水底のメロディ 唐突にそっと頬に添えられた手はひんやりとしてアイチはその温度の低さについ肩を揺らして、アイチに慈愛に満ちたような眼差しを向ける雀ヶ森レンを見た。 ぼんやりとそれでいて状況が飲み込めていない脳みそはアイチを混乱させるだけだ。 元々は櫂に一言、何でもいい、とにかく何か言葉を掛けて欲しくて公園のベンチに赴いた。しかし彼はその場にいなかった。その代わりにレンがつまらなそうな顔で何処か遠くを見つめていたのだ。 そんなレンを見たアイチは引き寄せられるかのように足をレンが座るベンチに向け、歩きだした。 「………っと…」 「おや、すみません……、触りたくなるような頬だったもので」 「あ、平気です」 先程の慈愛に満ちたような顔から我に帰ったのかいつものぼんやり何処か退屈そうな顔をしながら、アイチの頬から手をそっと離した。 視線をそっとベンチに移すとレンは「ああ」とぼやいた。 「今日はいないみたいですね、櫂……」 その一言にまた小さく肩を揺らすとレンは楽しそうな顔をして薄笑いを浮かべた。レンは櫂を探すように周囲を見渡す素振りをした後にアイチを見てまた微笑んだ。 「君は分かりやすい、見てて飽きません」 「そんなことないです」 「いや、初めて見ましたよ、アイチ君みたいな可愛い子は」 「ほほほ、本当に! そんなことないです!」 相当焦って回らない呂律も気にせずにアイチをそう言うと、レンはまたクスクスとアイチを見て笑った後に「やはり飽きませんね」と一言言う。すっかり紅潮した頬は熱を持っていた。アイチは隠したい頬を両手で押さえる。 レンはアイチを自分の方へ引き寄せて自分の隣に座らせると満悦そうな顔をしてアイチの顔を覗いてくる。 先程とは違い鋭い目付きでアイチを取って食おうとする勢いだ。 「僕と君は似た者同士、なのでしょうかね?」 あまりに近すぎる顔にアイチはつい仰け反ってしまう。じっと見つめてくるレンの目を見れば、彼の瞳にはぐらりとオーロラのように光っていた。 その綺麗、と言う形容詞が相応しい瞳を無意識に見つめていると何故か異様に頭が割れるような痛みに襲われた。 「ッ……!」 「どうかしましたか?」 そう聞きながらレンは何処かアイチの症状に気付いているようなわかりやすい素振りをしている。 風邪で起きるような頭痛でもなければ、貧血でもない。ここはレンに要らぬ迷惑や心配を掛けてはいけないと悟り、何とか堪える。 「なんでもない、です」 「凄く辛そうな顔をしていましたよ…?」 「よくあるので、気にしなくて大丈夫です………、それで僕とレンさんが似ているって…?」 「なんとなく、感ですよ」 そういう気がするんです、とレンは付け足してアイチの身体を支えてやるとアイチは不思議そうな顔してレンを見ている。 アイチはあたふたとしながら頬を染めるだけだ。 「もう、こんな時間ですか」 「………?」 近くにある時計を一瞥したレンはそんなことをぼやくとアイチの身体から手を離して立ち上がった。 「早く帰らないと……アサカが探しに来てしまう」 「そうなんですか……?」 「ええ」 別に慌てた様子もなくぼんやりとした彼は眠そうに欠伸をした後にアイチの質問にゆっくりと頷いて見せる。 「アイチ君」 「はい?」 「次の全国大会、楽しみしています」 彼は街にあまりに馴染まない黒いコートを翻してアイチにそう言うとアイチはただ「僕も、楽しみにしています」とだけレンの背中に向かって言う。 大会を楽しみにしてくれるというのは自分を認めてくれたからだろうか、全国チャンピオンに認められたかと思うとつい胸が躍ってしまう。 「どうでしたか、彼は」 街で待ち伏せしていたアサカはレンを捕まえた後にそんな質問をした。 「結構見込みある子ですよ、きっとこれから彼、アイチ君はもっと強くなります」 「レン様がそこまで他人を褒めるなんて珍しいです」 「そうですか?」 「ええ、それにとてもいい顔をなさっています」 街のガラス越しに見えた顔をふと確認すると確かに口元は嬉しそうに歪んでいる。アサカはそんなレンを見て見たことのない一面につい驚いていた。 「それだけ見込みがあるんですよ、彼は」 そう愉快そうに笑うレンはアサカと共に夕暮れの街中に溶け込んでいった。 |