あれは”偶然”

「……えと」

 静か過ぎる生徒会室。時折カーテンが揺れて落ち着く雰囲気を醸し出していた。風が外の木の葉を揺らす音に重なるように、椿が思わず声を出す。

 返事は返ってこない。椿が独りきりで居るわけではない。確かに二人で生徒会室に滞在しているのだ。
 いつも居るはずの生徒会メンバーは、都合が良すぎるほどに用事があって不在。浅雛はぬいぐるみショップへ。丹生は父親が風邪を引いたため看病へ。秦葉はデート。安形は校内のどこかにいるらしい。どこにいるかは、誰も知らない。

 そんな中たった一人、椿だけが生徒会に残っている。
 彼は仕事をしていたのだ。ここでこっそり帰っても、誰も文句を言うはず無いのに、彼は黙々と勤労に励んでいた。


 ただ、先に言ったとおり独りきりではない。それが生徒会メンバーではないだけであって。安形が座る豪華なイスに、綾乃が座っているのである。
 椿が来たときからそこに居座っており、椿にどけろと言われても頑なに移動しない。結局は椿がお手上げ状態になり、綾乃は悠々とイスで寛いでいた。

「…………」

 長い沈黙が流れていた。お互いに喋ろうとしないため、生徒会室には綾乃のイヤホンからもれるかすかな音だけ。

 なにも話さない、授業をしてるわけでもないのに静かな生徒会室。

 困った。椿は非常に困惑していた。
 彼の目の前にあった書類は全て目を通されていて、椿が処理できるものとできない物に分けてあった。

 つまり彼は、もう帰ることも出来る。しかし、綾乃を置いていく訳にはいかない。何故か頑として帰ろうとしない綾乃に、椿は呆れたため息を吐いた。

「坂城先輩」

 やはり返事はこない。背もたれがこちらに向いていて、椿から彼女の顔を見ることは出来なかった。あえて無視しているのか、それともイヤホンで聞こえないのか。
 音漏れがしている位なのだから、きっと聞こえなかったに違いない。

「坂城先輩」

 少し大きな声で読んでみる。やはり返事は無い。
 そもそもなぜ彼女がここにいるのか疑問に思った椿は、ついに立ち上がり綾乃に近付いた。

 綾乃が気付いて振り向く様子は無い。一層不審に思った椿は綾乃の顔が見える位置まで移動する。

「坂城先輩?」

 返事は、来るはずがない。

「坂城先輩……?」

 小さな声でまた呼んだ。
 椿の視線の先には、最初見たのと同じように綾乃が居る。

 いつもおとなしいのおの字も無い綾乃が、小さく寝息を立てていた。まさか死んでしまったのかと慌てた椿だが、彼女の肩が上下しているのをみて安堵する。

 なんて事だろう。綾乃が寝る姿など想像も出来なかった。いつも動いてないと死んでしまいそうな彼女の眠る姿に、椿は動揺が隠せない。

 イヤホンを耳に付けたまま目を閉じている彼女。音楽に浸っているのかと小さく名前を呼んでも、反応は無い。やはり寝ているのだろう。

 椿はイスの前に立ち、綾乃に降る光を遮る。光を反射していた髪やまつげが光るのを止めた。
うるさくないだろうかと、椿は彼女の耳にはめられているイヤホンを見る。
長いコードは綾乃の手の中にある音楽プレーヤーに繋がっていた。彼は彼女の手の中に見える再生ボタンを押す。漏れていた音楽が止む。

 起きるかと思ったが、まったくその気配が無いのにまた驚いた。彼女が息をするたびに肩が上下して、随分と深く眠っているようだった。窓から入り込んだ風に、金色の髪がさらさらと揺らされる。

 大人しくしている姿が珍しすぎて、何か一つの芸術品でも見ているようだ。椿は息を呑む。

「綺麗、だな」

 何も言わなければ、ギャーギャーと文句を言わなければ、綾乃は綺麗の部類に入る。 いつもこのように大人しくしていれば、自分は彼女を追いかけ回したりしていない。
 そう思うと、椿は胸のあたりがもやもやと曇る。彼は腰を曲げて、座る綾乃と頭の高さをそろえた。

 俯いている綾乃の顔がよく見える。

「いつもそうだったらいいのに」

 起きていたら怒られるであろう言葉を掛けてみる。呼吸は乱れない。何の気なしに、椿は綾乃の手に触れてみる。少しばかり椿より冷たい。
 そう言えば冷え性だとか言っていたっけ。今度生姜でも渡してみよう。この前の事を思い出した椿は、滑らかで柔らかい彼女の手を撫でる。

「小さい……」

 自分よりふた周りも小さな綾乃の手を握った。強く握れば折れてしまいそうで、椿は慌てて手を離す。肩を叩いて起こしても良いかと思ったが、どうしてか彼にはそれができなかった。

 さてどうしよう。
 起こすという考えそのものが浮かばない椿は、代わりに当惑した表情を浮かべる。
 ゆらりとカーテンが誘うように揺れた。
椿は頭がぼぉっとしていた。ただただぼんやりと、綾乃の上下する肩を見ていた。何故起きないのだろうと時折考えるが、その疑問もいつのまにか消えている。

「綾乃先輩」

 あまり呼ばない下の名前で呼びかけた。返事はない。さっき彼が握った手を見て、椿は綾乃の顔に視線を移す。

 そっと手を伸ばし、金色に光る髪の毛に触れた。するすると指の隙間をすり抜ける細い髪。
 自分のとは全く違う感触に、椿は何度も髪を梳く。

 椿は何も考えず、髪の一束を持ったまま。綾乃の額にそっと唇をつけた。
 やはり起きる気配は、無い。

「先輩の事、嫌いじゃありません」

 まだその言葉の意味を、椿自身が理解していない。室内の静けさに、その言葉は誰にも届かず消えていく。

「…………ッあ」

 場にそぐわない気の抜けた声が生徒会室に響いた。風が止む。
 椿が呟くと同時に、慌てて体を離した。それでももう間に合わない。

 顔が湯気ができそうなほどに紅い。自分は今何をしたのだろうか。

 聞かずともすぐにわかる。
 彼は今、自分の先輩に触れてしまったのだ。あろうことか、唇で。

 なんて事してしまったんだ僕は。目を白黒させて椿は混乱していく。跡が付いたわけでも無いのに、ハンカチで綾乃の額を拭いたりして。

 いつもなら欠かさない常識を、椿はすっかり忘れてしまったようだった。

「しまった……」

 誰かに見られてはいないか。そもそもこれが狸寝入りだったらどうするんだ。
 やっと我に返った椿は、頭を抱えるしか出来なかった。本来は手を握ってしまった所で気付くべきだったのに。

 取り返しの付かないことになってしまった。副会長の僕が不純異性行為。
 椿の頭の中でネガティブな言葉がぐるぐると回り始める。

「ねて、ますよね……?」

 意味のない確認をしたからなんだと。今の行為は寝込みを襲ったことに相違は無い。椿は酷く落ち込む。彼自身をひどく軽蔑した。
 綾乃に対して非常に申し訳ない。なんなら土下座してもいい。自分から白状するような事出来るわけがないのだけれど。

 どうすれば良いのか分からなくなった椿は、最終的に手持ち無沙汰になり。手近にあった綾乃に上着をかけ、全力の早さで生徒会室から出ていくのだった。

 明日、どんな顔をして追いかけ回せば良いのかわからない。
 自分がなにを考えて感じているか、まったくわからなかった。


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