戸を開くと、むっとした熱気が頬に絡みつく。夏も近いというのに、ずっと部屋を閉め切っているのだから仕方がないのだが、じっとりとした梅雨の湿気と近寄る夏の空気にこのままだと黴でも生える、などと言う軽口を叩ける気はしなかった。部屋のあちらこちらに散らばる綿布に染みついた赤黒い血のせいで、戦場とは程遠い京都の屋敷だというのに鉄の匂いが鼻腔に這い寄ってくる。紛れもない死の、匂いだ。その真ん中で微かに息をする姿を認めると、なまえは安堵の息を吐いた。
「せめて空気を入れ替えねば、お身体に障りましょう」
「ちょっと眠りたいから静かにしててって頼んでたんだよ」
 戸の開け閉めの微かな物音でさえも目が覚めるというのか。今までうまいこと隠していた病がますます悪化し、秀吉の必死の懇願によって漸く京都で養生すると言ったのは春先の事であった。自らは中々見舞いに訪れることができない秀吉にできるだけ頻繁に様子を見に行ってやってくれと頭を下げられたのもその頃、一向に病状が快方に向かう兆しはない。
「……ね、播磨の方は」
「心配する必要はないと、自分から仰ったではありませんか。官兵衛殿もいるから、大丈夫だと」
「だって、ずっと寝てるの退屈で」
「何を仰いますか、寝るのは貴方の得意技でしょう」
 そう憎まれ口を叩きながら臥床する枕元に膝を付く。眠るのにも体力が要るなんて、今まで知らなかった。投げ出されていた片腕を掛布の中に押し込んでやろうとして触れて、びくりと指先が震える。……まるで、もう血が通っていないみたいだ。確かめるように掌を頬にあてると、まるで氷のような冷たさになまえは思わず息をのんだ。ずっと布団の中にいるっていうのに、そろそろ初夏も過ぎた季節だっていうのに、どうして。
「なまえ殿、あったかいや。なんか、俺眠くなってきたかも……暇なら同衾でもしてほしいな、なんか……よく眠れそう」
「半兵衛ど、の」
ぜいぜいと苦しげに途切れがちな言葉を紡ぐと、彼は薄らと笑んだ。肺に根深く棲みついた病巣はもう知らぬ顔でやり過ごせないほどにまで彼の人の生を蝕んでしまっている。戦場で舞い踊る佳人が今にもこの屋敷の戸を叩いて歌う幻想がなまえの脳裏に揺らめく、元から女の自分とあまり変わりのないほど華奢な手首はずっと頼りなく夜の灯りのようだ。
かさついた指先とは裏腹に額に浮かぶ玉のような汗を手巾で拭ってやると喉を鳴らして、辛うじて生気の残る瞳がなまえの双眸をじいっと見つめた。深淵に引きずり込むように、自分の計った通りの展開に人を持ち込むときに半兵衛が良く見せる顔だ。凡庸なこちらは初めから負け戦、どうしたってこの人はこんなところにあってまで軍師なのだ。
「あのさ、俺一個お願いがあるんだけど、俺も播磨に連れてってよなまえ殿。今日俺、すっごいことに気づいちゃって」
「駄目です。私が秀吉様に殺されて、おねね様のお説教を受けて、官兵衛殿に睨まれる羽目になるではありませんか。…何に気づいたですって?」
「さっき言ったじゃないなまえ殿と一緒だとよく眠れそうだって、ね?」
「貴重な戦力を京都に留め置かせたくなくば、とでもごねるおつもりですか……皆様がそれで折れてくださいますかね」
 力ない手で促されるままに布団に潜り込む。ずっと臥していた者などいないかのように冷え切った布団の中で、幼子がするようになまえの身体を抱き込む半兵衛の胸に耳を当てて目を閉じた。器官がひゅうひゅうとよろしくない音を立てる間に、微かに届く心音を手繰り寄せるように耳を欹てる。先程まで恐れた冷たさは蒸し暑い空気の為に、いつの間にか心地よさに変わっていた。手すさびに髪の間をすり抜ける指先がなまえまで眠りの淵に連れて行く。頃合いを見て抜け出そうと思ったというのに、この人は全く。

 喉を焼いて肺からせり上がる痛覚を吐き出そうともがく様に咳き込む。幸いにも血は吐かなかったので、周りを汚すことはなかった。そっと様子をうかがうと目を覚ます気配はなく、苦笑が浮かぶ。このくらい派手な音を上げても熟睡する程に疲労しているのになまえと来たらまったく、毎度播磨から京まで馬を飛ばして一言、二言言葉を交わすと決して長居しようとはせずに帰っていくのだ。それで今度はそっちが倒れでもしたらどうするのかと思っていることに気づかない辺り、なまえの鈍感さには呆れる。
眠れそう、とは言ったが本当に眠れるかどうかは別の問題である。しかしいつもよりは微睡んでいるから上出来だ。常より大分冴えない頭で播磨に参陣するための方法を考えるけれど、どうにも浮かんでこない。
「……ごめんね、なまえ殿」

 君が困るような我儘きいてもらう為に、嘘ばっかり吐いて。


あとがき
戦国4の半兵衛殿死にかけすぎつらい



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