彼女が紡いだ言葉


side ジャーファル


 ────果たして“彼女”は信じるに足る人物なのか?
 彼女がこの国へ来てからというもの、専らその問題に頭を悩ませていた。シン王は、義妹(いもうと)だと言う。彼女が殺意を抱いているわけではないのだと、確信している。
 しかし、だからこそ私は彼女を警戒しなければならない。彼女の言葉を、態度を、行動を、易々と信用してはならない。我々を油断させ、機を見計らっているかもしれないのだ。それに、彼女から取り上げた杖がただの杖ではなく、柄に細身の白刃が隠されていたことも忘れてはならない。魔導士でありながら剣術の心得もあるというのはあまり聞かない話だが、だからといってその可能性を否定してしまうのも短慮が過ぎる。
 せめて彼女が女でなかったら、事はもう少しだけ単純だっただろう。あるいは、シンの女癖があといくらかでも悪くなかったなら。彼女が女だから、またシンの悪い癖が出てこうも警戒心がないのではないかだとか、そこに彼女は付け込もうとしているのではないかだとか、余計に懸念する羽目になるのである。嗚呼、王よ。やはり貴方にはスパルトスの爪の垢でも煎じて飲ませるべきか。
 溜め息を零せば、その音を拾ったらしいマスルールがちらと振り向いた。朝議は終わったのだから、他の八人将のように任務なり訓練なりに行けばいい。それなのに、マスルールは敢えて私について来ていた。

「心配しなくても、彼女にいきなり金票を突きつけたりはしませんよ」
「……なんのことすか」
「気になるんでしょう? これから私が彼女と話をすること。君が彼女に懐いているらしいことは知っていますよ」
「別に、懐いてるわけじゃないです」

 マスルールは相変わらず表情を動かさずに、淡々と答える。しかし、わずかに目を細めたのを私は見逃さなかった。

「でもよく気にかけているでしょう」
「シンさんに頼まれてるからで……」
「ピスティの話では、互いにある程度気を許しているように見えたと」
「………」
「それを咎めるわけではありませんが、彼女の疑いがまだ晴れたわけではないことは、忘れてはいけませんよ。上手く取り入って情報を聞き出そうとしているのかもしれません」
「…そっスね」

 私にも、分かってはいるのだ。シンにしろマスルールにしろ、そう簡単に騙されるような人間ではないし、誰彼構わず信じるような人間でもない。それでも、“万が一”のことが起きてからでは遅いから。だから、私は最後まで疑わなくてはならない。 それが私の役割だ。
 マスルールは黙りこくって、しかし、そのまま私について来た。彼女の部屋はもう目の前である。彼女との話にマスルールを同行させるつもりはない。そろそろ仕事に戻るよう促そうとしたとき、意外にもずマスルールのほうから口を開いた。

「あの人、基本的に部屋の外に出ようとしないし、国のこともシンさんのことも訊こうとしませんでした」
「……だから、危険ではないと?」
「まあ……はい。シンさんのことを“シン”って呼ぶ暗殺者は、見たことないし」

 前例がないことはなんの根拠にもならない。とはいえ、マスルールの直感には一定以上の信頼性があるのも確かであり、何よりその情報は私にとって初耳だった。

「マスルールの考えは分かりました。参考にしますね」

 会釈をして去っていく大きな後ろ姿を暫し眺める。本当に、彼がここまでついて来たのは彼女を気にしてのことだったのだろう。マスルールは、人懐っこいのとはほとんど間逆の性格だ。それがこれほど彼女を気にかけるのだから、やはり懐いていると言って差し支えないように思える。……厄介といえば、厄介だ。何がそうさせたのか。いや、それが分かっているなら彼女が白か黒かも既にはっきりしているだろう。分からないから、今から話をしに行くのである。
 マスルールの後ろ姿がすっかり見えなくなったのを確かめてから、彼女の部屋に足を進める。ノックをすれば、今朝聞いたよりも幾分か堅い声が聞こえた。

***

 私の問いかけに応じる彼女の目は真っ直ぐにこちらを向いていたが、その奥に秘める感情は読み取れない。腹の探り合いをするには少々骨の折れる相手だと言わざるを得なかった。
 しかし、彼女が過去を語ったときその瞳は確かに陰ったし、私への恨みを仄めかしたときはほんの僅かに嫌悪の色を滲ませた。演技とは思えない、かといって鵜呑みにするのも躊躇われ、そのうちに彼女は私を憎む一方で感謝しているのだと言う。私は隠しもせず困惑した。対して、一度目を伏せた彼女の表情は穏やかだった。そして再び目を開いて口にした言葉は、朝議の前に王に言われた言葉と重なる。それには驚くことしかできなかった。彼女はシンドバットという人間を少なからず知っているのだと思わされる。だからこそ、王は彼女を信じようとするのだと。
 正直なことを言えば、王がゼパルの力を使わないことが不思議だった。本当に彼女が死を望んでいて、それでもそばに置きたいと思うのならば、いっそゼパルで生を縛ってしまえばいい──そうすれば、警戒する必要もないのだ。しかし、問いに答える彼女から読み取れた感情が不安と迷いであることに気がついたとき、ふと思い至った。シンは彼女を大事に思っている。だからこそ、彼女自身に決断してほしい、彼女自らそばにいることを選んでほしい──。果たしてこの推察が正しいのかは分からないが、おそらくそう的外れでもないだろう。
 更に幾つかの質問を重ね、その一つ一つに彼女は答える。嘘が混じっているようには思えない。だからといって、真実を全て話しているということでもないだろうが、嘘が無いだけでも今は充分である。ふと『国のこともシンさんのことも訊こうとしない』というマスルールの言葉を思い出した。個人的な推測としては、彼女がそういった情報を必要としていない、あるいは興味が無いか、彼女が尋ねるまでもなくシンなりマスルールなりが話してしまっているかだ。どちらにしても、彼女の真意は確かめておいたほうが良いだろう──マスルールがあれほど警戒しない理由も。
 ……そういえばマスルールは、彼女が“シン”と呼んでいたかのような口振りだった。

「貴女は…」

 シン本人は、一貫してよそよそしい態度だと嘆いていた覚えがある。本人の居ないところで、シンと呼んだのだろうか。だとしたら、それは何故。

「…シンドバット王のことを、どう思っているのですか」

 彼女は戸惑い、しかし最後にゆっくりと答えた。

「今も昔も、大きくて温かくて、眩しいひとには違いありません………いえ、今は昔よりもずっと眩しくて、ずっとずっと遠いですが」

 瞬間、確信がすとんと胸に転がり落ちた。
 “彼女は決してシンドバットを殺せない”
 大きく眩しいと思うのは、彼女がシンを絶対に適わない人物として認識しているに他ならないし、そこには少なくない敬意が混じっている。“大きくて温かくて眩しい”と思う人間を殺すなど、最早気持ちの面で不可能だ。どんなに上手く事を運んでも、最後の一手に迷いが出る。そしてその一瞬の躊躇いが、何より致命的な過ちであることは言うまでもない。マスルールは感情の機微に敏感なほうでこそないが、勘がはたらく。なんとなしに感じ取っていたのだろう。
 ──彼女は脅威とはなり得ない。
 暗殺者と見せかけて単なる間者である可能性もまだ捨て置けないものの、警戒を幾らか緩めても構わないだろう。
 私は私の判断と、信頼に足る仲間の判断を信じるのである。

140503 
- ナノ -