愛の言葉はささやかない


 ──ジャーファルさんが常に忙しくしているということは、このシンドリア王宮に出入りする者ならば誰でも知っている。私も勿論それを知っていて、その上で、無理を承知で頼んだことだった。つまるところ私としては、彼が私に充てられる時間はそう多くはないと考えていたし、頻度にして一月に一度あれば上々だと思っていたのである。
 しかしながらどうだろう、現実は想定とまるで異なり、私が半ば強引に約束を取り付けた日から十日と経たぬうちに最初の“話”があって、それ以降もやはり十日と間を空けずに機会が巡ってくる。
 否、他ならぬジャーファルさんがその機会を作ってくれているのだろう。
 それはたとえば食事をする時であったり、終業の鐘が鳴り止んだ後の日暮れであったり、少しばかり長引いた仕事を終えた後の夜更けであったりした。短く済ませることもあれば長く話し込んでしまうこともある。場所は中庭であったり、私の部屋であったりと日によってバラバラで、直近は書庫だった。
 面白い話は出来ないと言った割にジャーファルさんの話は解りやすく面白く、どれも興味深い事ばかりだったから、私はジャーファルさんから異国の話を聴ける時間が楽しくて仕方がなかった。いつからそう感じるようになったのか、自分自身はっきりとした瞬間を覚えてはいない。けれども、正直なことを言えばシンドバッドの冒険譚よりも好奇心が擽られたし、そのお陰であの鬱々としてひたすらに不毛な堂々巡りをする時間が随分と少なくなった。
 そうなれば自然と仕事にも身が入る。近頃は植物の採集、調査、研究の他に、有用な植物の栽培、活用法の文書化等にも手をつけ始めた。やることが増えるにしたがって当然忙しさも増すけれども、私とは比べようもない程忙しいはずのジャーファルさんがわざわざ時間を作ってくれているのだから、私も私なりに何事か役に立たねば彼の気遣いに見合わないというものである。
 外へ出て植物に触れ、部屋へ籠ってひたすらに文字を書き、その合間に数日置きにジャーファルさんと待ち合わせて異国の話を聴く。
 そんな日々がすっかり私の日常として違和感の無いものになった頃から、ピスティはしきりに私を酒場へと連れ出したがっていて、ピスティとシャルルカン、更にヤムライハの三人によって殆ど強引に酒場に連れて来られたのがほんの数刻前の事だ。
 まだ然程酒も飲んでいないだろうににこにこと上機嫌なヤムライハが、私の顔を眺めて言う。

「最近のエルさんは、なんだか表情が明るくなったわよね」
「え……そうかな」
「そうよ! 表情だけじゃなくて雰囲気も明るくて──なんていうか、柔らかくなったと思うの」

 その言葉にピスティもシャルルカンもうんうんと頷いて同意を示すものだから、私は思わず首を捻った。

「……そう?」
「前より凄く楽しそうよ。ね?」
「それってやっぱり〜、恋のおかげ!?」

 ピスティの丸く大きな目がきらりと輝き、私を捉えた。ヤムライハも興味津々といった様子で、シャルルカンもにんまりと笑みを浮かべている。

「え? 恋?」
「エルさん、最近ジャーファルさんと良い感じじゃない?」
「は?」
「しらばっくれてもムダだからな!」
「夜に二人で会ってるってことはもう知ってるんだから〜!」

 うきうきと弾んでいるのがはっきりと解る声音で言ったピスティが、私の腕を掴んで揺さぶった。「詳しく聴きたーい!」成る程、これが彼女たちの本題のようである。
 情けなく眉が下がるのが自分でも解った。

「そういうのじゃないのに」
「え〜」
「えー、じゃない」
「でも、急に親しげになったように見えるわ」
「確かに前よりも親しくさせてもらっているけれど、それだけだよ」
「ジャーファルさんにもそう言われたな」
「……まさか、ジャーファルさんにも訊いたの」
「だって〜、気になって!」
「あまり迷惑かけないようにね」

 ピスティが口を尖らせる。納得していないらしいことがありありと見てとれたけれども、期待する答えが私から返ってくることは無さそうだと踏んだのだろう。それ以上追求する姿勢は見せず、しかしやはり不満げに、「つまんなあい」と一言ぼやいた。

「いいじゃない、ピスティ。何にせよ距離が縮まったのは本当なんだし、良いことだわ。前は見ていてひやひやしたもの」
「ああ……あの頃はね。ごめんね」
「謝ることじゃないわ」
「でもほんとに何もねえなら、なんで夜に二人で会ってたんだ?」

 シャルルカンが首を傾げた。口にこそ出さなかったけれども、その顔には一目に解るほどはっきりと「怪しい」と書いてある。口を尖らせたままのピスティが再び悪戯っぽい輝きを取り戻した眼で私を見上げ、ピスティを宥めていたヤムライハさえも興味深そうにこちらを見るものだから、私はただ苦笑するほかなかった。

「あれは勉強会みたいなもの。異文化について教えてもらってる」

 私にもジャーファルさんにもやましいことなど一つもなければ、第三者には秘密にしようと示し合わせているわけでもない。淡々と事実を述べれば、「怪しい」はぱっと消え目に見えて「期待外れ」という顔になった。

「健全な密会だった……」
「ここは『ご期待に沿えず申し訳ない』と言うべきなのかな」
「いいのよ、エルさん。この二人が勝手に勘違いして騒いだだけなんだから」

 呆れたように言い放つヤムライハが杯を傾けたのを見て、私も自分の酒を煽った。こそこそしていたつもりもなかったというのに、どうしてこうも妙な勘違いをされてしまうのだろう。ジャーファルさんに迷惑がかかるようなことは当然本意ではないし、わざわざ手を煩わせた結果がこれであれば申し訳ないというものである。
 空になった杯をすかさず隣のピスティが満たした。

「酔ったら口が軽くなるんじゃないかなあ……」
「よし、もっと強い酒を――」
「酩酊したって二人が期待するような話は出てこないよ」
「まったくあんたたちは……。あんまりエルさんを困らせるんじゃないの」
「だって〜」

 ピスティが声をひそめて、「王様もすっごく気にしてるんだよ?」と囁いたのを私は聞き逃さなかった。

20180901 
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