依頼




「カーティス大佐」

左手を普段どおりポケットに入れて右手で書類を見ながら廊下を歩いていたら、後ろから声をかけられてジェイドは振り返った。

「フリングス少将」

「ちょうど良かった、頼みたいことがあったんです」

「頼みたいこと?」

フリングスの少しほっとした表情にジェイドは軽く目を瞬かせた。


「ええ、実は―――――」























「ああ、今日もいい天気だなぁ…」


頬杖をついて空を見上げるのは、フィル・アイラス少佐。
現在、ジェイドの執務室で自分の仕事、書類整理の真っ最中である。

だが一人黙々と作業を繰り返していたのは、飽きが必ず来るもの。

窓から聞こえる子供達のはしゃぐ声や、噴水の音、そして人々の楽しげな声が聞こえてくる。
こんな日は、愛ブウサギのピオニーを連れて散歩にでも出たいものだと思い、フィルは溜息をついた。

どうせそんなこと思っていようが実際許されるはずがない。
ジェイドに『ブウサギの散歩がしたいので帰ります』なんて言った日にゃあ笑顔でスプラッシュだろう。

自分の命と趣味…

どちらを取るかといわれたら、とりあえず命ということで。

「しかも、仕事終わらないし…終われないし……」

ぺらりぺらりと書類を一枚一枚めくっていく。
内容は簡単そうなものから小難しいものまで。
軍に関する書類から、部下からの要望まで。

そして、なんていっても上司があのジェイド・カーティスだ。
陛下の幼馴染で本来なら大将であってもおかしくない人間で、皇帝の懐刀。

陛下に流される書類も少なからずこの中には混じっていることだろう。


それだけ、ジェイドの仕事が多いというわけだが…


「これが、……これが将軍の仕事だったらどれだけ喜んでやることだか…」


あああ、とありえもないしないことを想像しながら思わず目を細めてしまう。


「おや、それはそれは。さすがですね〜、その量の仕事だけでは飽き足らないということですか」

「そう!わたしはフリングス将軍の仕事ならいくらでもで―――……」


突如振ってくる上司の声。

それは、どことなく楽しげな声音を含んでいて、振り返るのが怖い。

振り返らないならどうする?

1、無視する
2、言い訳をする
3、素直に謝る



――正解は


「………………あ、この書類こっちのだった。やー、シッパイシッパイ」


4、今更ながら真面目に仕事をするフリをしてごまかす


が、フィルがその言葉を漏らした後はジェイドは何も言わず黙って微笑んでいた。

思い沈黙。

それにやはり耐えられなかったフィルは、「ごめんなさい…」と素直に謝った。


「最初からそう言えばいいんですよ、嘘はよくないですしね」

「いや、嘘というか言葉のあやというか…」


ぶつぶつと小さな声で文句をいいつつも、フィルは書類に再び目を落とした。

そして、そんな彼女にジェイドは何か思い出したようにぽんっとわざとらしく手を叩く。


「そういえば、フィル」

「何ですか…?」

「貴方にやっていただきたい仕事があるんですが…―――」

「………」


『仕事が増える』

そのジェイドの申告に、積み上げられた書類に思わず視線を向ける。
これ以外にまだ何かやれとこの人は言うのか…と、非難めいた表情をしていたフィルだが、ジェイドは楽しげに言葉を付け足した。


「嫌ならいいんですよ、嫌なら」

「すっごい嫌です。今日は早く帰ってピオニーを構ってやる予定なんですから」



愛ブウサギの名を出しながらは積もった書類から1枚取り出して、ペンを走らせながらフィルはジェイドに言う。

もちろん、可愛いほうのピオニーですけどね、と付け足すことも忘れずに言うが、それはマルクト皇帝と明らかに同じ言い回し方だったので、ジェイドが一瞬だけ口元を引きつかせた。


そして、ジェイドも自分の机に乗っていた書類の束を持つと、仕方がないと溜息をつく。


「分かりました。まぁ、フィルにはいつも頑張ってもらってますからね。たまにはいいでしょう」

「そうそう、たまには部下をねぎら―――」

「フリングス少将には、『書類を渡すのは遅くなる』と伝えておきますよ」

「!?」


ジェイドの最後の言葉に、フィルの手が止まり顔がぐいっと一気に彼に向けられた。
その目は見開かれていて、顔が硬直している。

そんな部下の反応を予想していたのか、ジェイドは意地悪い笑みを浮かべてこう言った。



「おやぁ?、貴方忙しかったんじゃないんですか?」

「いや、その…」

「早く家に帰ってブウサギの世話をするんでしょう?」

「うっ…」

「わたしの与える仕事などこれ以上やりたくない…とか言っていたはずでは?」

「うううっ……」



どんどん追い詰めていくジェイドの言葉。

そして、フィルはついに白旗をあげた。















***








「大佐めーっ…人の足元見てやがって…っ」


思わず口調も荒くなり、廊下を歩く足取りにも力がこもる。


まさか半分手抜きでやっていた仕事の中に、愛する人へまわる書類があったなんて知らなかった。
半分しかしてやらないんだから!とか思っていたお鉢が回ってきた所為もあり、全てが終わる頃にはもう夕刻だった。

