる。懐かしさと再会の喜びを、ほんの少しの気まずさが邪魔していた。無理もない。守璃の転校からおよそ八年が経っている。
 けれども、守璃はせっかくの再会をふいにしたくなかった。
 連絡先を交換し、その日から少しずつ、話をした。最初に守璃が八年前のことを謝ると、心操は「まだ気にしてたんだ」と驚いた風に笑った。「俺、怒ってたわけじゃなかったよ。ただ急な話でびっくりしたっていうか。……まあ、それなりにショックだったのは確かだけど」

 入試の合否通知が届いたときには、お互いに自分の結果を報告した。
 心操は通知が届く前から「合格は絶望的だから普通科からの編入を目指すつもり」と話していて、「ヒーロー科やっぱりダメだった」と連絡がきたときも、心操の態度は至っていつも通りだった。
 ――少なくとも守璃にはそう見えた。決して、悔しくないはずがないけれど。

 残念ながら同じ科への進学は叶わなかったものの、四月から同じ学舎には通っている。お昼を一緒に食べることもある。
 連絡はしょっちゅう取り合っていた。それこそ、八年の空隙を埋めるように。気まずい別れ方をしてしまった幼馴染みとこうしてまた親しく出来るようになったことは、二人にとって素直に喜ばしいことだった。

□□□

『連絡遅くなってごめん』『先生たちのおかげでみんな大丈夫だよ』


 守璃が送ったメッセージにはすぐに既読がついた。
 心操には、相澤が守璃の義兄であることも知られている。心操のことだから、おそらくそちらも気にかけてくれているだろう。続けて『兄さんも命に別状はなくて』と、相澤の無事を伝えるメッセージを入力していると、アプリが着信を告げる画面に切り替わった。

「わ――も、もしもし」
「連絡が遅い」

 心操の第一声はそれだった。怒っているというわけではなさそうだったが、声色はあまり穏やかではない。

「それどころじゃなかったのはわかるよ、でもさすがに丸一日返信なかったら心配するだろ」
「ご、ごめん」
「…………怪我はしてないんだよね」

 確かめるように心操が言う。
 電話では見えるはずもないのに、思わず守璃はこくこく頷いた。

「してないよ、全然」
「なら良かった……いや、良くはないか、相澤先生が重傷って聞いた――」
「えっと、それも一応大丈夫。兄さん、今日退院した」
「……退院した?」

 耳元で鸚鵡返しされて、守璃は溜め息とも笑いともつかない曖昧な声で返事をする。思い浮かぶのはあのミイラ然とした相澤の姿だ。今は自室で休んでいるが、本来ならまだ病院にいて然るべき怪我である。担当医が、せめてあと一日だけでも病院にいてはどうかと最後まで引き留めようとしていたことも知っている。
「俺が聞いたのは重傷で緊急搬送されたって話だったんだけど……」と続いた心操の困惑が滲んだ声に、今度こそ守璃は溜め息を零した。

「うん、そう。重傷だったんだけど、リカバリーガールの治癒で骨がくっついたから退院するって言って」
「……プロ意識凄いな」
「良く言えばそうだけど……」

 心操相手にぼやいたところでしかたがないのだが、守璃はひっそりと口を尖らせた。声色が変わったことに気がついた心操が、溜め息混じりに笑ったのが聞こえる。電話の向こうで零れた決して触れることのないその吐息に、少しだけ擽ったさを覚えた。

「笑い事じゃないよ」
「うん、わかるよ」

 やわらかい声音で心操は言った。それから、続ける。

「――明日の昼、」

□□□

「昨日……っていうか、一昨日かな……ごめんね」

 ランチラッシュのメシ処は相変わらず大盛況だ。なんとか心操と合流して席を確保した守璃の一言目は、昨夜から決まっていた。電話越しの第一声、その声音が、どうしても忘れられなかったからだ。せっかく一緒に昼食をとる約束をしたのだから、直接謝っておきたい。
 早くも定食のとんかつを頬張っていた心操は、首を傾げた。

「ん?」
「返信、遅くなって」
「ああ……うん、いいよ」

 怒っている風でもなく、ごく普通の、いつも通りの声色だ。

「次からは人使くんに最初に連絡する」
「いや、次の機会はないのが一番だし、万が一あったとしたら最初は家族に連絡した方がいいと思うよ」
「そ、そっか」
「うん」

 頷いた心操に、「食べなよ」と促されて、守璃もやっと自分の昼食に箸をつけた。ミイラになった相澤がしばらく弁当は要らないというので、今日は守璃も弁当ではない。メシ処のメニューはどれも美味しいが、とりわけ、つやつやほかほかのご飯が食べられるのは嬉しいものである。
 ふと視線を感じて心操を見れば、心操もじっと守璃を見ていた。

「なに?」
「いや、思ったより元気そうで良かったなって」

 思わず口ごもる守璃に、心操はかすかに笑って続ける。

「俺が知ってる守璃は、大事なことほど言えなくて一人で考え込むところがあるから」
「……それはもしかして、転校のこと直前まで言えなかったのを――」
「それだけじゃないけどね。守璃が施設入った経緯も“個性”の話も、俺、だいぶ後に聞いたし」
「う」
「だから連絡こないどころか既読すらつかないのも、実は怪我してるからじゃないかとか、相澤先生の容態が相当ヤバくて一人で思い詰めてるのかもとか……。たぶん守璃が思ってる以上に心配してた」

 心操の声はいつも通り静かだったのに、不思議とこの場の喧騒に掻き消されることなく守璃の鼓膜を打った。なんと答えたらいいのか、守璃が上手い言葉を見つけられないでいるうちに、心操は言う。

「そういうわけだから、次からはちゃんと連絡してもらえると嬉しいかな。一番にじゃなくていいからさ」

 それでこの話は終わりのようだった。心操はなんでもないように食事を再開する。
 ――昔から、心操は守璃を気にかけてくれる。
 お互い“個性”の関係で友達が少なく、お互いが特別な友達だった。けれども、幼馴染みだからというのを抜きにしても、心操は優しい。そういう性分なのだ。
 余計な心配をかけてしまった申し訳なさだとか、気遣いのありがたさだとか、こうして気にかけてくれることへの嬉しさだとか。それらがすべてがない交ぜになると、胸がじんと熱くなった。その上、目の奥までじんわりと熱くなる。
 心操が目敏く気づいて慌てる前に、守璃は「絶対する、約束する」と片言のように呟いて、味噌汁に口をつけた。

181111 / title::エナメル
40万打企画@津波さん
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