思わず恋 図らずとも恋 「お前、誰だ」 それは明らかに疑問を含んだ言い方でふざけてこんなベタなことを言っている訳では無いらしい。 抱き起こしたアイチを含むいつものメンバーはつい凍り付いたように固まってしまう。 そもそもの原因は新しいモーションフィギュアシステムを搭載したファイトテーブルを買った。とか言い出した店長が櫂とカムイに試運転を兼ねてテストファイトをして欲しいと言ってきたのだ。 櫂はしぶしぶとアイチや三和に背中を押されてファイトテーブルに立ち、グローブを着けていざファイトしようとする時だった。 いきなり謎の光と爆発が起きたと思ったら櫂もカムイも何故かというよりテーブルの小爆発に巻き込まれて床に突っ伏していたのだ。 カムイはすぐに起き上がり「ってぇ! なんだよこれひりょーひんじゃねーか!」とか言って店長を怒鳴り付けていたいた。すぐミサキは「はいはい不良品ね」と訂正して一つため息を付く。 「櫂君! 大丈夫?」 アイチや三和がカムイに比べていつまでも情けなく床に突っ伏している様子を見て、流石に心配に思ったのか櫂の元に近づいて抱き起こすと苦しそうに目蓋を開けた櫂がいた。 心配そうに大丈夫か、と声を掛けるも彼は何処か複雑そうな顔をして周りを見渡した。 「お前、誰だ」 淡々と言われた言葉にアイチは目の前が真っ暗になりかけた。櫂はその手の冗談を言うような人間でないことはアイチ以外ももちろん把握している。つまり、本当に記憶が一部欠落してしまったのだろう。 三和さえも顔を真っ青にしている始末だ。 訝しげな顔をする櫂になんと言えば分からずにアイチは櫂を抱き起こしたまま口籠もっていた。 どちらかと言えば今の状況が読み込めていないからだろう。 あまり見たことのない顔にドキドキしながらアイチはつい櫂の顔に見惚れているとまた声が掛かる。 「お前、俺の顔見て楽しいのか?」 「あ、そういう訳じゃなくて」 「名前……なんて言うんだ」 櫂にそう聞かれてまだ実感が湧かないまま名乗ると相槌にか、覚えておくとだけ言い起き上がった。 「アイチと俺はどういう関係だったんだ?」 更にそんな事を言い出した。 というか他の人間には名前を求めないのかアイチは突っ込もうか、否か迷ったが今はそっとしてあげることにした。そしてそんな問いかけをされたアイチは友達と言うべきか先輩後輩の仲と言うべきか悩んでいる最中、こんな声が掛かった。 「恋人だったよ」 人間関係を把握しようとしている櫂にそう吹き込んだのは先程までカウンターで静かに本を読んでいたミサキだ。 何も悪気、それ以前にその台詞を嘘だと思えないようなやけに力の籠もった演技に一同は唖然としながらミサキを見た。アイチは口をぱくぱくとさせて何も言えずにミサキを見た。 「櫂……お前あんなに愛してたのにアイチのこと忘れちまったのかよ」 「俺がか?」 「そうそう、いっつも二人で居て砂糖吐けるくらい甘い言葉囁いてたじゃん」 フィクションをその場のノリと勢いを身振り手振りで話す三和はやけにイキイキしていた。アイチは彼が愉快で面白いものが好きだったことをふと思いだした。その時点で三和が口を開いたことを後悔すべきだったのだ。 アイチに口を開かせる暇を与えない 「まぁまぁ、記憶喪失な櫂も嫌がってる訳でもねーみたいだしさ」 アイチの肩を抱いてそんなことを耳打ちすると遠目で見る櫂は露骨に嫌な顔をして三和とアイチに近づき二人を引き剥がした。 三和は櫂がこんな行動に出るとは思わなかったのかその顔は驚いている。呆然としている三和を睨み付ける櫂はアイチを自分の背中に隠した。 「あー……、ごめんごめん…アイチ取らねーから安心しろって」 まさかこんな行動に出るとは全く予想していなかった三和は威嚇してくる櫂にそう弁解すると、櫂は人間不信なのかアイチの顔を見て確認する。 「そうか」 アイチにしか懐かないのか、ある意味新鮮な光景に三和は笑いを堪えるしかない。今まで素っ気ない態度ばかりとっていたからか今の櫂はアイチにべったりだ。 よかったな、アイチと三和はウインクを送ると案の定嬉しさからかみるみる顔を赤くした。 「アイチ、行くぞ」 「え……?」 ぐいっと強い力で引かれた腕は痛い。しかし櫂はその力加減が分かっていないのかアイチを半ば引きづったままカードキャピタルを後にした。 取り残された三和達は嵐が去って行ったような妙な安堵感に苛まれた。ミサキは店長をドスの利いた声で説教していた。 「か、櫂君……?」 痛いよ、と言おうか迷ったがその言葉は結局言わず仕舞いで公園に来た。櫂とアイチが初めて出逢い、さらには励まされた場所。 アイチはとっさに櫂が無意識に記憶を取り戻したのかと顔色を伺うものの当の本人も分かっていないようなむず痒そうな顔をしていた。 「どうか、したの?」 「この場所……何故か特別な気がする」 「………え?」 「大事な奴とよくここであった気がする」 櫂の目線は道路側のあの初めて出逢った場所を見つめている。普段の彼から予想出来ないほどの柔らかい表情は新鮮でまた一つの魅力だった。 腕からやっと手を外して、いきなり手を握られるとアイチは驚きのあまりつい櫂の顔を見て目を丸くした。 「恋人同士はこうするだろう」 あまりに不意であまりに積極的な櫂はアイチを昂ぶらせるのには十分でみるみるうちに顔を真っ赤にさせてゆく。 握られた手は温かく大きい。 アイチはついくすぐったくなるような気持ちになる。 「あ……」 「今日、アイチの家に邪魔して構わないか?」 「え……うん、今日はエミも母さんもいないから」 「そうか」 櫂がまた微笑みを浮かべると釣られてアイチも微笑む。 そして櫂に言われるがままにアイチは記憶喪失の櫂を家に招待しようと繋いだままの手を引いた。 |