逆光


差し入れにと持ってきた缶ビールはもうあらかた飲みきってしまっていて、飲み干したその残骸は潰れてたりそうでなかったりしてそれでも全て中身は空っぽで、2つ3つほどは背の低いテーブルの上から転がり落ちて床に寝ていた。
飲み始めてから何時間経ったのだろう。腰を落ち着けたまま時計を探してぐるりと部屋を見回すと午前2時だった。明日が日曜で助かった、このぶんだとまだ当分ここにいることになるだろうからもう今日はここに泊まらせてもらおう。その許可をオレは桜木からもらっていないが、聞かずとも桜木がまだオレを帰したくないのは態度を見れば明らかだった。
いつもの明朗で快活な性格はどこに行ってしまったのか、普段の桜木しか知らないものならばおよそ想像がつかぬほど今の彼はしおらしかった。
しかし彼がこれで内面に繊細なところがあるのだと気づいたのは何も最近ではなく、その豪快な所作とうらはらに乙女のような心持ちがあるところを、俺は少なからず気に入っていた。

もう軽くなっているビールを勿体ぶるように一口だけ胃に通す。冷えていなくたって味わうために飲んでるわけじゃない。
桜木のアパートはしんとしていた。
生活感があまりない、と言い換えてもよかった。


桜木と三井がそういう関係にあることを、桜木はオレに隠したりしなかった。
「別に、誰にだって言ってるわけじゃねーよ」という彼に、じゃあなぜオレに話すのかと問いかけても、彼は首を傾げるばかりで、なんとなく、とか。ジイなら茶化さなさそーだし、とかを何でもないように吐いた。
聞いたところで2人の距離感を思い出してすとんと納得したくらいで、同性愛に偏見がないことをそのとき自覚した。もともと他人や社会にそれほど執着がないのかもしれない、とも。
桜木の説明したそれが全てとは言わず本音であるのも、理解していたからこそそれ以上深くは追求しなかったんだろう。


その関係がいつの間にかおぼつかなくなっていたのが、いつからだったのかはオレには知る由もない。もしかしたらずっと前から桜木はそれを感じ取っていたのかもしれないし、もしくは何も知らないまま今日がちょうど『その日』だったのかもしれない。
ただの共通の知人(もしくは友達かな)というだけのオレは2人の進展に身を乗り出すほどの興味があるべくもなかった。もっともそういうオレだから桜木もオレに三井との関係を話したのかもしれないが。
二人で飲んでいるときに呼ばれたこともあったし、三井に酔いたいから飲まねーか、といきなり電話を掛けられて暇だからと出向いたこともあったが、オレに桜木とセックスしていることを知られているのを三井が知っていたのかはわからない。どっちでもよかった。

さほど広くないこの家から人の匂いはしない。つまり、三井の匂いもしない。というのも、桜木の話を繋ぎ合わせながら聞いている限り三井と会うのはもっぱら彼の家だったらしい。
それが今日たまたま彼に直接「もう来るな」という言葉を突きつけられて、それで全てを察してしまって、呆然と家に着いてからオレに「来れるか」と電話を掛けて、今に至る。
電話の桜木の声がいつもの様子ではなかったので、オレも何かがあったことはなんとなく予測がついていた。

酔うためだけのビールを飲みながらべそべそと所々聞き取りにくい桜木の話では、別に『付き合っていなかった』そうだった。
でも桜木はなんとなくそれを愛なのかもしれないと気づきかけていた最中で、三井とセックスをするようになってから女の子にドキドキする性質もなりを潜めていた、と言っていた。
三井にするドキドキは女の子に対してのドキドキとは違うものでも、三井に対する感情も何らかの意味での『好き』であることもなんとなく自覚しはじめていた。
でも彼女が出来るまでのつなぎだと笑いながら始めたのも確かに自分も一緒で、だから裏切られたという気持ちがあってもそれを三井にぶつける権利は自分にはない…というようなことを、オレに聞かせているのかいないのか垂れ流すように一通り喋り尽くしたあと、ねじが切れたように静まって、たまにぽろりぽろりと涙を流してはまたため息をつくか酒を口に含むか、を繰り返していた。

オレも大概お人好しだな、と苦笑する。

それでも、桜木に世話を焼くことは嫌いじゃなかったし、桜木から頼ってきたときは輪をかけてだった。それは出会ったときからずっと変わらないように思う。
…今であっても。
他の人間に対してこういった感情があるのかわからないが、桜木に対してはそうだった。
仲がいいわけでもないのに、オレはけっこうコイツのことを気に入っていた。桜木はそういう魅力のある人間だった。

そろそろ寝るように促そうかと思っていると、いきなり胸にトン、と重さが乗った。すがりつくように桜木がオレの胸にしがみついていた。

「…桜木?」

様子をうかがうように問いかける。
相手が同性にも欲情できると知っていても、それが桜木ならば嫌悪はなかった。
なだめるように桜木の背中を撫でる。

「じいは…何も、しなくていいから、…もう少しだけ、こうしてていいか」


ゆっくりと背中をさするのを続けながら、「ああ」と答える。
少し伸びた赤毛を撫でる。
桜木はオレの胸に躰を預けるのが落ち着くらしい。温もりを欲しがっているんだろうな、と頭の冷静な部分で理解していた。それをオレに求めているのかはわからない。
一瞬、オレは桜木なら、と考えてしまった時点で、(不倫だ)と思った。そしてふっと自嘲する。
(別れたどころか、付き合ってさえいなかったのに?)

「桜木」と呼びかけて、撫でていた部分からなぞるように桜木の体を撫でる。
くすぐるように首をなぞって、桜木が嫌がってないのを見てから、もう一度呼びかけた。

「…じい?」

じっとお互いの眼を見つめ合う。
はらはらと零していた涙で目元が赤い。
桜木はふっと諦めたように笑いを吐いた。

「惨めだ」

その言葉はおそらく、桜木自身に向けて。

桜木の手が力なさげにオレのシャツを掴む。

「…じいは、嫌じゃねえの」
「嫌じゃないから、来たんだろうな」

畳の上に桜木を押し倒す。唇を合わせて、お互いの咥内を貪る。
自分の下で泣くように笑む桜木を見ながら、三井もいつかこの視界を見たのだろうか、と思った。






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