色付こうとする運命


 着いてこようとするシンドバッドをどうにか宥め、職務へと戻らせ、当初思い浮かべていたように一人赤蟹塔へと足を運べば、そこは若い武官たちの活気に満ちていた。どうやらちょうど彼らの訓練の時間であるらしい。間が悪かったようだと苦々しく思いながら、邪魔になってはいけないと隅のほうへ身を寄せる。何人かが物珍しそうに、あるいは怪訝そうに視線を寄越した。
 鍛練に励む若者達の中にはシャルルカンの姿もあった。見たところ部下の指導にあたっているようである。軽薄そうな見た目に反して存外真面目なところがあり、剣に誇りを持っている彼のこと、自然と熱も入るのだろう。覇気のある──鍛練と呼ぶには些か楽しげに弾みすぎている声がこちらまで届いた。眺めていれば、ふと目があってしまい、素知らぬふりをすることも出来ないので控えめに会釈を返せば、何故だか彼は意気揚々とした足取りで私のところまでやって来た。

「エルハームさんがこっちに来るの、久しぶりだな!」
「そう……? 私、そんなに長く来ていなかった?」
「仕事決まったあたりから来てないだろ。少なくともあの宴のあと、エルハームさんがここにいるのを見た覚えはねーよ」
「宴自体、そんなに昔のことではないと思うのだけれど」

 苦笑を交えて答えると、シャルルカンはその程度のことはどうだって良いのだと言わんばかりに肩を竦めた。

「腕が鈍るには十分過ぎるくらい来てないってのは確かだ」
「……なるほど、そういう意味ね」

 元来私は武闘派ではなく、一般的に言えば魔導士の例に漏れず脆弱な体である。体力、筋力共に、魔導士にしては“そこそこ”のものではあると自負しているけれども、それはやはりあくまでも魔導士にしては、という域を出ないのだ。ほんの数日怠けただけでも、十二分に大きなツケが回ってくる。

「そうだ、せっかくだから誰かと手合わせするか? 新人ばっかだからエルハームさんには少し物足りないかもしれねえけど」
「えぇ……私は皆さんの邪魔をしに来たわけじゃ」
「良いんだよ、こいつらにも良い経験になるし。おい、アミン! どうだ?」
「……は、……え、いっいいいいえ! 私など!」

 吃りながら振り向いたのは、今朝ジャーファルさんからの言伝てを預かって来たあの若い武官であった。彼は随分と狼狽えた様子で、今朝のようにそわそわと体を揺らしては私を見、またシャルルカンを見上げては、困ったように眉を下げる。その仕草は、彼の様子と併せて一層彼を若く幼く見せた。

「アミンさんというのですか。今朝はありがとうございました」
「えっ、いえ、仕事です、ので!」
「お前、少し落ち着けって」

 シャルルカンがゲラゲラ笑う。当のアミンは全く余裕が無いらしく、その笑い声にさえも困ったようにおろおろとするばかりで、いっそ微笑ましくもあった。誰かさんにもこれくらいの解りやすさと可愛げあれば良い。勿論それは到底叶わぬ望みである。
 アミンはますます眉を下げて上司に訴えかけ続けたけれども、シャルルカンはアミンどころか私の返答すらも待たずに手合わせを押し切った。強引な合図に、それでも自然と武器を構えてしまう私には、確かにあの物騒な日々に培ったものが染み着いているらしい。

***

 可哀想な程にアミンの動きはぎこちなく、私の圧勝に終わった。いわば瞬殺というやつである。シャルルカンが強引に十本勝負にまで引き伸ばしたけれども、ついぞ私に黒星がつくことは無かった。最初は好奇心を顔一杯に浮かべてこちらに注目していた他の武官たちも、五本目あたりからは興味をなくしたのか徐々に各々の鍛練に戻っていき、今や誰も見てはいない。