もちろん、ジェイドが追加してきた書類も片付けて整理し、フィルはやっとのことでフリングスへとまわす書類のみを持って、彼の執務室へと向かっていた。


日が落ちきる前に終われて本気で良かったとは思う。


今日はまだ彼の姿を見ていない。
一日一回拝めれば、幸せになれるやすあがりな自分。

そのチャンスを不意にしたくはなかったのだ。


まだフリングスが帰っていないことを祈りながら、フィルは歩いていた。
彼の執務室の前まで来ると、ドキドキしながら扉をノックする。
木の心地よい音が二回なり、フリングスの声が聞こえてくるのを今か今かと待ち受ける。


が、予想に反して声が返ってくることは無かった。

「…帰っちゃったのかな…?」

少し肩を落として、残念がる。
ためしに、ドアノブに手をかければ、それは静かに下がった。

「空いて…る?」

自分の利用している部屋は基本鍵をかけて帰るものだ。

もしかしたらかけるのを忘れてしまっているだけなのかもしれないが、ただ席を外している可能性も有り、フィルは小さく詫びを入れながら部屋の中に入った。




「――失礼しまーす…フリングス将軍………?」




中に入って辺りを見渡しても、彼らしき姿はなかった。

仕方がない、そう思って小さく溜息をついて書類だけでも置いていこうと彼の机にそれを置く。

そして、しばらくその場にいたい気持ちを抑えながらも、彼がいないんじゃ…という気持ちもあり、早々と部屋を出て行こうとしたその時だった。




「ん…―――」



その鼻にかかった声と共に、ソファの上で何かが動く。

慌ててそばによると、そこではアスラン・フリングス少将が惰眠をむさぼっていたのだった。



「しょ……将軍…?」



銀糸の髪が夕日に照らされて少し赤みを帯び、彼の青銀の瞳は今は閉じられたまま。

珍しく胸元を緩めて、ソファで横になって眠る姿は見たことなく、フィルは慌ててまずは何か羽織るものを探す。
彼が眠っているソファの向かい側に、ストールが置いてあるのに気付くとそれを広げて、風邪をひかないようにと上にかけてやる。

ただその時、フィルは悪いと思いながらもフリングスの顔を見つめてしまった。


端正な顔が眠れば少し幼く見え、髪と同じ銀のまつげが意外と長いことに気付く。


そ、っと彼のそばに寄って両膝をつく。


「将軍…お疲れなんですね…」


彼は自分の上司よりも若く、責任感も強い。

上からのプレッシャーなんて自分が感じるよりももっと大きなものだろう。


そんな彼だからこそ、女ながらに将校になった自分に対して優しくしてくれたのかもしれない…。



優しくて、かっこよくて、大好きな彼。

いつか思いを打ち明けれる日が来る、そう信じていつもチャンスをうかがうが、何かと邪魔が入る。
むしろ、そろそろその邪魔が故意にやってることじゃないのか、とまで疑ってしまうほどの告白未遂回数。


それを思い出すと少しげんなりとしながらも、目の前の彼の寝顔に無意識に笑みがこぼれた。


規則正しい息を繰り返すフリングスの唇。


気がつけば、そこにばっかり目がいってしまうのは何でだろう。


「………」


ひきつけられるように顔を近づけ、彼の眼の前で手をひらひらとさせ眠っていることを確認すると、フィルはそっと目を閉じて唇を近づけた。












ちゅ











自分の唇が彼の頬から離れるときに小さなリップ音が鳴る。

そして、切なげに彼を見つめ呟いた。







「――――…大好きです、アスラン」







彼のファーストネームなど、声に出して呼んだことなど無かった。
そして、初めてそれを口にしたことで一気に顔の熱があがる。


ガバッと立ち上がると、フィルは逃げるようにその場を駆け去った。


途中で障害物にぶつかったりして「いっ!」と小さな悲鳴をあげながらも、恥ずかしさのあまり一刻も早くその場から消え去りたかったという気持ちで廊下を走る。



「うわああっ…!…何、襲ってるの?わたしぃーーっ!」



しかも本人目の前にして告白した。
いくら眠っていたといっても、恥ずかしさはこの上ないというぐらい顔が赤くなる。



最初は口に…とか思っていたことも、そんな勇気はなかった。

だから、躊躇して頬にちゅう。



「……明日から将軍の顔真面目に見ることできるかな…」







あああ、と頭を抱えて夕日差すグランコクマの城内をはひたすら駆け走ったのだった。
















***







「―――――……っ」


フィルが去った同時刻、むくりとソファから起き上がった青年。

寝癖の着いた銀の髪が顔に額に影を作り出すが、それをどかすどころじゃない。
彼は、彼女にキスされた頬を手のひらで押さえ、熱くなる顔をうつむかせた。



「……告白は、普通起きている時にするものだろう……」



キスと共に、落ちてきた愛の言葉。



それに答えるのは、彼女が自分に対してきちんと告白できた時にしよう。

そして、今日…彼女が入ってきた時点でおきていたことも教えよう。


きっと彼女は驚くだろう、どうして寝たふりなんてしたんですか、って。















――君がどういう行動を取るのかちょっと興味があったから…、ちょっとした悪戯なんだ。

――わざわざカーティス大佐にまでお願いしたのも、君にこの部屋に来て欲しかったからだし…

――まぁ、それであまりにも遅かったから眠ってしまったのはご愛嬌ってことで、



――全ては君を愛してるから、













そう思いながら、青年―アスラン・フリングス―は顔の熱が冷めるのを部屋でただじっと待っていたのだった。




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