ファミリア



 守璃は昔から、どちらかといえば大人しい子どもだった。自分から声をかけて友人の輪を広げていくようなタイプではなく、むしろ声をかけてくれた子のコミュニティに混ぜてもらうようなタイプだ。つまり、声をかけてくれる子がいなければ孤立してしまうタイプだとも言える。
 小学校に入学した時点で、守璃には既に“個性”の暴走癖があった。学校で暴走させてしまい、警察を通して相澤が応援要請を受けたことは一度や二度ではない。
 暴走癖が原因で、クラスにあまり溶け込めていなかったことも知っている。その悪癖は高学年になる頃には随分マシになったものの、一度浮いた存在になってしまったという事実は、学校生活において致命的だ。そういう子に、他意なく話しかけられる子はあまり多くはない。おそらく守璃は小学校生活の大半において腫れ物をさわるかのように扱われただろうし、友達と呼べる子はほとんどいなかっただろう。
 少なくとも相澤が知る限りでは、小学校の友達を家に連れてきたことは一度もない。
 人混みが苦手であることも相俟って外出にもあまり積極的ではなく、引きこもりとまでは言わないまでも、部屋で静かに一人遊びをしていることが多かったように相澤は記憶している。
 それでは中学ではどうだったのかというと──さすがの相澤も、そこまでは把握していなかった。いくら守璃でも、中学生にもなれば学校であったことを細かに家族に話して聞かせるようなあどけない時期は過ぎている。その頃にはもう相澤は実家を離れており、守璃の学生生活を垣間見る機会もない。何か大きな問題が起きれば両親が連絡してきただろうが、とりたててそういった出来事もなかった。“個性”絡みの相談と連絡が数回あったくらいである。況んや守璃の友人関係など、知るよしもない。

□□□

「そういえば護藤さん、最近はお弁当ではないんですのね」

 声の聞こえる方へ相澤が視線をやったのは、ほとんど無意識だった。
 四限の授業が終わり、腹を空かせた生徒たちの群れが、職員室に戻るべく階段を降りる相澤を追い越して食堂へと流れていく。相澤の数メートル先を、A組の生徒たちが群れに紛れて歩いていた。八百万に耳郎、その隣に守璃が並んでいる。
「んー」と曖昧な音で応じた守璃は八百万を見上げた。

「特に理由はないんだけど……」
「あれって自分で作ってたんだっけ」
「ん、一応」
「まあ! ご自分で? 毎朝大変でしたでしょう。もしかしてそれで?」
「や、ほとんどは常備菜とか夕飯の残り物とかを解凍して詰めるだけだから、そんなに時間かけてないよ。ただ、やっぱランチラッシュのご飯のほうが断然美味しいじゃない?」
「胃袋掴まれたんだ?」
「そんな感じ」

 茶化すように言った耳郎に、守璃は笑って答えた。
 ──本当にランチラッシュに胃袋を掴まれたのかどうかはさておき、本当の理由の大半は相澤にある。
 相澤が忙しさを理由に同居以前のゼリー生活に戻ろうとしたところ、守璃は弁当のかわりにおにぎりをたくさん用意するようになったのである。仕事をしながらでも片手で食べられるように、守璃なりに考えたのだろう。
 これまで守璃が自分の弁当を作っていたのは、あくまでも相澤の弁当を用意するついでだ。自分の分だけ作るという選択肢は端から存在しないらしい。つまり、近頃の守璃が弁当を持参しなくなった理由を述べるのであれば、“相澤の弁当を用意するのをやめたから”というのが回答としてより正確だ。
 けれども守璃はそういった具体的な話をするつもりはないようで、「今日は何食べよっかなぁ」と間延びした口調で続ける。

「今日の日替わりメニューなんだろ」
「カツカレーだそうだ」

 と、守璃たちの斜め後ろを常闇と連れ立って歩いていた障子が、複製腕を伸ばして口を挟んだ。

「えっありがとう、ていうか障子くん情報早いね!?」
「この辺りまで来ると先に行ったやつらの声も聞こえるからな」
「耳を複製したんですのね……ここから聞き取れるなんてさすがですわ」
「ちなみにデザートにはフルーツヨーグルトがつくらしい」
「フルーツヨーグルトか〜」
「リンゴは入っているだろうか……」
「さあ……さすがにそこまでは。すまん」
「入ってるんじゃない?」
「ありそうだよね」
「常闇さん、リンゴがお好きですの?」

 なんとも気が抜けるような会話である。四人はそのままなごやかに話をしながら、廊下を曲がって行った。
 相澤は珍しいものを見たような気持ちで、職員室の扉を開けた。
 考えてみれば相澤は、中学までの守璃が友人と会話をしているところなど両手で数えて指が余る程度にしか見たことがない。その中には、言い争いのような不穏なものも含まれている。
 
 ──ヒーロー科は得てして、自己主張が激しく、我が強い者が多い。主体的、積極的であることはヒーローにとって必要な資質には違いないのだが、それが行きすぎて協調性に欠ける場合も往々にしてある。尤も守璃の場合はその逆で、協調性はあるものの、自己主張は控えめだ。

 果たしてヒーロー科で上手くやっていけるのかと、思っていたものだけれど。

□□□

 週末の夜は、少しばかり気が抜ける。明日は日曜、一週間のうち唯一の休日だ。
 とはいえ、敵には週末も休日も関係ないから、ヒーローである以上休日に緊急の要請が入る可能性もゼロではない。したがって気を緩めすぎてはいけないのだが、教職を兼業するようになってからというもの、休日の出動要請がきたことはほとんどなかった。事務所は休業扱いになっているし、校長の方でも何か根回しをしているのだろう。そう頻繁に休日返上で働くようなことがあれば、労基法に抵触してしまう。

