彼女のためならば、例え火の中水の中


大変だ。本当に大変なんだ。
これは、俺が解決しなきゃいけない問題なんだ。

そう思うと廊下を歩く速度が自然と早くなる。
目的地に到着すると俺は勢いよくそのドアを開けた。

バンッと大きな音を立てるドアなんか気にしていられない。
そして教室にいる人達の視線を一斉に集めようが知ったこっちゃあない。

そのまま俺はつかつかとアイツの机に近寄って、力一杯にその机を叩いた。


「大変だ、事件だ炭治郎」
「ど、どうしたんだ? 善逸」






◆彼女のためならば、例え火の中水の中◆







「おっはよう〜! 鈴ちゃん! 今日も最高に綺麗だね!」
「あ、善逸……」

いつものように校門前で風紀活動をしていると、愛しい俺の彼女の姿があった。
その可愛さは野菊のようだし、凜とした鈴の音はいつだって俺を癒してくれるんだっ。
今日だってほらこんなに……、ん?
あれ?

「……、鈴、どうしたの? 何か悩み事?」

明らかに鈴の音が陰っている気がする。
彼氏として放っておけない。
俺はおずおずと彼女の顔を覗き込む。

なんだろ、なんだか顔色が悪い……?

言おうか悩んでいるのか彼女の口が躊躇うように動く。
そして、意を決したかのようにそれは大きく開いた。

「あのね、痴漢にあって……―――」
「はぁあああああああああああ!!?」

鈴の口からとんでもない単語が飛び出して、俺の目が飛び出しかけた。

は? 何?
痴漢に遭った?
誰が? 俺の彼女が。
俺の彼女がどこの馬の骨かも分からないヤロウに触られただぁ?

ぶちぶちと俺の頭の中でいろんなものが切れていく音がする。
ゆらりと頭を下げたまま、俺は彼女の肩をガシッと掴んだ。

「ヒッ! あ、あの、善逸……?」
「怖い思いしたよね? 気持ち悪かったよね!? 安心して! 俺がその馬鹿野郎を駆逐してやるから!!」

鈴の言葉を最後まで聞かず、俺はそのまま走り去る。
そうだ、こういうときは頼れる友だ!
冨岡先生の『廊下は走るな!』という声なんて聞こえない!
俺の可愛い彼女が困ってるんだ。急がないなんていう選択肢は俺には無いッ!!






「というわけだ」
「なるほど、だから冨岡先生に追いかけられてたのか」

炭治郎の視線が俺の頭に向く。
そこには冨岡先生に捕まって、木刀で殴られて出来たたんこぶがあった。
普通に痛いけど、痛がってる場合じゃないんだ。

「しかし、鈴が痴漢に遭ってるというのは心配だな……。俺もよく変態を捕まえてるけど……」
「あれとはまた違うでしょ! あれはアレで問題だけどさ!」

炭治郎が捕まえている変態というのは、電車の中でなぜか尻を出している変態のことだ。
捕まえても捕まえても、絶対に戻ってきては尻を出す。
一体前世で何をしたらそんな性癖になるのか俺には想像もつかない。

「鈴が困ってるし、なんとかしたいんだよぉ……ッ。力を貸してくれよぉ、炭治郎ぉ〜」
「もちろんだ。善逸はともかく、そんな変態は見逃せないからな」
「俺の扱い酷くない!?」

ムンと気合いを入れる炭治郎の一言が胸に刺さる。
俺の目に涙が浮かびそうになっていると、ふいに影が降りてきた。
この香水の匂いと、そしてこの体格。
嫌な予感がしながらおずおずと振り返ると、そこには天敵がいた。


「げっ、宇髄先生……!?」
「おはようございます、宇髄先生!」
「面白そうな話してんじゃねぇか、俺にも聞かせてくれよ」


にやりと笑う宇髄先生に俺はビクッと肩を揺らす。
炭治郎なんかにこーと笑顔を向けて挨拶してるし!?
俺はすかさず炭治郎の後ろに隠れて威嚇していると、宇髄先生は息を吐いた。

「確かに最近女子生徒への痴漢被害が増えてんだ」
「なっ、それを知ってるなら最初から対処してくださいよっ!」
「俺達だって教師だ。電車やバスに乗って変態を捕まえようとしてるんだが、上手くいかねぇ。だからどうしたもんかと思っていた矢先だ」

宇髄先生の視線が俺達に向く。
そして逃げようとしたその時、片手で頭を捕まれた。

「いだだだだだっ!」
「ちょうど良い、お前ら手伝え」
「い、嫌ですよっ! オッサン達に関わるとろくな事にならなあだだだだっ!」
「せ・ん・せ・い、な!」

みしみしと音を立てて宇髄先生のアイアンクローに力がこもる。
死ぬっ! 本当に死んでしまうっ!

「それに、お前の大事な鈴も被害に遭ってんだろ?」
「うっ……」
「それなら俺のアイディアに乗った方が賢いと思うぜ?」

宇髄さんの言葉にハッと気付く。
そうだ。俺は鈴ちゃんの為に、その変態を捕まえるんだ。
ここはオッサン達を利用するくらいのつもりでやらなきゃ……っ!

「わ、分かりましたよっ! 手伝いますっ!」
「分かればいいんだよ。んで、竈門はどうする?」
「俺も協力します。まだ被害に遭っていないとはいえ、禰豆子のことも心配ですから」

素直に受け入れる炭治郎に宇髄先生は満足そうに頷いた。
なぜ俺は強制で、炭治郎は選択肢が与えられるのか分からない。
解せぬ。















そして、美術室につれていかれて、数十分後……――


「なんじゃこりゃああああ!!」
「我ながら完璧な仕上がりだぜ……っ」

爽やかな汗を拭いながら言いのけやがったなこのオッサンっ!!

