春の息吹


 誰にともなく内心のみで繰り返される言い訳の不毛さにようやく思い至る頃、ジャーファルさんが口を開いた。気まずい沈黙が続かずに済んでほっと胸を撫で下ろす私を余所に、ジャーファルさんはもういつもの表情を取り戻している。

「貴女の今後について、まだちゃんと話をしていませんでしたよね」
「あ…そういえばそうですね」 
「当初、王は貴女を食客として迎え入れるおつもりだったようなのですが……貴女の言い分を受け入れると、それは無理があるのではないかということになりまして」
「……随分な勝手を言ってすみません」
「ああいえ、咎めるわけでは。朝議でも貴女のことを非難する声は挙がっていませんよ」

 それは単に、私への不満を王の前で口にするのが憚られただけなのではないかと思うけれども、ジャーファルさんはそうは考えていないらしい。「どちらかといえば感嘆していましたね。特にドラコーン将軍やヒナホホ殿が」と付け加えられれば、私としても、あの二人がそんな空世辞を言うとは考えにくく、結局返す言葉が見つからずに黙り込んだ。

「話が少し逸れましたね。貴女を食客として迎えられないとなると、当然 住むところや仕事についても今のままというわけにはいかなくなります。それで、色々と検討した結果──実を言うとまだ正式には決まっていないので、これは私からの提案ということになるのですが……どうでしょう、薬師になりませんか」

 それは全く予想だにしない、突拍子もない言葉だった。「……薬師?」強いて私の取り柄を挙げるとすれば、それは魔法だとか毒を飲んでもしぶとく生き残るこの体質だとか、そういったもののはずである。……ずっと、それしかないと思っていた。目から鱗が落ちるような気持ちでジャーファルさんを見つめれば、彼は頷いて話を続けた。

「はい。薬草師といっても良いと思います。貴女は毒だけでなく薬草の知識もあると王から聞きました。シンドリアには、この島固有と思われる未だ生態のよく分かっていない植物があります。それを、薬草師として貴女に調査して頂きたい」
「それはシンドリア王国からの依頼…ということですか?」
「そうです。それなら、王宮内に貴女の部屋が用意されているのもおかしくはないでしょう」
「……しかし……良いのですか、私にそのような仕事を任せて。私が毒を見誤るかもしれないし、嘘を吐いて猛毒を持つ植物を食べさせるかもしれないのに」

 命に関わる毒を持つ植物もあるだろう。私が悪意ある人間であれば、シンドリアを揺るがす事件にだって発展しかねない。十二分に信頼出来る人物に任せるべき仕事であるのは明白で、私はその人物に該当するはずがなかった。
 しかし、ジャーファルさんは真っ直ぐに私を見据えて答える。その目には迷いなど感じられず、戸惑っているのは私ばかりのようだ。

「言ったはずですよ、貴女を疑い続けることは無意味だろうと。それに、貴女が毒を見抜けなかったとしても、貴女一人を責めることはしません。何せ未知のものを調べてもらうのですからね。どれだけ大変なことを依頼しているかは分かっています。いざというときの責任は、貴女を推薦した私も共に取りますよ」
「そんな、…それは駄目です。ジャーファルさんに迷惑をかけるわけには、」
「そう思うなら見誤らないよう努力なさい」

 私が反論しようとするのをまるで母親のような口振りで突っぱねると、ジャーファルさんは肩を竦めた。「そもそも見込みが無いのであれば、こんな提案はしていません」当たり前でしょう、と言わずとも声音に滲んでいる。

「貴女にはやり遂げる気概と能力が備わっていると判断したからこそ、こうやって提案しているんです」

 そこでふっと彼が息を吐いた。
 ちょうど窓の外で太陽が陰ったのか、部屋が僅かに暗くなる。向かい合う双眸も心なしか暗く見え、風の音が先程よりも少しだけ大きく聞こえた。

「あれだけ貴女を疑っていながら、急に態度を変えるような真似をして虫が良すぎると思われるかもしれません。むしろそれが当然です。私自身、そう思っていますから。しかし……それでも、私には、シャルルカン達のようには出来ない」
「……確かに最初は少し戸惑いましたが、虫がいいとは思いませんよ。ジャーファルさんは正しいことをしましたし、ジャーファルさんまでシャルルカン達のように振る舞うなら、この国は近くきっと潰えてしまいます」

 何も大袈裟な冗談のつもりはない。彼の鋭い眼差しがなければ、既にシンドリアには幾人もの刺客が入り込み、一悶着どころではない騒ぎになっていたはずだ。私にはどうしてもそう思えてならなかった。それはきっと、あんなにもあっさりと私を受け入れ、警戒を解いた彼らを知ってしまったからに違いない。
 彼らの優しさは間違いなく彼らの長所だし、私はそんな彼らが好きだ。だから責めようという気はまるでないけれども、しかし、いくら王と旧知の仲といえ、それだけでは信用の根拠として不十分である。仮に逆の立場であったなら、私は突然やってきた“私”を信用しない。ジャーファルさんがそうであったように、警戒し、監視し、魂胆を見抜いてやろうとするだろう。
 それでもジャーファルさんは、苦虫を噛み潰したような、それを堪えて隠しているような顔をする。ただ、意外だった。

「私が思っているより不器用なひとなのかもしれませんが、ジャーファルさんはそれで良いのだと思います。……むしろ、そうであってほしいですね。陽気で軟派なジャーファルさんなんて、私には少し受け入れがたいので」

 最後は冗談めかして笑うと、ジャーファルさんも少し遅れてゆっくり笑った。「そりゃそうでしょうね、貴女に言われなくても分かります」と呆れた風に言うので、私はわざとらしく肩を竦めてから、「何はさておき」すっかり置き去りにしてしまった提案に答えるために真面目な顔を作った。

「ジャーファルさんのお考えは分かりました。未熟者ではありますが、薬草師……引き受けさせて頂きます」
「……それは良かった。では、この件は明日の朝議で王と他の八人将と話し合いますから、詳細はその後連絡します。恐らく却下されることはないでしょう。……まあ、王が渋る可能性はありますが」
「シンが?」
「貴女を一度毒で失いかけていますからね、出来ればもう二度と毒などには触れさせたくないはずです」
「……大袈裟な」
「私からも念のため釘を刺しておきますよ。むやみに毒見しないこと。片っ端から自分で試すようなやり方は認めません。いいですね?」

 やはり、母親染みている。
 そう思ってみると俄かに面白くなってくるけれども、言葉にして茶化すのも野暮であるし、ジャーファルさんの機嫌を損ねるだろうことも想像するに容易い。私は真面目な顔を取り繕ったまま、頷いた。

150319 
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