 相澤の休日の過ごし方は大きく分けて三パターン。休養を取りつつ持ち帰った仕事をするか、私用を済ませるか、守璃に頼まれて買い物に付き合うかだ。お一人様おひとつ限りのサービス品を買いたいとき、荷物係を頼みたいときなど、守璃は必ず前もって相澤に声をかけてくる。
 けれども今回は守璃から何も頼まれておらず、この休日のうちに済ませなければならない私用もない。
 ニュースを流し見ていれば、守璃が風呂上がりのラフな服装でリビングにやって来た。
 やはり守璃も気が抜けているようで、いつもより動きが緩慢だ。守璃はソファに腰を下ろすと、脚を投げ出し、背もたれにだらりともたれかかった。髪の毛先があちこちへ跳ねている。どうやら適当に乾かしたらしい。

「お風呂空いたよ」
「おう」

 相澤の返事と同時に、守璃のスマホがぴこんと音をたてた。その音に吸い寄せられるようにして、守璃の視線がスマホの画面へと落ちる。眠そうな瞼が幾度か瞬きをして、ゆっくりと文字を追った。
 相澤が風呂へ行ってまた戻ってくると、まだ守璃はそこにいた。ニュースは終わって、番組はバラエティに切り替わっている。観ているわけでもないのだろう、守璃の目線はスマホに落ちたままだ。
 相澤が近づくと、守璃はおもむろに顔をあげた。

「私、明日出掛けるね。遅くならないうちに帰ってくると思う」
「そうか、わかった」
「……髪乾かさないの?」
「ほっときゃ勝手に乾く」
「まーたそういうこと言う」

 守璃はぼやいたが、結局それ以上は何も言わなかった。遠慮しているのか、言っても無駄だと思っているのか。あるいはそのどちらもといったところだろうか。
 再び守璃のスマホが音をたてる。

「あっ」

 妙に嬉しそうな声色だ。
 相手は誰なのか──何とはなしに考えたところで、守璃がスマホの画面を相澤に向けた。「見て」

「……見ていいやつなのか」
「よくなかったら見せないよ。ほら、」

 画面一杯に表示されていたのは、実家で飼っている猫の写真だった。──つまり、先程のメッセージの相手は母親である。
「可愛い、会いたい……」と唸る守璃に相槌を打っていると、何度目かの通知音が鳴った。同時に、画面上にポップアップが現れる。読むつもりはなかったが、短い文章は一目で読み取れてしまった。

『駅で待ち合わせでいい?』──送信者は『上鳴電気』

「……明日、どこ行くんだ」
「え? ああ……バイキング」

 一瞬守璃はきょとんとした表情を浮かべた。それから新着メッセージを見て、合点がいったように答える。

「木椰区の、最近オープンしたとこ。上鳴くんが優待券持ってるらしくて、みんなで行こうって」
「みんな?」
「上鳴くん、切島くん、じろちゃんと──あ、お茶子ちゃんも来るって。まだ増えそう」

 スマホを操作しながら、守璃はおかしそうに言った。「だから、デートじゃないよ」

「別にそんなこと一言も訊いてねえだろが」
「あはは。兄さん、なんか微妙な顔してた気がして」
「気のせいだ」
「気のせいかー」

 からかいの調子を隠さない守璃の頭を相澤が小突けば、それでも守璃は笑っていた。機嫌が良いのは大いに結構だが、なんとなくばつが悪い。

「守璃にも友達いたんだなと思っただけだよ」
「ええ……? そりゃまあ小学生の頃は友達少なかったけどね?」

 失礼すぎない? と守璃は苦笑した。

「心配しなくても、兄さんより友達多いと思うよ」
「はいはい」
「だから安心してね」
「なんでそういう話になる」
「マイクさんがよく『イレイザーは心配性だけどツンデレだから素直に心配できない』って」
「あいつの言うこと一々真に受けんなよ」
「はいはい」
「はいは一回」
「自分のこと棚に上げて……」

 苦笑混じりに眉を寄せた守璃が文句を言いかけたが、立て続けに鳴ったスマホに遮られて口を引き結んだ。指先だけがひっきりなしに動いている。
 少しして、不意に守璃の口から、ふふ、と小さな笑いが零れた。

 守璃ももう、クラスに馴染めず人混みに怯える、“個性”の暴走癖に悩む小さな女の子ではないようだ。成長したのは背丈だけではなかった。
 両親に教えてやればさぞ喜ぶことだろう。守璃について心配性だというならば、相澤よりもむしろあの二人の方がそうだ。たとえば守璃が相澤の住まいに引っ越して来るときも、「守璃のことよろしくね」と母親に何度も念を押されたし、引っ越しが済んでからは月に数回連絡がくる。相澤が一人暮らしを始めたときには月に一度もなかったのに、だ。
 相澤がじっと見ていたのを、守璃は説教かなにかの前触れだと思ったらしい。

「時間は有限だけど、こういうのもたまには良いよね」

 相澤への確認が半分、もう半分は自分自身へ言い聞かせているような口調だった。

「メリハリが大事ってよく言うし」

 時間は有限、放課後マックで談笑したかったのならお生憎。そんなことは確かに言ったが、だからといって、休日の過ごし方までひとつひとつあげつらって咎めるほど、相澤も野暮ではない。
 時間は有限。決して戻ることのない限られた時間の中で、学業も遊びも存分にやり尽くせるとしたら、きっとそれが一番良いのだろう。

「そーだな」
「棒読み!」

 守璃は口を尖らせたが、結局笑ってスマホに視線を戻した。

 ──楽しそうで、何より。

181203 / title::ユリ柩
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