いつまで逃げるつもりですか


「突然来てしまって……やっぱり迷惑だったでしょうか」
「いえ、そんなことは。何もお出しできませんが、どうぞお掛け下さい」

 言いながら、私もベッドから降りて椅子に腰掛ける。マスルールが「じゃあ俺はこれで…」と出て行こうとすると、彼女は慌ててマスルールを引き止めた。

「あっいいの、気を使わないで! そんなに長居するつもりじゃないから…」
「はあ」

 マスルールはのそのそと戻ってきて、さっきまで座っていた椅子に腰掛けようとしたけれども、何を思ったかベッドの上にどかりと腰掛けた。私とちょうど隣り合わせに座ることになるのが厭わしかったのかもしれない。
 おずおずと私に向き合った彼女──ヤムライハ様が、マスルールやドラコーン様と同じ八人将の一人であることは知っていた。その上、マスルールが気を使って部屋を出ようとしたことや、マスルールに砕けた口調で接していることからして、同じ八人将といえど彼よりも上の立場であるのだと想像できる。そんな人が私と話したいなど一体何事だろう。いつまでこの国に居座る気ですかあなたはとても迷惑なのです、などと言われるのかもしれない。とにかく粗相の無いようにと構える私を見て、彼女が苦笑したのが見て取れた。

「私はヤムライハといいます。……そんなに身構えないで下さい。私は、ただあなたとお話したいだけなんです」
「私なんかと話しても、何も楽しくないですよ」
「いいえ! あなたみたいな魔導士と話して楽しくないわけがないわ!」
「ええ…?」

 なにやら言葉に熱が籠もりだした彼女に、私は少し身を引いた。しかし、彼女はお構いなしに私の手を取って、魔力量がどうのあの時の風魔法がどうのとまくし立てる。冷静そうな見た目に反して熱中して周りが見えなくなるタイプなのだろうか、私が相槌を打つ間すらない。

「──風魔法をあれだけ的確に範囲を限定して威力を変えた上で方向や対象に至るまでを正確に操るなんて単純そうに見えて実は一つ二つの命令式で出来ることじゃありませんよね一体いくつの命令式を組み合わせたんでしょうかやっぱりエルハームさんの得意分野は風魔法なのですかというか今はどのような分野の魔法に関心をお持ちでしょうか!」

 ここまでを一息で言い切ったヤムライハ様は、ここでようやく呆気にとられた私に気付いて我に返った。よく息が続いたものだと変に感心する私をよそに、ヤムライハ様は力強く握っていた手を慌てて離すとばつが悪そうに俯いた。

「ごめんなさい! 私、魔法のことになるとつい……」
「ああ、いえ……少し驚いてしまっただけです。こちらこそ申し訳ありません。…あの、ヤムライハ様、顔をあげて下さいませんか」

 躊躇いがちに顔をあげる彼女は、まだ申し訳なさでいっぱいの表情をしていて、眉を下げたまま「本当にごめんなさい…」と呟いた。そこまで反省されてしまうと、私も心苦しい。

「そうお気になさらないで下さい。私も気にしておりません」
「でも、驚かせてしまったのでしょう?」
「私、訓練以外で魔法の話をする機会がこれまで無かったために不慣れでして……それゆえです。ヤムライハ様の非ではありませんよ」

 そう言うと、ヤムライハ様はありがとうと控えめに微笑んだ。とても綺麗な笑みだ。美人の微笑とはずるいものである。ヤムライハ様は笑んでいると一層お綺麗ですね。そんな言葉が喉元まで出かかったが、思い直して飲み込んだ。
 ヤムライハ様はしばし私の顔を見つめていた。私も黙っていたけれども、彼女が一向に口を開かないので、ひょっとするとこれは私の返答を待たれているのではないかという気がして、しかし何から答えれば良いのやら分からない。結局、一度開きかけた口を無言のまま閉じるだけである。そんな私の行動さえ、ヤムライハ様はまじまじと見ていた。そして、私が気恥ずかしくなってきた頃、彼女は不思議そうに呟いた。

「変わった方ですね、エルハームさんは」
「……そうでしょうか」
「王様には、あなたは暗殺者だけれど、シンドリアへは暗殺に失敗して殺される目的で来たのだと説明されました。それを聞いたときも変わった方だと思いましたが……こうして話をしてみたら、暗殺者にも死にたがりにも思えないんです」

 なぜだかその言葉にぎくりとした。
 私は確かに殺されるためにシンドリアへ来た。変わり者と言われればそうなのだろうし、暗殺者であることも紛れもない事実である。しかし、今は。私は、私がこれからどうしたいのかまるで分からない。本当に死にたいのか、そもそも本当に死にたかったのかさえ、判然としないのだった。

「エルハームさんの周りのルフは、とても綺麗で──尚更、本心から死を望んでいるようには見えないわ」
「……そう、ですか」

 何と言っていいか分からなくて、目を伏せた。魔導士である彼女はきっと私のルフを見て違和感を覚えたのだろう。死を望むほどに──自分の運命に絶望したというのなら、自分の運命を恨んだというのなら。スラムに生きる若者や大人に虐げられた子供のルフのように、私のルフはもっと濁った色をしているはずなのだ。しかし、私がどれだけ変わっても、ルフは変わらなかった。パルテビアで私に魔法を教えた師も、それを不思議がっていたのを覚えている。
 私は理由をなんとなく知っていた。なんてことはない。私がそうしたからだ。
 シンドバッドは、私が見ているルフを“綺麗なもの”だと言った。エスラさんが逝き、シンドバッドもいなくなり、私も村には戻れずに、したくもない訓練をして、いずれ殺したくないのに人を殺す──私にとっての世界は、望みもしないのにそんな風に大きく変わってしまった。だから、ルフだけはあの日のまま美しくあるように、決して濁らせまいと誓ったのだ。シンドバッドに殺されて、私は私が望む終焉を迎える、そのために生きている──そう考えることで。

「正直、私にも分からないのです。私、殺されるつもりで来たのですけど、シンドバッド王は決して許して下さらないようですし」
「そうでしょうね。王様は、絶対にエルハームさんを死なせたくないと悲痛な表情を……。私も、今日あなたと話してみて、同じ気持ちになりました」
「ヤムライハ様も王様もお優しいのですね。というより、ドラコーン様といいマスルール様といい、この国の方は皆お優しい方ばかり──」
「そういう言葉が聞きたいわけじゃないんです!」

 ヤムライハ様は私の言葉を遮って、怒ったような泣くのを堪えているような表情で語調を強くした。杖を握る白い手が震えている。

「 エルハームさんは、確かに暗殺者だったのかもしれません。でも、人を気遣うことの出来る優しさを持った方だと思いました。芯の真っ直ぐさだって、ルフを見ればわかります! だからきっと、過去も今も見据えて、その上で、どんな生き方だって出来るはずです! あなたの魔法を、誰かの幸せのために使って生きることだって!」

 その言葉は、存外深く私の心臓に突き刺さった。考えようによっては、私はきっとこれまでも誰かの幸せを叶えてきたのだといえるだろう。憎い人間を始末する事で、標的とその身内の不幸と引き換えに依頼主に幸せを与えた。しかし、ヤムライハ様が言わんとしているのはそういうことではないのだ。誰の不幸と引き換えにするわけでもなく、幸福を。
 ──けれど。

「……しかし、私は、」
「エルハームさん」

 ヤムライハ様は一際真剣な表情で、私を見つめた。

「あなたは過去から目を逸らさない強さを持っていて、未来も見据えられる強い人だと思います。なのに──なぜ、“現在”から目を逸らすのですか」

140314 
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