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「星矢…仮面を外すことを、許可します」
女神の言葉で、ゆっくりと星矢が仮面を外す。
星矢とは六年の仲だが、聖闘士の掟によりその素顔を見たことはない。
初めて見る星矢の素顔は、どう見ても十三歳の少女の顔だった。それでも、大きくつぶらで愛嬌のある瞳も、意志の強そうにつり上がった眉毛も、やわらかそうな唇も、それが星矢の素顔として一番しっくりした。
未成熟で、未発達で、そのくせ人一倍正義が何たるかを知っている。仮面を外しても変わらない。
皆の愛する星矢が、そこにあった。
そして、女神を慈しむように微笑む顔は、寂しくなるほど美しかった。
跪いたまま星矢が恭しく女神の手にキスを落とす。
「あなたを愛しています」
「ええ」
「あなたを、ひとりの女性として、また友として、そして敬愛するアテナとして、私のすべてであなたを愛しています。そして、私の身体も、魂魄も、未来も、運命も、すべてをあなたに捧げます」
星矢が女神を見上げる。
「ありがとう。慎んで受け取ります。貴女の、すべてを…」
女神は微笑む。ひとりの女性として。星矢の友として。そして聖闘士の象徴たる女神として。
他でもない女神そのひとにすべてを赦された星矢は、まるで世界そのものを愛おしむように綻んだ。まだあどけなく幼いその顔に、およそ似つかわしくない神々しさだった。
星矢が懐から銀の短剣を取り出す。オレの指ほどの大きさの、いわゆるダガーだ。
差し出された女神は厳かにそれを受け取り、自身の華奢な手首に薄くそれを滑らせた。
たちまち滲む女神の血によって、短剣が赤く光る。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
女神の手から短剣を受け取った星矢は、硬い石床の神殿に膝で立つと、短剣をその白いワンピースの中に差し込んだ。
覚悟を決めるように、ふう、と星矢が一度息を吐く。星矢の小宇宙が緊張ですこし硬質になるのを感じて、こちらも張り詰めたような空気になる。
ゆっくりと、短剣を握っている腕に力がこもりながらも、ゆっくりと腰を落としていく。
静かな空の下で、風の音に混じって、やわらかい肉が短剣で押し拡げられる、生々しい音が聞こえた。見守っている誰かがごくりと唾を呑んだのがわかった。もしかしたらそれはオレだったかもしれない。
ワンピースの下、石畳に、星矢の股ぐらの位置からぱたぱたと血が滴った。
あれはきっと、破瓜の血だ。
星矢の小宇宙がうっとりと瑞々しく艶やかに変化していくのを感じる。青い果実が熟れるように。
途端に、オレはそこでようやく、星矢がもう女神のものになったのを理解した。いつからだったのかわからないけれど、そのとき、オレはその普遍的な事実にハッと気がついたのだ。
また星矢が2人の血の混ざった短剣を女神に戻すと、女神は悦ばしくそれから滴る血液を飲んだ。女神の血は星矢の身体に入り、星矢の純潔は女神が血肉とした。
これで儀式は終わりのはずだ。
しかし女神の小宇宙は依然として星矢に向いている。
「星矢、ありがとう。貴女の気持ちを、貴女の運命を、そして貴女が捧げてくれた純潔を、わたしは無駄にしません」
女神が星矢の唇に女神自身のそこを重ねた。星矢が驚きに目を見開く、大きな眼はこぼれ落ちんばかりに。こんなことは儀式にない。儀式の範疇でない、いやむしろ女神が一介の聖闘士にくちづけを寄越すなど、あってはならないことだ。しかしオレ達はそれを糾弾する意志を持たない、なぜならその心は奇怪な祝福に満ちている!「沙織さん、あなたが好きです、愛しています」
「星矢、あなたの魂は永遠にわたしのものです、いいですね」
「ああ、ああ、永遠に、永遠に!」
星矢も女神もうっとりとその笑みに悦びを浮かべる。嫉妬さえ抱くほど。誰に?何に?この風でさえ二人を祝福しているというのに。
オレはふと急に崖から突き落とされたような喪失感を覚えた。喜びか、怒りか、悲しみか、寂しさか、ただひとつ身も焦げるような激情が、オレを渦巻いて死んでしまいそうだった。
≪ ≫
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