「すみません……大丈夫ですか?」

 地べたに尻餅を着いたままのアミンに声をかける。アミンは心此処に在らずといった様子に見えたけれども、ぼんやりと私を見上げた丸い目が、私のそれと合えば、途端に顔を赤らめた。

「っ、だっ、大丈夫であります!」
「それなら良いのですが……お怪我等はございませんか」
「ございません!」

 勢い良く答えたかと思えば、次の瞬間にはまた眉を下げて困り顔になる。
 シャルルカンは可笑しそうに声をあげて笑い、けれども直ぐに真顔になった。上司としての顔であろうか、「お前なあ」と切り出した声のトーンは幾分か下がったようだった。瞬間、バネのように飛び上がったアミンが、ぴしりと直立したまま全身を強張らせた。まるで石像にでもなったかの如く、動かない。顔色さえも石のように白くなっていく様は、出会って間もない私から見てもあまりに不憫だ。

「いくらなんでも、あそこであの構えは無いだろ。確かに俺が急に始めたけどな、始まったからには腹括れ、つーか、毎回エルハームさんに初手取られたら駄目だろーが! お前は力じゃなくて速さが売りなんだからよぉ!」
「は、はい……」
「“憧れのエルハームさん”の前で情けねえとこ見せてどーする」

 その瞬間、今までの比では無い程にアミンが狼狽えた。その顔の赤さときたら、ファナリスの髪よりも赤い。ぱくぱくと口を動かすけれども、何一つ言葉にならないらしかった。
 これには流石のシャルルカンも驚き、小言を中断してアミンを見つめる。

「大丈夫か……?」
「…………な、なぜ、シャルルカン様がそのことをご存知で…………?」
「いや、お前が自分で言ったんだろ。あの事件の後に──エルハームさんが目を覚ましたあたりか──エルハーム様は自分の憧れの人です、ってよ」

 酷くショックを受けた顔のアミンをよそに、シャルルカンは私を振り返った。

「こいつ、あの事件の時に市民の介抱にあたった一人なんだ。他には、ルトとラフィーク──全員、エルハームさんの活躍を市民から直接聞いて、エルハームさんに憧れるようになったらしくて。ルトなんかはエルハームさんみたいに市民を守るっつって真面目さに拍車がかかったし、アミンは──」

 最早アミンの耳にこちらの会話は届いていまい。シャルルカンの言葉に相槌を打ちながらアミンの様子を窺っていれば、アミンは不意に何か思い詰めた顔になって、まだ赤い顔を上げた。

「不肖アミン、腹をくくります」
「……ん?」
「シャ、シャルルカン様のおっしゃる通り、私は、エルハーム様、を……」

 その声は消え入りそうに思われた。けれども、アミンは固く拳を握り締めると、半ば叫ぶように告げた。

「お、……お慕いしております!」
「…………え?」

 シャルルカンが眉をひそめて私を見た。私も思わずシャルルカンを見つめ返す。アミンにはそんな様子も見えていないのだろう、何せ彼は言葉を絞り出すのにいっぱいいっぱいで、目はこちらを向いていない。

「エルハーム様は、その、王様の好い人と聞き及んでおります。……ので、勿論、どうこうなりたいとか、そういうわけではありません、ただ、いつか、エルハーム様のお側に並び立てるように、……エルハーム様が身を呈さずとも済むように、自分が、お守りできたら、と……」

 隣のシャルルカンが言葉もなく頭を抱えた。私はただ呆然と立ち尽くす他無い。こういったことに不慣れであるのは勿論のこと、このやり取りに尾ひれが着いてあちらこちらを駆け巡る未来が瞼の裏に浮かぶような気がしたからだ。突如としてこの場に拡がり始めた囁き声、脳裏でけたけたと笑うピスティ。──それから、真意の読めないシンドバッド。
 告白を終えた真っ赤なアミンが何処かへと逃亡した後、吐き出すように、シャルルカンが呟いた。

「憧れってそっちかよ……!」

171011 
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