1日目

「うぃー。ただいまー」

 酔っぱらいなわけではないけど、いつもの口癖のように意味のない言葉を呟きながら玄関のドアを開ける。ミュールを脱ぐと、履き慣れていないカバーソックスが靴に置いていかれた。
 五年前から始めた一人暮らし。一人が慣れたこの場所に、あたし以外の誰かが待って居た事なんて一度もない。
だから呻いたあとの言葉も本当は意味がない。

 一人で使うには持て余す三LDKのマンションの部屋は、駅やバス停から遠い所為か家賃は割かし安い。職業柄ほとんど家から出ないし、三十分歩けば駅、二十分歩けばバス停があるので特段不便はない。
 近場にスーパーがあるわけでもないが、一人暮らしで食事にこだわりもないあたしにはあまり困ったことは無い。
 毎日買い物に行くことはしたくない。だから久々に買い物に出て一日を費やし、沢山の食料や物資を買い溜めて来た。またこれでしばらくは引きこもりの生活が続けられる。

 家を出る時に予想していたよりも早く暗くなった。斜めに夕暮れが差し込んでいるが、それももう数秒だろう。
 薄暗くなっていく部屋を一瞥して、キッチンの棚や冷蔵庫に食材を詰めていく。一人暮らしにも優しい大きくて備え付きの冷蔵庫はあっという間に、半月分の食材でいっぱいになった。
 一通りの仕事に満足して、棚からコップを取り出す。買ったばかりのミネラルウォーターのキャップをひねる。
 夕日が沈み切ったのか、部屋の暗さは濃くなっていき、部屋の全体を見るにも難しい。

 電気をつけて、それからカーテンを閉めよう。そう思いスイッチを押し込む。
 明るくなった部屋は出て行く前と何も変わりはない。ソファーに掛けたままの上着。今朝読んでいた本。
 部屋の壁に向かって置かれたパソコンの回りも汚いのはそのままだ。机の上にはメモが散乱している。その隣の棚には本がかろうじて綺麗に並んでいた。

 部屋を見回し、いつもと変わらない。なにもない自分の部屋だと思った。

 けれども。あたしの目は、自分で思っていたよりもずっと衰えていたらしい。

「だ、誰、あんた」
「うおぉ! こ、この部屋の住人か!?」

 違和感大有り。なにがいつもと変わらないだ。なにもないなんで大嘘だ。
 薄暗くてわからなかったのか、部屋の真ん中に置いたお気に入りのローテーブル(あまり使った覚えはない)の上で、行儀悪く座り込んでいた男がいた。


 驚きすぎて叫べない。空き巣?強盗? なんて間抜けな格好、なんの最中ですか? 変な第一印象を受けてしまったあたしの警戒はかなり緩くなってしまった。
 こんな油断しきった男なら今持っている二リッターのペットボトルで殴れば勝てそう。なんて。

 男の髪はこの国日本では珍しい金色。もしかしなくとも染められたものではないだろう。目の色はグリーン、なかなか綺麗な色をしている。
 この二つから外人である事は判断できた。彼はあたしがじろじろと眺めるのを、頬を引きつらせながら受け入れている。

 服装は緑の、なんだろう。軍服みたいな服だった。ちなみに土足。
 そして、群を抜いて特徴的なのは彼の眉毛だった。なんだそれ、太い。それなのになんでそれが似合ってんだこいつ。それはつまり、外見が良い男性だったわけだが。

「えーと、空き巣? もしくはストーカー、なわけないな。お兄さんかっこいいもん」
「か、かっこ、なに言ってんだばかぁ!」

 あたしとエンカウントしてから動かないままの男性と、体を傾げて目線を同じにする。
 今のあたしの言葉がわかってて、彼の言葉もわかったから、とりあえず日本語が通じてよかった。通じなかったら、思い切り殴るしか方法を考えていなかった。

 あたしの言葉を聞いてるのか聞いていないのか、顔を真っ赤にして反抗してくるこいつはうん、もしかしたら女性免疫とか少ないタイプなのかな。年齢は、二十歳は過ぎてると見た。