「何が完璧だっ!? 女装するなんて聞いてねぇわっ!!」

そう、俺は女装させられたのだ。
それもただの女装じゃない。

強引に髪の毛をリボンで結ばれて、つけまつげをバチバチつけられて、アイシャドウはめちゃめちゃ濃いしパンダになってんじゃねぇかってくらいで、チークも口紅も真っ赤でべったりつけられて!!

つまりなんていうか、超絶不細工。
どんな腕ならこんな不細工に出来あがんだよ!?
嫌みか!? 嫌がらせか!?

「なるほど、これで痴漢をおびき出すんですねっ!」
「そうだ! 流石は竈門は冴えてんな!」
「冴えてるとかじゃねぇんだよっ! んでもってなんで炭治郎は普通なんだよっ!? こいつも女装させろよっ!」
「そして善逸が痴漢に遭ってるときに、俺が捕まえればいいんですね?」
「そうだ! 頼むぜ、竈門!」
「俺の話聞いてないの!? それとも届いてないの!? 俺がおかしいの!? ねぇっ!」

宇髄さんと炭治郎が二人で頷きあうのを泣きながら突っ込む。
どうしよう、こんなところ万が一でも鈴ちゃんに見られたりしたら……。

「よー、宇髄。邪魔する……――」

がらりと音を立てて美術室のドアが開く。
顔を覗かせたのはダンス部顧問の狂舞先生で……。
俺と目が合った瞬間に突然固まり、そして俺を指さして盛大に噴き出した。

「ぶっ、ぶぁっはっはっはっはっはははははははは!!!」

げらげらと腹を抱えて笑われて、俺は怒りに震える。

「な、んっ……、おまっ、なんでそんな……っ、かっこ……、あっははは! やべぇ、腹イテぇ!!」
「うっせぇわっ!! 好きでこんな格好してんじゃないっすよっ! 原因はこのオッサンだっつーのっ!」
「原因っていうなよ、鈴の為だって言って協力するっつったのはお前だろうが」
「は? 鈴の為?」

宇髄先生の言葉に、狂舞先生が反応した。
狂舞先生は鈴の遠い親戚みたいな人で、遠くへ出張してる彼女の両親の代わりに生活を見てくれてる人らしい。
だからか、鈴のことは気にかけてるみたいでさっきまで笑っていたのが嘘のように静まりかえった。

宇髄先生から事情を聞く狂舞先生。
だけど、だんだん狂舞先生の顔がなんだか侘しいものへと変わっていって……

「……、いや、無理だろ。誰も襲わねぇだろ、こんなの」
「真っ当なご意見有り難うございますっ! だけど傷つくわっ!!」

強引に連れてこられて、不細工な化粧をさせられて、アタイ……この男達許さないんだからっ!

ぎりぃっと歯を食いしばって血の涙を浮かべていると、再びドアが開く。

「失礼します。すみません、ここに炭治郎と善逸がいるって聞いたんですけど……――」

天使だ。
天使が現れた。
俺の天使が来てくれた。

だ・け・ど


俺と目が合った瞬間に固まってるんだよね!? 
鈴ちゃんまでフリーズしちゃってるよね!?

あああっ、こんな姿絶対に見られたくなかったぁああっ!!!
ほら、鈴の肩が震えてるじゃないのよっ! 笑うの我慢してるじゃないのよっ!!!?

「え、えーっと……、何? どうしたの?」
「善逸が痴漢の囮になるらしいんだ」
「善逸が!?」

笑いをこらえて声を震わせながら問う鈴に、炭治郎がさらりと答える。
もちろんそんな答えに驚かないわけがない。

鈴が目を丸くして俺を見て、そして大人二人へ顔を向けた。

「こういうおかしなことをするとしたら、大体宇髄先生ですよね? 何してくれちゃってるんですか」
「俺的には派手に良い作戦だと思ったんだがな。なぁ、狂舞?」
「いや、俺は失敗すると思うぞ。お前のこういう美的感覚だけは信用していない」
「確かに不細工だとは思った。まるで遊郭に売り払おうとしても最後まで残ってタダで引き払うぐらいの出来だよな」

分かってんならやめろよっ!!
ひどすぎないっ!? この大人達、酷すぎない!?

俺の目に本当に涙が浮かんでくれば、鈴がそれをハンカチで拭ってくれた。
ついでに不細工な化粧も。

「ううっ……、鈴〜……」
「うんうん、酷い大人達だよね。こんなに善逸可愛いのに……」
「……………は?」

鈴に泣きついてホッとしているのも束の間、今度は彼女の口から爆弾が落ちたように聞こえた。
顔を上げるとそこには可愛く微笑んでる鈴の顔がある。

「善逸は可愛いよ。痴漢の囮なんて危なくてさせられないや」
「ちょっと待て、よく見ろ鈴。これが可愛いか?」

思わず狂舞先生が俺の頭を掴んで鈴に寄らせる。
近くて良い匂いがするから本当なら嬉しいはずなんだけども、彼女の発言が不可思議で仕方がない。

だけど鈴は変わらない。
両拳を握ってムンと鼻息荒く答える。

「可愛いですよ。わたしが男なら間違いなく痴漢してます」

喜んで良いのか、悲しめば良いのか。
可愛い笑顔で彼女にそんなこと言われて、男としてどうしたらいいのか。

ぐるぐると疑問だけが浮かぶ頭の中で、俺はとりあえずお礼を言うしか出来なかった。







そして、数日後。
痴漢はしっかり捕まって、俺はただ恥を晒すだけとなったのだ。









本当にっ!!
あの教師陣だけは許せねぇっ!!!

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