なくした答えを見つけられるほど器用じゃないよ


 シンドバッドは本当によくしてくれた。あれから数日と経たないうちに部屋には家財が運び込まれ、衣類が届き、窓の格子はマスルールが取り外して行った。侍女を付けるとまで言ってくれたのを断ったためか、この部屋を訪れるのはシンドバッドとマスルール、そしてドラコーン様くらいである。家財の類いにしても、ここまで運んで来てくれたのはマスルールであった。食事もマスルールが持ってきてくれる。衣類については、なんと王が直々に持ってきた。シンドバッドは、王でありながらその立場の重々しさを微塵も感じさせない気軽さで、よくここを訪れる。王が頻繁にこの部屋を訪れるのは如何なものかと思うのだが、どうやら本人は全く気にしていない様子で、時折従者の一人も連れずにやってくることがあるのだから心配になる(私がいうのもおかしな話だが)。しかもそういう時、たいていは誰にも告げずに来ているようで、従者が──特にあのジャーファルという方が──知れば卒倒するのではないかと思われた。シンドバッドの強さならば並大抵の刺客は瞬殺だろうが、そういう問題ではない。
 シンドバッドはここへ来て、国のこと、部下のこと、昔のこと──色々なことを話した。私が相槌を打つくらいしかしなくても、彼は笑顔を絶やさず、部屋を出る前に必ず私の頭を撫でた。私はもう子供ではないし、そもそも歳だってたった二つしか違わないのだと言えば、シンドバッドは少し困ったように笑う。長い長い空白が未だ私達の間に横たわっているから、彼も私へどう接したらよいか戸惑っているのだろう。
 部屋の外へ出ることは禁じられているわけではなかったが、私はずっと部屋の中にいた。湯殿に行ったりはするものの、それ以外のほとんどの時間を部屋で過ごす。窓から見える景色は好きだったし、ただぼんやりと過ごすのも嫌いではないから、苦ではなかった。それよりも、外に出て誰かに会うことが億劫だったのである。私がこの国に置いてもらえることになり二週間程経ったが、ここへ来る三人、そして捕らえられた時にいたジャーファルという青年とヤムライハという魔導士以外は、まだ顔さえ見たことがない。もし私がここで生きていくのなら、いつまでもこのままではいけない。けれども、私はここで生きていくつもりがあるのか、自分にも判然としなかった。今の私は、死にたいとはっきり思っているわけでこそなかったが、かといって生きたいと思っているわけでもなかった。本当に、自分のことが一番分からない。
 ベッドに仰向けに倒れ込んで、ぼんやりと天井を見つめた。取り留めのない思考がもやもやと頭の中を巡っては消えていく。私はいつまでこうして惰性で生きているのだろう。漠然と考えてみたところで答えなど出るはずはない。今は、答えを出そうという気さえ起きなかった。

「エル、入るぞ」

 低い声。マスルールだ。そう思ったら身体を起こすのも面倒で、そのままの姿勢で「どうぞ」と答えた。言い終わる前に入ってきた彼は少し怪訝な顔をしながら、何も言わず椅子に腰を下ろした。彼が一番ここに来ているから、そして、一番素に近い私を知っているから、お互いに気兼ねがない。

「体調でも悪いのか」
「いや、元気。ただぼーっとしてただけ」
「そうか。……シンさんが、あんたが部屋から出ないのを心配してた」
「……」

 上体を起こして、ベッドに座る。マスルールはその動作を目で追っていた。

「マスルール、非番の日いつ?」
「……たしか、明後日」
「街の案内をお願いできるかな」
「ただ街を歩くだけでいいなら…」
「充分だよ。ありがとう」
「いや、シンさんにも頼まれてたから」
「……あの人は、どうしてここまで気にかけてくれるんだろうね」

 兄妹のように育ったのは事実でも、それはずっと前のことだ。しかも、今の私は罪人である。おまけに、彼の慈悲を無碍にするような態度ばかり取るひねくれ者だ。そんな奴に情けをかけても、それに見合った利が彼にあるとは思えない。
 半分は独り言のようなものだったが、マスルールは「シンさんに聞いてみればいい」と答えを返してくれる。それにもひねくれて「それは無理」と答えれ、「じゃあ分からない」と返ってきた。

「ほかの八人将は、私のこと、反対したのでしょ?」
「いや、まあ…ジャーファルさんが猛反対したくらいだ」
「ジャーファル様なら、私を殺してくれそう」
「エルがそう言ったって、シンさんに言いつけて良いか」
「良くないよ」

 今のは彼なりの冗談だったのだろうか考えたけれども、思考が相変わらず鈍い。ここに来てから、今までのこともこれからのことももう何も考えたくなかった。考えが纏まらず、堂々巡りばかりしているのだ。
 思考することを放棄して再びベッドに倒れ込む。視界にはもう見慣れてしまった天井だけが広がった。

「……マスルールもなかなか変わり者だよね」
「何が」
「私とこんなに親しくしてくれるんだから、変わってる」
「……エルはシンさんの“特別な人”だから、実質的には俺より権力ある…かも」
「いや、それは絶対にない。いくら何でも大袈裟すぎ──ですよ」

 今では見張りもいないはずの部屋の外に人の気配を感じ、語尾を整える。一体誰だろうか。この部屋は王宮内でも外れの方にあるらしく、わざわざ訪れる者などそうはいないのだ。起き上がって身構える私に、マスルールは「たぶん大丈夫」と言った。そして私が何か言う前に、部屋の外の人物に向かって声を掛けた。

「入って大丈夫っすよ」

 どうやらマスルールには、誰だか分かっているらしかった。彼が大丈夫だというからにはそうなのだろうと肩の力を抜く。考えてみれば、部屋の外にいるのがどんな人物であれ、武器の類いを一切返されていない私には何もできない。
 しかし、それらはどのみち杞憂であった。躊躇いがちに入ってきたのはあのヤムライハという魔導士で、彼女から敵意は微塵も感じられない。その上、彼女は一人で来たようだった。

「こんにちは、エルハームさん。いきなりごめんなさい」

 私、あなたとお話がしてみたくて。
 そう言った彼女のルフがきらきらと輝いてあまりに美しいので、私は思わず目を細めた。

140309 
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