 脳みそとか、体とか諸々が、状況に追いつかなくてため息が出る。なにから始めればいい状況なのか全くわからない。
 なにしろ家に帰ったら外人がテーブルに座っていました。なんて初体験だからね。

 まずば、土足でしかもテーブルの上に座られていると困るので、ブーツを脱いで床に座ってもらう。もちろん正座。

「なんで俺がこんな……」

 ぶつぶつと呪文のように呟いている彼を見て、どこかで見たことがある顔だと考える。でも外人の知り合いなんていない。芸能人でもないだろう。こんな格好良い人なら尚更忘れない。
 知らぬなら、聞いてみようか、金眉毛。

「で、お兄さんはいつからここに?」
「ついさっきだ。き、気付いたらここにいた」
「嘘を吐く毎に、君の頭がパーンてなるから発言には気をつけて」

 水がたっぷり入ったペットボトルを振り上げるとぎゃあぁと叫びながら嘘じゃないと全力で否定された。
 それにあからさまに怪訝な顔をして見せれば、シュン、と太い眉があからさまに下がる。

 いまさら変な事言うが。玄関の鍵は閉まっていた。もちろん壊された後もなかった。部屋はマンションの三階で、そうとうの根性がないと窓から入るのは難しい。それにもちろん、窓の鍵もしっかり閉まっている。

「どこからこの部屋に入ったの?」
「だから、気付けばここにいたんだよ。」

 どんな方法でここに来たのか、俺だって知りたいさ。と彼が付け足し、困ったように溜息をついた。金髪眉毛の顔を見て、わぁ、こいつ困った顔すげぇ可愛い。顔がいいからなおさらだ。

 出口が霞んできた尋問を続けることにする。
 この部屋来る前まで何をしてた?と聞けば思い出そうとしているのか嘘を考えているのか小さく唸った。
 男はしばらく考え込んで、少しずつ思い出されてきたらしい記憶を語る。

「菊の家で茶を飲んでて、その時にあいつが…そうだ、新作の薬ですとか言ってきて、」

 菊というのは誰だかわからないが、名前からして女の人だろうか。
 彼女か、と問えばまた顔を紅くして、ちげぇよばかぁ!菊は男だ、と言ってきた。とりあえずよくわからないから彼氏という事にしておこう。
 そう、その彼が新作の薬……?薬ってなんだ?

「それで菊がソオラァって……きっとあの薬が原因だ!」
「いやいや版権がね!?」

 よくわからないままに思わず突っ込んでしまったがなんだよソオラァ! ってよぉ! じゃない。突っ込みどころに気付きすぎてどこから突っ込めばいいんだ。
 今まで静かに話を聞いていたあたしがいきなり怒鳴るものだから、金髪眉毛は驚いて肩をびくりと震わせた。

 取り乱した分を落ち着かせるため、コップに水を入れて一気飲みする。それから深呼吸。
 再び目の前の金髪眉毛に眼を戻す。

 ふっと、いつかの記憶が映像になって頭に浮かぶ。そうだ、似てる。思い出してみれば、どこからどう見ても彼にそっくりなのだ。
 昔読んでいた漫画の登場人物。むしろ見間違いようがない。あの眉毛。

 コスプレイヤーってやつなのか、にしては、作りこみがえぐい。本人と言われた方が納得する。

「なあお前! 菊の家知らないか? あ、えっと、ここ日本だよな?」

 菊、菊。そうだ、その名前にも聞き覚えがある。こういう現象ってなんていうんだろう。
 目の前の得体のしれないものだった彼がどんどんはがれていく。今まですでにそうだったものに体がようやく追いついて、現実離れしていってしまう。

「あー確かに日本だよ。でも、その、何というか、」
「菊の家知らないのか? まいったな」


 そう言って頭をかいた金髪眉毛に、あたしがたどり着いた憶測をどう言えば説明できるだろうか。
 なんて説明すれば彼は納得できるだろうか。
 ここは日本でも、金髪眉毛がいたところと違う日本だなんて言ったって、理解も納得もしそうにない。そもそもあたしだって出来ていないのに、人にさせられるわけがない。

