ウィークエンド・ファズ



 土曜日、時刻は23時07分。夕食や入浴を済ませ、翌日が休みであることに甘えていつもよりものんびりと過ごしている――そんな時間に、突然、チャイムが鳴り響いた。

 守璃と相澤が暮らしているこの部屋のチャイムは、滅多に鳴らない。守璃がここに友人を呼ぶことはなく、相澤が誰かを呼ぶこともないからだ。そもそも相澤は家に人を招くような社交的なタイプではないし、守璃は守璃で、ここへ越してきてからというもの誰にも住所を明かしていない。もっともらしい理由を挙げるなら、ならず者からの恨みを買いやすいヒーローの身内として、防犯を徹底するため。一番の理由を有り体に述べるなら、相澤と二人暮らしをしていることが級友にバレないようにするためだ。
 何せ今のところ、相澤と守璃が身内であることは教師にしか知らされていない。小学校の同級生だった飛井にはバレてしまっているものの、それも口止め済みである。
 言ってはいけないと釘を刺されたわけでもないが、守璃は相澤から明確な許可が下りない限りは誰にも言わないつもりでいた。いくら本人たちが家族のつもりでも、戸籍上の関係は赤の他人だ。クラスメイトや世間がどう思うかわからないし、こんなことで相澤に余計な迷惑をかけたくはない。
 そういうわけで、この住所を知っているのは雄英の教師くらいのものなのだが、少なくとも守璃がここに住み始めてから、教師の誰かがやって来たことはなかった。家主が誰も招かないのだから当たり前だ。
 けれども、土曜日の23時を過ぎたこの時間に、チャイムは鳴った。


 相澤が酷いしかめ面でインターホンを見やったとき、もう一度チャイムが高らかに鳴らされた。それと同時に、リビングのテーブルに置かれていた相澤のスマホが震える。すぐには止まらないところを見るに、メールではなく着信のようだ。
 しかめ面のままスマホを取り上げ画面を確認した相澤は、大きく舌打ちをした。

「あいつ……」

 低い低い呟きは、まるで呪詛を吐き出しているかのよう。
 守璃は思わず苦笑した。最初こそ何者かと身構えたが、この状況と相澤の反応から自ずと“犯人”がわかってくる。

「どうするの?」
「どうするもこうするも――」

 ピンポンピンポンピンポーン! ――連打である。
 相澤がもう一度、今度は先程よりも大きく舌打ちした。

「酔ってやがんな」
「早くやめてもらわないとご近所に迷惑だよ」
「ったく……水用意しておいてくれ」
「うん」

 ミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出すためにキッチンに向かった守璃の背後で、ドアを開ける音、そして「やーっと開いたー! 待ちくたびれちゃったぜぇ!?」と大きな声が聞こえてきた。間髪入れずに「うるせえよ」とドスのきいた相澤の声もする。

「シヴィー!」
「何時だと思ってやがる」

 なにかやわらかいものを殴ったような鈍い音、それとほぼ同時に「ヴッ」という呻き声が続いた。

「腹パンはヤメテ……」
「うるせえ」

 それから、重いものを引き摺るような音がして、守璃はついドラマや映画によくあるシーンを思い浮かべた。殴打されぴくりとも動かなくなる被害者、被害者をずるずると引き摺ってどこかへと運んでいく犯人。とあるマンションの一室で起きた殺人事件、その被害者と犯人はともにプロヒーローだった――ちょっと探せば作品のひとつや二つ見つかりそうだが、あまりぞっとしないあらすじである。
 守璃がそんなことを考えながらミネラルウォーターのボトルとコップを持ってリビングに戻ると、ソファの上に私服のプレゼント・マイクが投げ棄てられていた。

「死んでる……」
「生きてる! 殺さないで!」

 マイクは勢いよく起き上がって異を唱えた――かと思えば、小さく呻き声をあげて項垂れる。顔面は蒼白だ。まとっている酒の匂いもかなりきつい。

「もしかして吐きそうです?」
「吐くならトイレ行けよ」
「お前の腹パンが効いた……」
「それだけ飲んでりゃどのみちそうなってただろ」

 眉をひそめた相澤がマイクを追いたてる。守璃はミネラルウォーターとコップをテーブルに置いて、よろよろ覚束ない足取りで歩いていくマイクの丸まった背中を見送った。

「……トイレの場所わかるかな」
「大丈夫だ。前にも来たことあるからな」
「あ、そうなんだ。ちょっと意外」
「呼んだわけじゃねえぞ。飲み過ぎると勝手に来るんだよ」
「酔った勢いで?」
「いや、家まで帰れなくて」
「あぁそういう……」
「いつもの店からならウチは近いからな」
「へー。帰れないってことは、泊まってくの?」
「あー……いつもは勝手にそうしていくんだが……今日はどうだろうな。お前もいるし」

 相澤は守璃を見下ろして、ボサボサの頭を掻いた。

「……私が引っ越して来てから今まで一度もこういうことがなかったのって、もしかしてそういう?」
「あいつも配慮してたんだろ、一応」

 つまり、女子高生と二人暮らしの部屋に三十路の酔いどれ独身男が転がり込むのは如何なものか、と。
 その上プレゼント・マイクはヒーロー兼教師で、守璃は彼が勤める学校の女子生徒だ。守璃はマイクを信用しているし、何かよからぬことが起こるとは思わないが、どこからどう情報が洩れねじ曲がって広まるかはわからない。昔から人の口を戸は立てられぬというくらいだ。それに、噂には往々にして尾鰭がつくものでもある。

