夜のけもの

混ざり合う汗がどちらのものなのか分からなくなってずいぶん経ったころ、どちらともなく「疲れた」と笑って、一旦お互いの温度から身を離した。
ずいぶんはまだ同じ温度を保つのだろうが。

「腹減った」

桜木が布団から脱皮するように這い出て、のそりと台所に立つ。名残惜しいとは思ったが、行動を制限するほどのものでもなかった。
汗が光沢のように反射している桜木の背中を眺めていた。
でも、全然、悪くない。
汗で張り付いた髪の毛を撫でつける。

「ムードがないな」

「食わねーの?」

「お前が食べるなら食う」

鍋と丼を出す音。
袋麺の開封音。
おそらくは最近買ってたやつだろう、桜木の影に隠れて見えてないけれど。
お湯の煮える音。
そのころには汗も落ち着いていて、体がべったりと張り付く感覚を覚えた。
きっとあいつも気持ち悪いと思ってるんだろう、わざわざそんなこと言わないにしろ。

調理はゆっくりとすばやく終了した。
桜木の手際がいいのかわからないけれど、多分そうなんだろう。
てきぱき動くのが得意なのだと知ったのは、たぶん想いを自覚する少し前だった。
ちゃぶ台に丼が置かれるときの小気味いい音を聴き届けてから、これから移住するような気持ちで立ち上がった。
「こっちで食えよな」桜木は案外几帳面だ。
そういうところも愛くるしいのは、多分それが桜木だからだ。


「わざわざ着たんか?」
下着とTシャツだけ。
「裸で食べるのは落ち着かない」
「ふーん」桜木は下着だけ着ている、裸のまま啜り始めた。

湯気の立つそれには卵とコーンが落とされている。
ちらりと覗くと桜木の食べているのも一緒だ。

「豪勢だな」

「豪勢って何だよ」
桜木がくくっと吹き出す。

どっちかっていうとショボイだろ、と食べながら桜木が言う。
確かに材料だけで言うならそうかもしれないが、そういう、たかが袋麺一つにも柔軟に作れるところが。
多分この感覚は桜木には永遠に通じないんだろうと考えて、贅沢な気持ちになる。
桜木は幸せになるのが上手いのだ。

「好きだな」

「…オレが?」

「この味が。……お前もだ、悪い」

「何で謝るんだよっ」

取り違えたことに気づいた桜木が赤くなりながら怒る。
味と言うよりは、全部まとめて、この空間が非常に好ましかった。
いとしい、というのはこういう感情を言うのだろうとも。

オレがスープを少し残して桜木は全部啜りきる。
桜木は食べ終わったあとにもう一度ああ、と吐息に幸福を含ませた。
幸せだ、と思った。
心地よい気だるさが体を支配していた。
求め合わなくても満ち足れる気がした。
そんなこと実行できないのに。

桜木の耳の後ろに手をやって、唇を食む。
押し倒しながら咥内を貪って、からだをくっつける。
桜木は抵抗しなかった。口のなかは同じ味がする。
今この瞬間が、完璧に思えた。

桜木はふう、と魅力的に眉を寄せてオレを押し返すと、「丼、流しに置いとけ」と吐き出した。

「布団で待ってる」

桜木はゆらりと布団のほうへ戻った。
まるで秘密の合図みたいに。
それを楽しみに見送りながら、オレは丼を片すために立ち上がった。






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