 彼の言動から考えるに、目の前の金髪眉毛はあたしが大好きな漫画に登場している、アーサー・カークランドだ。
 眉毛、なによりもそう。眉毛がそういっている。

 そのアーサー・カークランドが言っている菊というのが多分、サブカルチャー大好きマイノリティ否めません、本田菊のことで間違いないだろう。

 端的な話から推測するに、わが祖国はついに、その新しい薬品(新しいということは今までに何回か作っているのだろうか)、瞬間移動なんかではなくトリップの薬を作り出してしまったらしい。
 そんな馬鹿な話があってたまるか。うなだれる力もなく宙を見つめた。
 彼もあたしの視線に気づいて、同じ宙になにかを探す。そんなことをしても、結果が目の前に来てしまっているのだ。
 そこまで理解できたなら話は早い。

 今、目の前で困り果てている金髪眉毛、もとい、アーサー・カークランドに説明してしまえばいいだけだ。
 それが簡単だったのならワケは無い。

「あー、どう説明しようかな……」

 あたしが言葉を発したことに反応して、期待を込めた目がこちらを見る。
 彼には今、あたししか頼る手がない。

「ね、お兄さんは、菊さんからなんか言われてないの?」

 小首を傾げた彼の金髪が揺れる。下がってた眉が寄って、眉間にしわが入る。生きてるなあ、と思わず感心した。
 少し考えてから、彼が息を吸う。

「効力がいつまで続くかわかりませんが、行ってらっしゃい、とか楽しそうに言ってたな」

 何故か、すべて把握できた。なるほど祖国は、彼にモルモット役を任せたらしい。どういう訳かは知りえないが、つまりあたしの家に来たのは確立の低い偶然か。失敗なのか成功なのか、多分本田菊が考えていた場所がここな訳ではないだろう。
 意識していないのに、口の端が上がってしまう。少し嬉しい。……いや、嬉しい。これってこれって、だって、奇跡のイタズラみたいだ。
 ちょうどあたしの家は保護できるし、お金の余裕もあるよな。なんて、彼のこの先を瞬間的に考えた。あれ、あたしオタクは卒業したはずなのに。やだなもう。
 でも職業柄もう抜け出せないか。ははは。

 アーサーは不審な様子を感じたのか、どうした? と不思議そうに首をかしげている。
 見れば見るほどに可愛いなほんとにもう。なんて思っていたから、あたし本当に浮かれているし自重したほうがいい。

「まず自己紹介かな。基本だよね。初めまして」
「お、おう。ハジメマシテ」

 あたし、変な顔をしていないだろうか。してるだろうな、きっと。
 彼は突然あたしが変になったからか、少し戸惑っているようだった。先ほどとは違う不安の目をしている気がする。

「お兄さんの話を信じましょ。あたしは如月真琴です。真琴でいいからさ」
「あ俺はイギリス……人のアーサー・カークランドだ。アーサーでいい」

 自分としては最大級の営業的な笑顔で手を差し出せば、彼も笑いながら、おずおずと手を出した。ぎゅ、と握れば、固いが温かい手を感じる。
 よろしくアーサー。同じように名前を呼ばれてよろしくと返された。よし、これは可愛い。

「さて、君の話をしようか」
「なにかわかったのか?」

 再び期待を込められた目で見られ、思わず目を逸らす。期待に応えられるかと問われれば、自信はない。
 えっと、と思わず言いよどんでしまう。昔から説明することは得意じゃないけど、出来る限りわかりやすく、それでいて掻い摘んで説明しよう。
 こんなわけのわからない話、長く話せば話すほどぐだぐだになって何言ってるのかわからなくなるのは明白だ。
 いくぞあたし。負けるな語彙力!