「ま、結局このザマだが」
「なんの配慮も感じられない大声だったしね……」
「酔っぱらいが相手じゃ、配慮も遠慮も期待するだけ不毛だな」

 相澤が呆れを隠さずに深々と溜め息をついた。
 リビングには、マイクがいなくなってもなお酒の匂いが漂っている。

「どんだけ飲んだんだろ」
「さあな。……どうする、トイレから戻ってきたら即外に放り出すか?」
「わぁ無慈悲」
「いいんだよ、冬じゃねえんだし。まだ終電もある。そもそも家に入れてやっただけ優しい」
「それもそう……なのかな……?」

 納得しそうになったが、……どうだろう。守璃は首を傾げた。
 確かに今の季節なら、最悪終電を逃して外で一晩過ごすことになったとしても、凍死のリスクはない。プロヒーローの集まる雄英高校が近いおかげで、この辺り一帯は治安も良い。あのまま放っておいてもなんとかなったかもしれないが――いや、それ以前に近所迷惑だ。この時間帯にあの声を出されては、優しくなくても家に入れざるを得ない。

「放り出すのはやめよ。また外で叫ばれても困るし……」

 ご近所の誰かに通報されでもしたら、それこそまずい。翌朝のトップニュースになってしまう。人気ヒーロープレゼント・マイク、深夜騒音による条例違反にて現行犯逮捕――そんなニュースはきっと誰も見たくない。

「あ、でも、うち来客用の布団ないよね」
「そのままソファに転がしときゃいい」
「……そう?」
「そーそー守璃ちゃん、お構い無く……」

 マイクがふらふらした足取りで戻って来た。顔色はまだ悪いものの、表情はいくらかマシになっている。

「いや〜、全部出したらちょっと楽になったわ」

 少しは余裕も取り戻したようで、マイクは笑いながらソファに腰を下ろした。背凭れにだらりと背を預け、脚を投げ出すと、青白い顔色と相俟って再び死体さながらの様相になる。
 楽になったとは言いつつも、頭をおさえて小さく呻いているのを見るに、また何度かトイレに駆け込むことになる可能性は大いにある。守璃は、自分が酒を飲める歳になってもこういう飲み方はしないようにしようと固く決意した。

「水飲みます?」
「頂きます!」
「少しは反省しろよ」
「してるしてる! ソーリー!」
「……追い出すぞ」

 ただでさえ低い相澤の声が更にワントーン低くなる。守璃は自分が叱られているわけでもないのに、思わず背筋を伸ばしてしまった。四月からの生活で身に染み着いた、条件反射である。
 生徒ではないマイクもたった五文字に込められた怒気にはさすがに居住まいを正し、神妙な顔をして頭を下げた。

「夜分にお騒がせして大変申し訳ございませんでした」
「ヒーローが騒音で通報なんてされてみろ、マスコミの良いネタになるぞ。雄英は苦情の電話が鳴りやまなくなるだろうな」
「……返す言葉もゴザイマセン」

 そこで相澤は深い溜め息をついた。

「ホントゴメンネ?」
「次はないと思えよ」
「オーケー、肝に命じる」

 マイクの返事を苦々しい表情で聞き届けた相澤は、小さく「どうだか」と呟いた。これまでに何度も繰り返しているやり取りなのかもしれない。

「泊まっていく気なのか」
「そうさせてもらえるとウレシイ……」
「どうする、守璃」
「えっ、私!? 良いんじゃないかな……? 布団がないので、マイクさんがソファでも良ければですけど」
「だそうだ」
「オーマイゴッデス! ソファでも床でもいい! サンキュー守璃ちゃん! 今度何か奢るな、何が良い? アイス? ケーキ? 数量限定プレゼント・マイクフィギュア?」
「えっ、えーと……フィギュアはあんまり……」
「よし、じゃあイレイザーフィギュアだ!」
「んなモンねえよ」

□□□

 翌朝。
 目を覚ましたプレゼント・マイクの第一声は、驚くほど弱々しい「頭イテェ……」だった。典型的な二日酔いである。
 よほど辛いのか、マイクは守璃が未だかつて見たことのない表情を浮かべていたが、相澤に追いたてられてよろよろと浴室まで歩いていった。シャワーを済ませて戻って来る頃にはいくらか生気が戻った顔をしていたが、いつもの覇気はない。

「ヤベェ……ここまでしんどい二日酔い久々……」
「自業自得だろ」
「それな! アッダメだ自分の声もメッチャ響く、痛ぇ」
「馬鹿か」
「守璃ちゃんゴメン、水もらえる……?」
「はいどうぞ」
「アリガトー」

 頭に響くからか、マイクはいつになく小声だった。
 二日酔いのプロヒーロー。
 そう言ってしまうとなんとも情けないが、それがプレゼント・マイクだと思えば、なんだか親しみがあって、笑って流せるような気がした。……しかたない人だなあ、とは、少し思ってしまうけれど。

「そうだ、朝ごはん食べられそうですか?」
「あー、朝ごはんか……ンー……」
「一応しじみの味噌汁を作ってみたので、よかったら味噌汁だけでも」
「エッ」
「無理そうなら兄さんがストックしてるゼリーもありますけど……」
「Hmm……」
「ゼリーにします?」
「イヤ、そうじゃなくてなんつーか……守璃ちゃん凄い……俺が16のときに知り合ってたら惚れてたかもしんない……」
「えっ」
「何言ってんだお前」

 相澤の声は、朝だということを抜きにしても随分と低かった。

「寝惚けてんならもう一回顔洗ってこい」

190223
40万打企画@伊万里さん
マイクを酒で失敗するタイプの大人にしてしまいましたが、職業上普段はちゃんと量をセーブしてるだろうなと思います。
 
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