いつもこの人からは、香油のいい香りがした。華やかで甘いけれど、しつこすぎないそれに包まれてこの整った微笑みに中てられればきっとどんな女性でもときめかずにはいられないだろう、そんな人。

「ああ、悪いねなまえ殿。見苦しいところを」

薬湯だとか、得体の知らぬ医術の道具だとかの独特な匂いが鼻を突いて、目の奥を刺激する。薄い膜が両の目に張ったのを感じて目を閉じると、それを振り払うように息を一つ吐いて房の中に足を踏み入れた。
自分の屋敷には帰りたくない、と駄々を捏ねるこの男はこの状態でも尚自らの邸宅ではなく執務室に詰めていて、つくづく我らが主は寵愛するこの軍師に甘いとその時は辟易したがなるほど、ここにいるということはすぐに何かあれば駆けつけることもできるし何より監視が利くということなのだ。本日の兵の調練も、自らの鍛錬もひとまずといったところに曹操様が私に声をかけてきたのは彼のお見舞いというよりはこっそりとこの男が出歩いていないか見てこいということだったのだろう。案の定、郭嘉殿は大人しく寝台に横にならずにせっせとなにかしら手元の竹簡に書きつけている。

「起きていてよろしいのですか」
「そんな怖い顔をしないで、せっかく愛らしい顔立ちをしているのに勿体ない」
「お元気そうですね、思っていたより」

郭嘉殿はこのだいぶ失礼な物言いを意に介した様子もなく近くに座した私の身体を引き寄せる。そうすると、より一層薬の匂いは強くなる。病の、香が脳髄に染み渡るように私の頭の中を犯していく、この人の身体の中に棲んでいるもののように。薄い夜着の下の身体は覚えているよりもずっと、頼りない。
痩せた肉叢に頬を寄せると、驚いたような表情と目が合った。しかしそれはすぐにいつもの真意を見せぬ穏やかな笑みに変わる。

「珍しいね、貴女がこうしてくれるなんて……とても、嬉しいな」
「私じゃご不満な癖に、もっと美しい人が良いのでしょう」

「珍しいね、貴女がこうしてくれるなんて……とても、嬉しいな」
「私じゃご不満な癖に、もっと美しい人が良いのでしょう」
「そんなことはないよ、貴女は美しい女性だ。私を夢中にさせるほどの、ね」

流麗に、軍略と愛とを同じ唇で紡ぐ。それを聴いていたいのか、聞きたくないのかすら私にはもう分からない。分からないから、寄せた顔を薄い色の瞳から逸らすように押し付けた。そうすると微かにこの人自身の、房に充満した薬の匂いではないものが鼻腔に届く。いつもの香油よりもこっちの方がよっぽど、私には毒かもしれない。この人の腕に抱かれているという確かな証拠を、求めている。

「貴女は、困った人だね。私は戯れで済ませたいのに、離させてくれないなんて」
「お戯れを仰るのは貴方の方でしょう……ずるい郭嘉殿にそんなこと、言われたくありません」
「おや、どういうことかな」

お願いだから、そんな風に言うのなら刹那に生きないで。儚さを体現するように、生きないで。それは、この人の性分をすべて否定するようなものだと分かりきっているのに懇願せずにはいられない。しかし、それを音に出すことができないのが互いにとって唯一の救いなのだろう。
けれどもしも私が本当に貴方の現世への執着を煽ることができるのなら、それなら私はいくらでもこの人のために。そんな期待をもたせるずるい人。



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