私は見ていた。

盲しいた老虎が嗅覚だけを頼りに獲物を狩るのを。しかし老いた虎は判断を大いに鈍らせていて狩らねばならぬものではなく、傍らにあった一羽の燕に老いてもなお鋭さだけは失っていない牙を突き立てた。羽毛が舞い散り柔らかな翼が、臓腑が食い千切られていくのを。しなやかで強かなその魂を食い破っていくのを。
潰された喉奥に絡んだ悲鳴を飲み込んで、嗚咽と慟哭とを心の臓へ縛り付けて、浅い息を繰り返す。胸がきゅうと絞められるような息苦しさの中で、ぷつりと翅が堕ちる様な心地がした。


「作り方を、知っているか」
壁にずらりと並べられた標本たちを眺めていると、不意にかけられた問いに眩暈が襲ってくる。ああ、私はこの感覚を知っているのだと思った。
「捕まえたらまず、胸の辺りを押して息を止めるのだ。他の子が平気でやっていても、私はどうしてもできなくてなあ……」
「……お優しいのですね」
鳥の羽よりも、もっと脆い翅を愛でるために人はそれの息の根を止める。それが目的なら翅をもいでしまえばいいのになぜ命を絶つのでしょう。きっと、それをもがれてしまっては生きていけぬからでしょうね、ねえ。そんな風に、お優しいあなたなら分かるでしょう。
「そんなことはない。可哀想というのもあるが、私の指の間で私を見るあの眼がなんだか恐ろしく思えてな」
光も色も映さぬあの眼から、何も物言わぬあの口から恨み言でも聞こえるのかと思って恐ろしいのではないですか。ねえ、そうなのでしょう。むっとするような夏の空気が、私の肺を満たすけれどどこか物足りぬ気持ちで吐き出す。

ねえ、孫権様
今の私は貴方様の御目にどのようにうつっているのでしょうね


瞬きを繰り返しているうちに、貴方と目があった。
「ずいぶんと、難しい顔をしていましたね」
「……伯言様の方こそ、このような事態に数多のことをお考えなのでしょう。あまり無理をなさらないでくださいませ」
私の言葉に笑んで、そっと頬に伸ばされる指先の温もりが胸の内に凝り固まった暗恨を融かしていって、泣き出してしまいそうになる。でも、それをしてしまったらこの人はあわてるだろう、そして私に許しを請うかもしれない。違う、違うのに。あなたが私に負う悔いなんて何もないのだから。そうしてまた、せり上がってくるものを嚥下することに従事する。もう何度目か数えることをとっくの昔に諦めてしまったとうに慣れてしまったそれすら暴きそうになるこの人を、私は事が終わったらちゃんと離すことができるだろうか。
「貴女が世話を焼いてくれますからね、そんな隙もありませんよ」
「ご迷惑でしたか」
「いいえ、嬉しいですよ。なまえ」
神仙の騒動に巻き込まれるのはもう何度目かの話であったけれど、此度は本当に性質が悪い。それぞれが別の年から呼ばれてしまったせいで記憶の齟齬が生まれている、難儀なことだ。当然未来を知る者は余計なことは言わないという暗黙の了解があって、その最たるに私も含まれている。しかし、それは事の弾みにを避けるために当人たちしか知る由もない。
顔を合わせた瞬間に泣き崩れてしまった私を都合よく解釈してくれたけれどどうにも騙しているようだ。この人の知っている私は、まだこんな嚥下し続けた負の感情が混じった泥濘に汚れきった私ではないのだから。それでも、私の中にまだその頃の何かが残っていたらしい。もう潰えたはずのそれの滓が寄り集まって顔を覗かせるそれはまさに夢想のような心地よさであった。

ああ、もしかするとこれは滅ぶ前の私の見ている都合のいい夢なのかもしれない。この騒動がひと段落したら私はきっとあの色褪せた見慣れた景色の中で息を吸うたびに身体の内から灼かれるように、内側から全てが流れ出て私は滅ぶ。

そうであったら、どんなに。


「どうした、なまえ」
「……少し眩暈が」
「今日は暑いからな、気をつけろ。保健室に行くか?」
「いいえ、そろそろ帰りますのでお構いなく」

早く。早く。
早く迎えに来て。
歌うように、踊るように軽い足取りで階段を駆け下りる。

「……こんなところにいたのですか、待たせてしまったから怒って先に帰ってしまったのかと思いました」
「私は待つのは得意なのですよ、我慢強いのです」
「我慢のしすぎはいけません。貴女はいつもそうやって」
「貴方には言われたくありません」

これでやっと息ができる、胸を締められることも内側を灼かれることもなく。私は、貴方の隣で夢を見れる。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -