そこに愛はあるか


 王宮に戻ると、予期せぬ出迎えがあった。と言っても、勿論私のための出迎えではない。浅黒い肌に銀髪の青年と小柄で金髪の少女の二人で、どちらもこちらを見てにやにやと笑っている。出迎えというよりは野次馬に近い雰囲気があった。

「ようマスルール! お前が女連れて街を歩いてたって噂になってるぜ!」
「はあ」
「もしかしてその隣の美人さんが噂の人〜?」
「さあ」

 マスルールは表情ひとつ変えず、相手にもせず、すたすたと歩いていく。こうしたやり取りから鑑みるに、この二人も上級の役人とみえる。八人将なのだろうか。一礼をして通り過ぎようとすると、少女のほうが声をあげた。

「わかった! エルハームさんだ!」
「……はい、そうですが……」
「やっぱり! そうじゃなかったら一緒に王宮まで来るわけないですもんね」
「そう…ですね、今日はマスルール様に街を案内して頂いて、ちょうど帰ってきたところなのです」
「なーんだ、そういうことかよ。マスルールに恋人ができたらしいって大騒ぎだったのに」
「お騒がせしてしまいすみません」
「いや、別に謝ることねーっすよ」

 私が足を止めて話し出した、もとい金髪と銀髪の二人に捕まってしまったからか、マスルールも渋々といった様子で戻ってきた。すると銀髪の方が目ざとく気づき、またにやにやと笑う。

「おーおーマスルール、間違ってもエルハームさんに手ェ出したりしてねーよなあ? もし何かしてようもんなら、お前王サマに殺されるぜ」
「しませんよ。先輩じゃあるまいし」
「なんだと!? 俺だってしねーよ!」
「今日の王サマ、執務中いつも以上に外に行きたがってて、もう六回も脱走しようとしてて」
「ろ、六回?」

 思わず目を丸くして繰り返すと、少女は面白くてたまらないというように続けた。

「そうなんですよー! まあ全部すぐに捕まったんですけど、ジャーファルさんがもうカンカンで!」

 王が執務中に抜け出そうとするというだけでも耳を疑うのに、それを笑い事で済ませられるというのも信じられない話である。しかしよく考えてみると、私が侵入したあの時も王の部屋に王はおらず、あとから聞いた話では、ちょうど執務の最中に部屋を抜け出したところだったのだという。少年の頃のシンドバッドを思えば、確かに彼は部屋に籠もっているような柄では無いのだけれども、王となった今でもそれが通るのかといえば些か疑問だ。護衛の目をくぐり抜けて逃げ出すというのなら、暗殺には絶好の機会となる。この平和な国と彼の伝説的な強さを思えばこそ杞憂だろうが、 普通は笑い話では済まされないだろう。
 少女はシンドバッドの逃走劇でも思い出したのかまたクスクスと笑うと、真っ直ぐに私を見た。

「脱走自体は珍しいことじゃないんですよ。でも、今日はやけに多くて。なんでかなーって思ってたんですけど……エルハームさんが街にいたからだったんですね!」
「……はい?」
「ねーシャル! 絶対そういうことだよねえ?」
「だろうな。『今日だけは、今日だけは見逃してくれ!』って叫んでるのも聞いちまったし」
「きっと愛しのエルハームさんを自分以外の男と街に行かせるのが心配だったんだろうなぁ。ふふ、愛されてますね!」

 ばちんと愛くるしくウインクを決める彼女は、おそらく何か大きな勘違いをしているのだ。私はシンドバッドの慈悲でここにいるけれども、その根底にあるのは昔馴染みへのわずかな情けにすぎない。そこに特別な感情など、あるわけがない。

「あの、ちょっと待ってください。誤解していらっしゃいませんか。王とは同郷で昔馴染みであるというだけで……」
「誤解なんてしてないですよ。王サマは絶対エルハームさんを愛してます。……まあ、それがどういう意味での愛かはまだわからないんですけどね」

 そう言って微笑む彼女の表情は、もはや少女とは見えなかった。先ほどまでの笑顔ならいざ知らず、今の笑みはいやに大人びている。声の調子もまた然りだ。彼女きっと、見た目通りの子供ではない。
 彼女は意味ありげな笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。

「王サマが一人の女の人に拘ることって凄く珍しいんですよ、エルハームさん」
「……そうだとしても、シンドバッド王は、私のことを女として見ているわけではないと思いますよ」

 仮に彼が私に拘っているというのが事実であっても、それが女としての私に拘っているのだという確証はどこにもない。同郷だから、昔馴染みだから、兄妹のように育ったから。そんな些細なことで同情を感じて、目をかけてくれているだけなのだ。むしろ、妹のように思えばこそ拘るともいえよう。幼子に対する庇護欲に近い。彼女たちは、マスルールと私の仲を勘ぐった街の人々のように少々邪推が過ぎているのだ。
 彼女がその大きな瞳で私を見る。じいっと、見る。それが少し居心地悪く、目を逸らしたくなったが、なぜか逸らすことができなかった。こちらもじいっと見返して、数秒。ふいに「…ピスティ」とマスルールの声がした。その声に彼女はほんの一瞬わずかに複雑そうに顔歪めてから、視線を外し表情を緩めた。

「自己紹介まだでしたね! 私、ピスティです。で、こっちはシャルルカン!」
「……ピスティ様に、シャルルカン様ですね」

 急な調子の変わりように驚いたが、それはおくびにも出さず復唱した。その名前には覚えがある。私の記憶違いでなければ、二方ともこの国の八人将であるはずだ。やはり少女然とした彼女は、見た目ほど子供では無いらしい。
 後ろからマスルールの溜め息が聞こえて振り向けば、マスルールはなんとも面倒臭そうに立っていた。

「もう行っていいか」

 それが私に向けられたものだったのかピスティ様に向けられたものだったのか、どちらとも判断のつかぬうちに、私はピスティ様とシャルルカン様に暇乞いをした。私としても、早くここを立ち去りたかったのだ。ずっと部屋に籠もりきりで殆ど人と会わずに過ごしていた分、今日はあまりにも多くの人と関わりすぎて疲れてしまった。そもそもパルテビア王宮に暮らし始めた頃から、人付き合いというものは積極的にはしていない。
 お二方がそれじゃあまた、と言って手を振ってくれたのを再び礼で返して、マスルールのあとをついて行く。今日のことで厄介な噂がたってしまったことを謝ると、別に気にしていないと彼らしい言葉が返ってきたが、そういうわけにもいかないように思われて再度謝罪を口にすれば、マスルールはまた「しつこい」と耳を塞いだ。

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