あぶくが弾ける


 ジャーファル様と向かい合って会話をしたあの日の夜、ジャーファル様はもう一度部屋にやって来て、私の適性が分からないので、ひとまず出来そうな仕事から幾つか試してみましょうと告げた。そうして言い渡されたのは、商船警護であった。なるほど、確かにそれならば王の命が脅かされることもなければ機密事項が漏れる心配もない。私が語ったことが全て嘘で実は盗賊であるとでもいうならばともかく、その可能性もおそらく考慮した上で切り捨て、荷の安全を確信したのだろう。
 しかしジャーファル様は、商船警護は南海生物などから船を守るのが主な内容であり、魔法で遠距離から攻撃出来る私には向いていると思うなどと尤もらしい理由を付けて微笑むので、私もそれらしく頷いておいた。準備はジャーファル様のほうでしてくれるとのことで、杖も出発の際に返してくれるという。ヤムライハ様に徹底的に調べ上げられたのだろうなとぼんやりと思った。柄に潜む刀身にも気づかれているに違いないけれども、ジャーファル様が何も言ってこないのだから、わざわざ自分で言う必要もないだろう。あの杖が無事に返ってくるのならばそれでいい。
 そういうわけで二日後の今、私は、見渡す限り一面に広がる大海原を船の上から眺めているのだった。今のところは南海生物らしき影もなく、至って穏やかな航海だ。甲板には私のほかに数人の海兵、それと八人将のスパルトス様とシャルルカン様がいる。
 シャルルカン様と顔を合わせるのは二度目であるけれども、それにしては馴れ馴れしく、スパルトス様は幾度もシャルルカン様を窘めていた。逆に、スパルトス様とはまだ初対面の挨拶でしか口を利いていない。決して目を合わせないが、時折視線を向けられているのは感じる。故郷の厳格な教義が云々とシャルルカン様が言っていたが、ただ私を警戒してのことのようにも思えた。シャルルカン様を窘めるのも、怪しい女に迂闊に近づくなという意味にとれる。
 しかしシャルルカン様は笑って受け流している。先ほど窘められたばかりだというのに、何食わぬ顔をして私の横に並んだ。

「俺、エルハームさんが商船護衛の任務に回されるって聞いて、一緒にやらせてくれるようジャーファルさんに頼んだんですよ」
「はあ……それはまた…どうしてです?」
「なんでも魔法使いのくせに剣術の心得もあるらしいとか」
「………ジャーファル様がそう仰ったんですか?」
「朝議のときに言ってましたよ」

 溜息を吐きたくなるのをぐっとこらえた。ただの魔法使いだと思っていたら、杖にはきちんと手入れのされた刃が仕込まれていたのだ、怪しく思うのは当然だ。それを朝議で報告するのもまた、実に当然のことである。
 とはいえ、私は剣士と名乗れるほどの腕前があるわけでもないのだ。魔法との併用でなければ殆ど物にならないし、あくまでも杖の延長として使う。ところがシャルルカン様にとって重要なのはそこではなかったらしく、わなわなと震える手で徐に私の肩を掴んだ。

「剣術使いの魔法使いなんざ聞いたことねえし……そもそも剣術使いだったら剣の道を貫き通すべきだろ……!? 魔法に浮気したのかよ!? オイ!!」
「!?」

 浮気も何も初めから私が踏み入れたのは魔法の道なのだけれども、反論する間もなかった。面食らっていれば力一杯揺さぶられて、がくがくと首が傾ぐ。いま口を開こうものなら、思いきり舌を噛んでしまいそうである。

「シャルルカン、少し落ち着け」

 スパルトス様がシャルルカン様を引き剥がし──それでもシャルルカン様は「浮気者!」と叫んでいたが──解放された私はホッと息をついた。乱れた髪を手櫛で整えながら、シャルルカン様を見る。スパルトス様も呆れを滲ませた目でシャルルカン様を見ていた。

「浮気者ではないだろう、おまえの恋人でもあるまいし」

 そう言ってスパルトス様は私のほうを向いた。やはり目が合わせられることはないけれども、彼の律儀さは窺える。

「失礼。シャルルカンは、剣のことになると周りが見えなくなる質(たち)なもので」
「いえ、気になさらないで下さい。私は確かに剣士としても魔導士としても半端者ですから」

 頭を下げると、頭上に戸惑った気配を感じた。まだどこか不機嫌なシャルルカン様の声も降ってきた。

「魔導士としても?」
「はい。私は基本ともいうべき防壁魔法を使いこなせません」

 故に、自分が攻撃をする為にしか、魔法を使えない。守る魔法も癒やす魔法も、私には扱えないのだ。
 死ぬまで暗殺者として生きるなら、それで構わなかった。しかし、別の生き方には、きっと向かないだろうと分かっている。

「でも悪意ある攻撃を受ければ無意識に防壁魔法が発動するんだろ?」
「はい、悪意があれば。ですが、命を脅かす攻撃に必ずしも悪意が込められているとは限らないのです」

 顔をあげると、しかめ面のシャルルカン様と目があった。

「どういう意味だよ」

 怒っているからなのか、いつの間にやらすっかり敬語が外れている。こちらのほうが自然で良いなあなどと場違いなことを考えながら、私は答えた。

「例えば、自然に起こった天災。相手がちょっとした悪戯のつもりで加減を間違えたときや、他者へ向けられている攻撃に巻き込まれたとき……そして、明確な悪意というよりも寧ろ本能的な攻撃であるとき」
「本能的?」
「はい。動物からの攻撃などですね。悪意があっての攻撃というより、彼らなりの自己防衛ですので……。そうでなくとも、動物から悪意は感じ取りづらいです」
「じゃあなんだよ、南海生物が襲ってきても防壁魔法は発動しねえってことか?」
「その可能性は高いと思います。南海生物がどのような生き物でどのように攻撃してくるのか知りませんが、私は、攻撃を防ぐことは出来ないでしょう。基本的に私は、守るという行為が不得意なのです」
「はあ!?」

 それじゃ商船守れねえだろうが! と勢い良く手刀が降ってきた。普通の魔導士であればボルグを張って防ぐことくらい朝飯前だろうけれども、私にはそれが出来ない。どうやらその手刀には悪意が存在しなかったようで、ボルグなど発動する気配も見せず、私は悪意無き攻撃をもろにつむじで受け止めることになった。全力ではなかったにしても痛いものは痛いので、思わずうめき声をあげる。それでもシャルルカン様はもうひとつ手刀を振り下ろした。

「そのことはジャーファルさんには言ったのか?」
「……いいえ」
「言えよ!」
「ですが、聡明なジャーファル様のことですから既にお気づきでしょうし、考慮なさっていたとも思います。その上で、実験的にこの任務を言いつけられたのだと」
「そうかもしれねえけどよ…!」

 手刀を振り下ろすのをやめたシャルルカン様は、がしがしと頭を掻いた。ジャーファル様に似た色の髪がかき混ぜられて揺れる。見かねたスパルトス様がシャルルカン様を宥めているのを、私は黙ったまま眺めていた。
 私だって、攻撃魔法しか使えない自分のことを少しは情けなく思う。自分の身だけ守り、他人の身を傷つける生き方に特化しているのだから、他の生き方など出来ないとも思っている。
 いつだかユナンは私は向かって『他人に心を砕きすぎて身を滅ぼす』などと言った。けれどもそれは、てんで可笑しな話である。心を砕いたところで私は他人のための優しい魔法など使えやしないのだから、単なる杞憂に終わるに違いないのだ。

140514
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