お風呂で… 昨日は酷い土砂降りで外に出られないほどであった。 しかし昨日と打って変わって今日はそれを無かったことにするような快晴である。 道の所々には水溜まりがあり、雲一つ無い空に輝く太陽が反射してやけに眩しい。 「櫂君」 「………なんだ」 低い声で櫂は傍らを歩くアイチに目をやると彼は頬を染めながら俯いていた。何か話したそうに口を開いている、しかし勇気が出せないのかもじもじしていた。 「………あのね!」 その声と被るようにして、遮ったのは水溜まりの水が跳ねた音である。車が二人の横を通ったと思えば二人に水溜まりの泥水を吹っかけて去っていった。すまない、と言いたげに車のクラクションが鳴り響いた。 「…………」 「…………」 「………ックシ…」 「何だ、今の」 「あ、ごめん……くしゃみ…」 アイチが健気に笑い掛けると櫂はどうしようもなく頭を抱えたくなった。 放課後、三和を追い払って二人でいい感じになって帰っていたらこの様である。三和が見たらきっと腹を抱えて笑い出すだろう。 泥水の跳ねた制服を見て、アイチは困り笑っている。なんとなく申し訳なく思い櫂は口を開いた。 「俺ん家に来るか?」 「え、いいの?」 「いいから言っている、風呂でも入っていけばいい」 「……でも…」 いいから来い、と一言告げ腕を掴んで櫂の住むマンションまで引っ張ってゆく。アイチはなお顔を赤らめている、一方櫂はのこのこと抵抗一つしないアイチに不安と期待が生まれてしまう。 櫂の住むマンションは意外に歩いていた場所からそう遠くなかったこともあって、案外すぐに着いてしまった。 自室に入る前から落ち着かない様子で周りを見回している。マンションの住人にはすれ違うたびに会釈するアイチを見て「彼女さん?」と尋ねてくる。男子制服を着ているのだから男だろう、と思うもののつい頷いてしまう。 家の中へ通せばさらに何も面白みの無い部屋を周りを見回していた。櫂にとって初めて招いた客でもあったせいかどうしていいか良く分からない。 「右側にある、入ってくる時にわかっただろ」 「う、うん」 「着替え…、俺のでいいなら貸す」 「ありがとう…」 「後……」 「櫂君」 アイチの着替えを取りに行こうとクローゼットの方に足を進めるとアイチが櫂の制服の裾を掴んだ。 櫂は裾を掴むアイチを振り払うことなく、「なんだ」と聞く。すると最初はアイチも何か躊躇するようにもごもごと口を動かすものの決意を固めたのか櫂の目を見つめてこう言った。 「櫂君も一緒に……」 アイチはどこか頼りなさそうな弱々しい囁きで確かにそう告げた。 「櫂君も風邪ひいちゃうし、なんか悪いから……」 と続けてアイチは櫂の目を見て言った。 変な所で律儀で頑固なアイチは言いだしたら聞かないだろう。櫂にとってそれは嬉しい誘いでもあるが逆に抑えきれなくなりそうな誘いでもある。 「いいだろう」 後悔するなよ、とも言いたかったが敢えてそれは胸の奥で告げることにした。アイチは櫂のその言葉を聞くと胸を撫で下ろすような顔で微笑みを浮かべた。 「アイチ………」 腰にタオルを巻いている櫂は浴室に足を踏み入れたアイチを見て、複雑な気分になる。 胸までタオルを巻く、女の人の巻き方をして肩につく髪は一つに束ねられている。アイチにとって普通のことなのか、その事に恥じらい一つ見せずにのうのうとした声で「どうしたの、櫂君」と聞く。 浴室は狭い。 マンションに取り付けられた簡単な物である、ユニットバスでないだけいいのかもしれないが、二人で入るには少し窮屈だ。 浴槽など二人ギリギリ入ることが出来そうな長方形のサイズである。 「背中流してあげるね……」 「ああ」 スポンジを持ってそう言いだしたアイチに背中を向けるとアイチは少し意外だったらしい。 「…うん」と小さく頷いてスポンジを櫂の身体に当てるものの、会話が続かない。アイチも櫂も背中を流されるのも流すのも初めてだ。 実際会話が全く弾まないことにアイチは狼狽える。 「か、櫂君って背中おっきいね……」 恥じらいながら言われるとある意味で違う方を思い浮かべてしまう。アイチも自分の言ったことを考え直して口を抑える。 櫂言えど興奮することはある、しかもタオル一枚しかない下半身はいつもよりも目立ってしまうだろう。 「どうかしたの?」 「いや、なんでもない……お前も後ろ向け」 「え?」 「髪洗ってやる」 父親のような発言に櫂自身言い終えて初めて後悔する。だがアイチはさらり、と髪を結っていたゴムを外して嬉しそうに背中を向けてきたからかさほど気になっていないようだ。 指で髪を解いても引っ掛かることはない髪はきっと半分はシャンプーからリンスまでプロデュースしている妹のお陰だろう。しかし水を被ってみればいつものクセのある髪は落ち着きを見せて、普段よりも長く感じると同時に色気が増したように感じた。 「僕、誰かに髪洗ってもらうの何年ぶりだろう」 「嬉しそうだな」 「だって、櫂君に髪洗ってもらえるのなんか嬉しくて」 「そうか」 えへへ、と本当に嬉しそうに笑うアイチを微笑ましく思うものの、次の瞬間にアイチはびくりと跳ねた。 「痛かったか?」 「ちちち違うよ、えっと」 「言いたいことがあるならはっきり言え」 「じゃあ、怒らないって約束してね?」 櫂がぴしゃりとそう制すとアイチは申し訳無さそうに目だけを櫂に向けた。 「……櫂君、の……当たって…るよ?」 そういわれて櫂が確認すれば、確かにアイチと密着してるせいもあり、当たっていた。 アイチは顔を真っ赤にして「仕方ないよね、男の子だもんね」と必死にフォローするもののなんとなくフォローにはなっていない。 「アイチ」 「……ごめんなさい! そんな、バカにするとかじゃなくて…」 「違う、ただ……」 シャンプーを流したてのアイチがようやく櫂の顔を見ようとした直後に無理に唇を重ねた。思考が追い付いていないアイチは意味が分かっていないのか謎の声を上げている。 「まさか、知ったからには手伝ってくれるよな?」 大体の意味を理解したアイチはただ深く頷いて櫂を見てさらに顔を真っ赤にした。 こうしてアイチは櫂の家に二日ほど世話になることが決定したのだった。 |