あなたがいない


 私ね、うんと小さい頃から、光る鳥みたいなものが見えるの。

 そんなことをシンドバッドに打ち明けて数ヶ月後、突然彼が帰ってこなくなった。病気のエスラさんを置いていなくなるなんて絶対におかしい。きっと彼の身に何かあったのだ。彼の行き先は誰も知らなかった。知っているのに教えてくれないだけなのではないかとも思ったが、誰も知らないと言うのだから、私にはなす術がない。私に出来ることといえば、エスラさんの看病をしながらシンドバッドの帰りを信じて待つことだけだ。
 今までは二人協力して稼いでいた薬代も、今は一人で稼がなくてはならない。街に出て荷運びをしたり、店番をしたりした。幸い、貧しい暮らしで小さな頃から畑を作ったり薪を割ったりと力仕事をしていたので、それなりの体力と腕力はある。また、野草の知識が豊富だった祖母にこの辺りの薬草について一通り教えられていたので、それを採ってきて売ることもできた。ときには煎じて薬にしてから売る。そのほうが高く売れるのだ。ああ、エスラさんの薬も自分で作れたなら。何度も考えたけれど、私が作れるのはせいぜい傷薬や腹痛を和らげる薬程度で、エスラさんの重い病をどうこうできる薬の作り方など見当もつかない。たくさん稼いで、街で買うほかなかった。
 シンドバッドが姿を眩まして、1ヶ月が経った頃。その日も、私は街で働いていた。近くで奴隷が足元の鎖をじゃらじゃらいわせて果物の籠を運んでいる。それを道行く羽振りの良さそうな人が蔑んだような目で見るのに気づいて、嫌な気持ちになった。私は奴隷という仕組み自体が嫌いだ。あの鎖を断ち切ってあげられたらどんなに良いだろう。そんなことを思いながら、私は酒樽を抱えた。

「最後の酒樽、荷に積み終わりました」
「おお、ご苦労さん! いつもありがとよ。ほら、駄賃」
「ありがとうございます!」

 気の良い雇い主は、いつもより少し多めの報酬をくれた。笑顔で受け取って大切に抱き締める。これなら薬もちょっと多く買えるはずだ。早く医者のところに行って、エスラさんに薬を届けよう。はやる気持ちを抑え込んで、脚を動かした。しかしそれも、いつの間か駆け足になる。
 そして、大きな通りを抜け、角を曲がろうとしたときだ。何人かが話し込んでいて、言葉が切れ切れに聞こえた。

「あの少年──ティソン村の──」
「迷宮に──」
「…──もう1ヶ月も──」
「──無事なのかねえ……」

 どきりとして思わず立ち止まった。あの人は、今、ティソン村と言っただろうか。それは私たちの村だ。もう一人は、もう1ヶ月もと言った。もしかして、それは、シンドバッドの話?
 迷宮というのは、私も街で噂を聞いたことがあった。突然現れた謎の塔。多くの兵が入っていったがそれっきり、ただの一人も出て来ないのだという。そんな恐ろしいところに、シンドバッドは入っていったというのだろうか。想像したら冷や汗が止まらなくなった。
 ──いや、落ち着いて考えよう、まだシンドバッドと決まったわけじゃない。
 でも確かにティソン村と言うのを聞いた。あの村で1ヶ月も姿を眩ましているのなんて、シンドバッドしかいないのだ。

「あの、すみません」

 うだうだと考えるより、訊くほうが早い。意を決して声をかけるとその人たちは驚いたように振り返った。

「あら、どうしたんだい」
「ええと、さっきの話なんですけど。ティソン村の人が、迷宮に入ったんですか?」
「そうらしいよ。もう1ヶ月も前になるけどねえ」
「その人は、どんな……?」
「それが、まだ子供なんだ。せいぜい14、5の……ほら、街で見たことないかい? よく荷運びの仕事をしていた少年。シンドバッドという名前の」

 眩暈がした。
 そうなんですか、ありがとう。早口でお礼を言って、医者の元に走った。何も考えずに脚を動かし、医者から薬を買って、また走る。
『きっとあの子はもう……』
 最後に呟かれた言葉なんて聞こえなかったことにして、帰り道をひた走った。日が暮れる頃、息を切らして帰ってきた私を見て村の人達も驚いていたが、構わずエスラさんの家に向かう。
 エスラさんはいつものようにエスラさんは横たわっていた。私はその横に静かに膝をついて、笑顔を作る。

「エスラさん、今日の調子はどう? 薬、持ってきたよ」
「ありがとう……エル…。ごめんなさいね…」
「なに言ってるの! 謝るのはおかしいよ」

 エスラさんの病は日に日に悪くなっているようだった。昔よりずっとやつれて、顔色もひどい。私だけじゃなく、村の人たちみんなで協力して看病しているけれども、一向に良くなる兆しは見えなかった。シンドバッドが帰ってこない心労のせいもあるのでは、とみんなが噂していた。だけれど、エスラさん自身がそのことをぼやいたのは一度しか聞いたことがない。シンドバッドが帰らず一週間が経った頃に、『あの子ったらエルに言わずに行ったのね』と笑っていたきりである。

「謝るくらいなら早く元気になって。それで、シンが帰ってきたとき、びっくりさせてやろう。ね!」
「そう…そうね。エルの言うとおりだわ」

 エスラさんは、シンドバッドがどこに行ったのか知っているのだろうか。気になりはしたが、弱々しく笑うエスラさんを見れば、シンドバッドが迷宮に行ったなんて言えるはずがなかった。エスラさんだけではない。村の誰もが彼の帰りを信じているから、誰にも言えない。
 シンドバッドなら帰ってきてくれる。そう信じるしかないのだ。どうか、無事で、早く、帰ってきて。彼の周りを飛ぶあのまばゆい鳥達に祈った。
 エスラさんの周りの鳥がピィピィ鳴く。その鳥達は確かにまばゆいのに、弱々しく見えた。

140218 
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