繋ぎめはやわらか


 余程私の反応が面白かったらしい。ジャーファルさんがくすくすと笑う声が鼓膜を揺らした。不快ではないけれども、不思議と擽ったい。

「彼────ルトは、あの時貴女が倒れたあとで駆けつけて市民を介抱した一人なのです」

 ああ、それで。だから人々は恩人の一人である彼に感謝して、手を取っているのか。ただ、それでもまだ腑に落ちないことがある。言わずもがな、なぜ彼が感涙を流すのか、だ。ジャーファルさんは幾らか笑いを引っ込めて「お察しかと思いますが」と続けた。

「見ての通りといいますか……ルトは心根の優しい青年でしてね。貴女のことも、ずっと気にかけていたんですよ」
「どうして……、彼とは面識はないはずですが」
「市民から話を聞いて、彼なりに思うところがあったのでしょう。シャルルカンに聞いた話では、貴女を鑑として励みたいと言っていたとか…………ってなんですか、その渋い顔は」
「喜ぶべきところなのでしょうが、どうにも……」
「まあ、気持ちは分からないでもないですがね」

 そう言って頷いた彼の声は微かに曇り、双眸はここではないどこか遠くを見ているようだった。そこに映っているだろうものは、敢えて訊かずとも察しがつく。
 ややあって、彼の双眸は再び私に向けられた。

「壁を作られたくないなら、まず貴女が自分からそれを壊したほうが良いと思いますよ」
「…………」
「何か気がかりでも?」
「……傲慢ではないですか。本来在るべき立場を弁えず、私から対等になろうなど、」
「何を言うかと思えば……。シンの前であれだけのことを言ったんです、そんなこと今更でしょう。それに、弁えなければならないものがあるなら、貴女自身がしっかりと心に留めておけば良いんです」

 ジャーファルさんはいつか村の大人が幼い私にそうしたような声色で言った。何も言えずに黙りこくる私は、さながらあの頃の子供である。私の方が年上であるというのに、つくづく年齢など当てにはならない。

「貴女次第なんですよ。貴女が横柄にしていれば傲慢だと誹りを受けるでしょうが、誠実でいればそれは確かに伝わるものです」

 彼の瞳が優しい光を宿して私を見る。
 この一ヶ月を通して、彼は私に対してうんと丸くなった。それはきっと錯覚ではないのだろうし、私自身もまた、当初に比べれば随分丸くなったと思われているはずである。以前の態度を思い出せばどうしても戸惑いが先に立つのもおそらくお互い様で、私も彼も手探りで距離感を測りつつ接していたといっても良い。
 しかし、彼が今し方言った──壁を作られたくないなら自分から壊せという言葉を反芻してみる。彼は、今正に己の態度でそれを示しているのかもしれなかった。ただし、もしもそうだとするなら、ジャーファルさんは私に壁を作って欲しくないと思っていることになる。そんなことが有り得るのか甚だ疑問だけれども、彼が少しずつ歩み寄ろうとしてくれていることは、目を見れば、声を聴けば、分かった。
 彼が言っているのは、つまり、そういうことなのだ。

「……ジャーファルさんは、私が国民に近づくことを認めて下さるのですか」
「貴女が誰とどのように関わろうと、私にはそれを制する権限はありませんよ」
「でも貴方は……まだ私のことを疑っているのでは……?」
「まあ……そう、ですね。ですが、貴女を認めたマスルール達のことは信じていますし──それに、言ったでしょう」

 ──騙そうとしているなら、騙されていてあげます。
 確かに彼がそう言っていたことは、私も鮮明に覚えていた。あの時の声音も表情もはっきりと思い出せる。

「やはり、この国の人は優しいですね」
「どうしたんですか、急に」
「ジャーファルさんが優しいので、改めてそう思ったんです」
「……私は優しくなんてありませんよ」
「優しいですよ。お互い良い印象はなかったはずなのに、それでもこうして良くしてくれるのですから」

 私を最後まで疑い続けたことも、優しさ故と言って良いはずだ。『ヤムライハ達を裏切るなら容赦しない』その言葉を聴いたときから既に、私にとって彼の優しさは証明されていたのである。そして、そんな人が王になったシンドバッドの右腕であることを嬉しく思ったのもまた事実だった。

「ジャーファルさん、」
「はい」
「私、貴方と友人になってみたいです」
「……………………はい?」
「………………その、自分から壁を壊そうとしてみたのですが」
「あ、ああ成る程……あー……なんというか……、随分と直球ですね?」

 一度目を丸くしそれから言葉を濁した彼が、本当はひどく呆れているらしいことは表情やら声音から察しがつく。しかしながら弁明させてもらえれば、これまでまともな人付き合いをして来なかったものだから、はっきり言って人と打ち解けるということが不得手なのである。

「ヤムライハ達とは早々に打ち解けていたじゃありませんか」
「それは……彼女達のほうから壁を壊してくれましたので」
「そうですか……。それなら……、少しは進歩しているということにしておきましょう」
「皮肉ですか」
「さあどうでしょうね。まあ、正直、人付き合いに関しては私もとやかく言える立場ではないのですよ。幸運にも私にはそういったことを教えてくれた方がいて、その方のお陰で政務官が務まる程度にはまともになれたつもりですが」

 それでも十分なのではないかと思ったけれども、彼の表情を見て言うのはやめにした。政務官など誰にでも務まるものとは思えない。少なくとも人並み以上には優れているのだろうに、彼はまだ不十分だと考えているらしかった。シンドバッドやシャルルカンを始めとして今この部屋にいる市民の積極性を思えば、確かに相対的には劣って感じられるのかもしれないという気はするものの、だからといって彼の人付き合いを下手とするのは違和感がある。
 いつの間にか真剣に励ましの言葉を探している自分に気がついて、内心首を傾げた。私達は、励ますような仲ではない。今はまだ。

「…さて。私と友人に、というお話でしたね」
「はい」
「人付き合いが苦手な者同士、歩み寄ってみましょうか」
「! あ、ありがとうございます……あの、エル、と呼んで頂いても良いですか。そのほうが、好きなので」
「分かりました。……私はピスティ達のように社交的ではないので、多少のことは勘弁して下さいね」
「はい…こちらこそ」

 そのとき、破裂音にも似た音が部屋に響き渡った。二人して驚いて音の出所を振り返る。いつの間にか市民達がルトのほうではなくこちらを見ていて、笑顔を浮かべて手を叩いているのだった。

「なんかよう分からんですが、良かったですなぁ!」

 ……よく分からないのに祝福出来る彼らは、相当心が広い。いや、単に大雑把が過ぎるだけなのではないかいう気もするのだけれども、ここはおそらく言わぬが花だ。
 群集の後ろに見えたルトは、何故だか再び泣きながら鼻を啜っていた。

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