「アーサーは菊さんの薬の効果で、トリップしたらしいね」
「……悪い、話がまったくわからない」

 どうやら掻い摘みすぎたらしい。
 もう少しで「は?」と低い声が出ていそうな顔をしているアーサーに、もっとわかりやすく説明をしようと口を開く。
 こちらが慌てた様子を見たアーサーは申し訳なさそうに眉を下げてしまい、こちらもさらに申し訳なさが募る。新しい地獄かこれは。

 それでも他に仕様がないので、慎重に、よく考えながら、丁寧に言葉を選ぶ。

「アーサーは、その菊さんに薬を掛けられた、もしくは飲まされたんだよね?」
「あ、ああ、勢いよく掛けられた」
「その薬の効果が、異世界への移動、だったとあたしは考えた。」
「い、異世界って?」

 アーサーが理解できているかは微妙なところだが、なかなか上手く説明できてるな、と満足しながら話を続ける。
 つまり異世界文字通り異なった世界が、ここ。
というわけだと言えば、納得したような理解したような、微妙なんん、と言う返事と一緒に首をかしげた。

 そうだよな、トリップなんて言葉をこういう意味で使わないものな。英語で旅って意味だからな。
駄目押しに、とちょっと違う世界に旅に来たんだと思えばいいと付け足して言ってしまえば、そうなのか、とようやく腑に落ちたようにうなずいた。

 そこでやっとアーサーが体の力を抜いてほ、と息をついたので、少し労わろうとコップに水をいれて渡す。
 アーサーは悪いなとあたしに気遣ってからコップを受け取り、水をすべてのどに流し込んだ。一体いつからこの部屋にいたのだろう。

 彼はぷはぁと息を吐いて、やけに可愛いい顔で水を飲み干した。気持ちも落ち着いてさっきよりは親しみやすくなったのか、不自然ではない笑顔であたしに話しかけてきた。

「で、いつ戻れるんだ?」
「菊さんは効力はいつまで続くかわからないって言ってたんだよね?」
「効力が切れれば帰れるんだな」

 そうだと思うよ、と頷いて見せあたしは立ち上がる。わからないこともあるけど、さっきより不安は少ないようだ。あたしも、多分やっていけるだろう。

 気が付けばもう七時を過ぎている。お腹減った。カーテンも開けたままだし、なによりお腹が減った。コップを下げて、夕飯の準備をしよう。
 今にも騒ぎ出しそうなお腹をさすり、キッチンへと向かおうとする。
くん、と服が何かに引っかかった。

 驚いて体を向けると心配そうに眉を下げた顔したアーサーがあたしの服の裾を引っ張っていた。正座はもういいと促したのに、なぜか、腰が砕けたみたいに座ったまま。
 足がしびれている所為だと気付くのに時間は掛からず、優しくアーサーの手を取り目線を合わせた。

 彼は心なしか不安そうな顔をしていて、あれ、と心の中でつぶやいた。それからすぐに、理由がわかりああ、と小さく呟いた。

 あたしはそれが当然だと思っていたから言う必要もないと勘違いしていたが、アーサーはそうじゃないんだ。
 置いていかないで、助けて、なんて言う柄じゃないことは、よく知っていた。

「元の世界に帰れる日が来るまで、よろしくね、アーサー」
「……ここにいてもいいのか?」

 もちろん。歓迎するよ。

 うまく言えていただろうか。子供に戻ってしまったような不安を抱えた彼に、安心できる言葉は掛けられただろうか。
 がしがしと頭を撫でる。子供じゃないと怒られることもなく受け入れられて、大丈夫、と思わずあたしの口が動いた。
 うつむいて撫でられていたアーサーの声で小さく、ありがとう、と聞こえたのは、もしかしたらあたしの自惚れかもしれないと思うほど小さくて。どう返せばいいかわからなかった。
 見慣れない金髪頭を可愛い可愛いと言いながらぐしゃぐしゃにして、ごまかした。

 今日はパスタにしよう。そして早く寝よう。
 せっかく今日行ったばかりだが、明日はまた買い物に行かなければ。
 そう思いながらカレンダーを見て、明日の日付に赤く書かれた文字に、あたしは苦笑が抑えられなかった。

 いけね、忘れてた。


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