一番近い距離で鼓動を聞く アイチの家に電話が掛かって来た。偶然受話器を取ったのがエミでどうせ櫂やカードキャピタルの人だろうと思ったが予想を大いに外していた。 電話の相手は男ではあるが低い声についエミは困惑する。しかもアイチを呼ぶのだ、エミはアイチが脅されているんじゃないかと考えるほどである。 即座にアイチを呼んで受話器を渡せば彼も少し困った顔をしておずおずと電話に出ていた。 「も、もしもし…」 だが話して行くとアイチの知り合いらしく、すぐに強ばった口調ではなくなり軽いと言う表現は似合わないものの友達と話しているとわかるような口調になった。 電話を切るとすぐに慌ただしく自分の部屋に戻り、エミがただ呆気に捕われている間に少し騒がしく階段を掛け降りて来た。 手頃な斜め掛け鞄を手に持っていて、その足ですぐに玄関で靴を履き始めた。 エミはどちらかといえばアイチの今までに無い活動の早さに驚いているようだ。 「どこか行くの?」 さっきの電話が誰だったか聞こうかも考えたがきっと言われても分からない人だと思い、喉まで出掛った言葉を飲み込み、代わりにそれだけ問い掛けた。 「えっと、友達の家……かな?」 「帰りは遅くなりそうなの?」 「夕飯までには帰るよ」 それだけ言うとアイチは「行ってきます」とエミに微笑む。少し引っ掛かる言動もあったが、エミは「いってらっしゃい」と返した。 バタン、と慌ただしくドアが閉まる音を聞くとリビングにいた母親が出てきた。 「アイチ、出掛けたの?」 「う、うん………友達のお家に行くって」 「そう……なら手土産持たせた方が良かったかしらね」 母親はアイチが友達の家に行くこと自体が嬉しいのか、エミがどうも腑に落ちない顔をしているのには気付かない。 エミはどちらかと言えばあんなにも機敏にアイチを動かす人物が櫂だけだと思っていたからか、他の人の用事であんなに慌てるアイチが珍しいと思った。 電話の相手は新城テツであった。 どういう経緯から先導家の電話の番号を知り得たのかは知らないがきっと裏の技を使って知ったのだろうとアイチは一人で自己解決に至った。 『レン様が風邪をひいた、来い』 少し意味がわからないがとりあえずテツの低い声が余計に脅し文句のようにさせた。そういう耐性が全くないアイチは言うことを聞いてすぐにレン達がいるフーファイター基地に向かった。 レンが風邪を引くような、そんな柔ではないとは思ったが、突き止めてしまえばレンも人間なのだ。 どんなに魔法めいたことをやったとしても人間という事実は変わりは無い。 だが彼が風邪を引くなんてことは出会って間もないがなかなか無いことなのだろう、直感的にそう思った。 家から歩いていたからか、フーファイターの基地は遠い道のりに感じた。 昼過ぎは人の賑わいがあり、別に何も怖くはないだろうが、きっとこれが夜ならば一気に気味が悪くなるだろうなと思った。 基地に着けばすぐに門が開き、中から幹部らしき男が丁重に案内してくれた。基地内部にはテツがただ立っていて「遅かったな」とこれまた低い声で言った。 「えと、なんで僕は呼ばれたんですか?」 「レン様が連れてこいとそう仰ったからだ」 「レンさんが?」 長く人の見当たらない廊下をテツが先導して歩く。途中、どこか落ち込み気味のアサカが「レン様が全然食べて下さらない…」と普段見られないような顔をしてトレイを持って歩いていた。 のっけられているのは大分こだわっている雑炊でアサカ手作りの自信作なんだとすぐにわかる位に凝っていた。いつも自信に満ちあふれている、そんな彼女は肩を竦めて全く見る影もないような状態である。 そんな彼女とすれ違ってすぐにテツが「ここがレン様の部屋だ」と言う。確かに他の扉とは違い高級感があると言うか、とにかく偉い人がその扉の奥にいることはなんとなくわかった。 「レン様、先導を連れてきました」 自動ドアのように開いた扉の奥は社長室のような造りになっている部屋が広がっていた。窓側は全面ガラス張りできっと夜景が堪能できるようなほどだ。 てっきりその前にある長机に突っ伏しているのかと思いきや姿はなく、一体何処に入るのかとアイチがキョロキョロしているとテツはなんの恐れもなくずかずかと部屋の右に目立たない扉をノックしていた。 「いーよ」と言うそれなりにダウンした声を確認して、テツはドアノブをひねった。 隠し部屋のような寝室は広く、そこら辺のホームセンターでは売っていないような調度品がずらりと並んでいる中、レンはダブルベッドに一人横たわっている。 いつも身にまとっているコートは床に脱ぎ捨てられて無惨にも皺を作っていた。 「先導、レン様の世話を頼んだ」 とテツがアイチの肩を叩いてそう頷くとアイチを置いて部屋から去って行ってしまった。 重い扉が閉まり、静まりかえる空間にアイチはつい戸惑ってしまう。とりあえずおぼつかない足取りで寝込むレンに「大丈夫ですか…?」と尋ねると「これが大丈夫に見えるアイチ君はどうかしていますね」咳混じりにそう言われてしまった。 「ご飯食べてないんですか?」 「気持ち悪い中、食事なんかできませんよ」 「でもそうじゃなきゃ薬……」 「別に薬を飲まなくても治ります……薬は嫌いですから」 レンの横たわるベッドに腰掛けて辛そうにする彼を見た。額に貼ってある冷却剤はもう役目は果たしたらしく全く機能していない。 氷枕も若干冷たいが、殆どが水となっている。 「アイチ君……」 「なんでしょう」 「アイチ君の手は冷たいですね」 「そう、ですか?」 ええ、と彼はかじかんでいるアイチの手を頬に擦り付けていた。いつもこれくらい人懐っこい人物であれば恨みも買わないのに、と思いながら今はレンのしたいようにさせた。 レンの頬からじんわりと熱を感じて、彼が苦しんでいるのが分かる。いつもアイチは心配する側ではないからか何となくこの状態が新鮮に思った。 「頭痛い………」 「なら、薬飲まなきゃ……」 「アイチ君が口移ししてくれるなら考えます」 やはり口だけはいつもどおりで安心する一方で、口移しなんて今まで考えたこともないシチュエーションに顔が紅くなってしまう。 すればすぐに「アイチ君、エッチなことまで考えていますね」とむしろ元気に見えてきたレンはアイチの手を頬に当てたまま不敵な笑みを浮かべている。 「アイチがその気なら頑張れますけど……」とやっとふらりと起き上がったかと思えばあまりに不純な内容である。 そう言うことなら寝てください、とレンを横にすれば「大胆ですね、アイチ君押し倒すなんて」とまたまた訳の分からない冗談に更に顔が赤くなってしまう。 「まぁいいですよ、風邪が治るまで安静にします」 「そうですか」 「まさか泊まって看病してくれますよね?」 「……う」 結局は嵌められていたのだ。 アイチは病気の人間をおいていくような精神は生憎持ち合わせて居ない。だからかレンを見捨てて帰るなど出来るはずがないのだ。 アイチは分かりました、と言いながら電話を借りに一度テツを探しに部屋を出た。 |