大好きな人と


 ざっ、ざっと竹箒が落ち葉を掃く音が境内に響く。既に昼を過ぎたとはいえ、今日はやけに冷え込む。自分の吐く息は白くて、わたしは冬の訪れを感じ取っていた。あの戦いからどれだけの日にちが経っただろうか。一年、二年……、何度も何度も季節が巡って、そして今年の冬がもうすぐやってくる。
 わたしはかじかむ手のひらに息を吹きかけて、寒さを紛らわすように擦り合わせてしまった。
 鬼殺隊に居た頃は今から朝練が始まる。柔軟の準備運動をしっかりしてから、素振りや走り込み、そして全集中の練習。寒さなんて感じている余裕なかったのにと思わず笑ってしまう。
 瞳を閉じて、ゆっくりと息を吸う。全身に酸素が行き渡るように肺を大きくする。何度も、何度も、深く吸い、浅く吐いた。すると全身が僅かだが暖かくなってきた気がした。

「……、うん。こんな感じかな。さてと、掃除掃除……―」
「鈴っ!」

 静かな時間を壊すかのように善逸の声が響いてきた。狩衣ではなく上衣と袴に身を包んだ彼は、バタバタと忙しない足音を立てて、拝殿の中から現れた。驚いて振り返ってみると、彼の琥珀色の瞳は大きく開かれて、その顔はやや青ざめている。どうしたのかと首を傾げていると、向拝を降りて草履をつま先に引っかけるようにして履いて駆け寄ってきた。

「今、全集中の常中してなかった!? 何? 何か来たの!? それとも何かあったの!? はっ、もしかして可愛い巫女さんがいるっていう噂を聞きつけた馬鹿な男どもが押し寄せてきたとか!? よし、殺ろうか。俺の奥さんに手を出そうなんて百万年早ぇんだよ、そんな野郎はすべて俺がぶちのめす」
「仮にも神に仕える神主が物騒なことを言うんじゃない」
「神様だって自分の舞手である鈴に手を出されたら、たまったもんじゃないと思う」

 真顔できっぱりと言う善逸にわたしは軽く片手で頭を抱えた。善逸の傍を通り過ぎてわたしは拝殿の方へと向かう。善逸もそれについてくるようにわたしの後ろを歩く。そして隣に並ぶと心配そうに顔を覗き込まれた。

「ねぇ、何があったの? いきなり全集中の音がしたから俺びっくりしたんだよ?」
「え、そうだったの? えっと、ごめんね。ちょっとさ、懐かしくて……」

 善逸が駆け込んできた理由がわかり、申し訳なくなってわたしは眉を下げた。そして足を止めると、もう一度外へ視線を向ける。赤い鳥居に視線を向ければ、吹いた風が凍てつく風を起こした。

「ちょうど、今頃だったよね。柱稽古……」
「……、うん。そうだね。今思うとよく耐えられたって思うよ。それもやっぱり鈴ちゃんがいてくれたからなんだろうなぁ。君に会いたくてとにかくがむしゃらだったのを覚えてるよ」
「……、あれ? その割に不死川さんの稽古は逃げてなかった?」
「あれはあのオッサンが悪い! 完全に俺たちのこと殺そうとしてたじゃんか!」

 容赦なかった不死川さんの稽古を思い出した善逸が、自分の身体を抱きしめてブルブル震え始めた。それを見て思わず笑ってしまう。そして、懐かしさと共に侘しさを感じた。

「……、もうすぐだよね。不死川さんも冨岡さんも二十五歳になる……」

 無惨との戦いが終わって、もうすぐ三年が経つ。あの時に痣が発現した隊士であり、そして柱として戦った二人のことを忘れたことは無い。
 その寿命がもう間近であることも、鬼殺隊にいた人間ならば誰だって覚えてる。だって、あの人たちが命をかけて戦ってくれたから、今わたし達はこうして生きているんだ。きっと自分たちだけだったら、無惨に勝てたかさえ分からない。
 鬼殺隊士であれば、柱に恩を感じている人は多いだろうし、何より戦いが終わった今は安らかな日々を過ごしていてほしいと思う。
 でも、それも二十五歳まで。痣が発現したものは例外を除き、もれなく寿命が来て命が消える。
 あの二人は、戦いの後でもそれを悔やむような様子はなかったという。冨岡さんは自分が生きた証を残したいと奥さんとの間に一人の子が出来たと聞いている。不死川さんは不死川さんで、残りの人生は静かに暮らしているらしい。もう十分生きたって言ってたって。
 だけど、二人がそう思っていても、周りの人は悔しくて辛いはずだ。特に冨岡さんを兄弟子に持つ炭治郎はここ最近元気が無い。何か寿命を延ばす方法は無いかと、蝶屋敷に残ったアオイや、今では唯一の鬼である愈史郎さんに相談しているそうだ。自分だって痣が発現している内の一人だっていうのに自分のことは一切言わず、なんとか二人を生かしたいと訴えかける炭治郎に、善逸が「お前は自分のことだけ考えろよ!」って怒っていたのを何度か見ている。
 痣の寿命は呪いのようなものだ。あの悲惨な戦いの、呪いのようなもの。
 なんとかならないのかと胸が締め付けられると、ふいに善逸がわたしの手を握った。

「大丈夫だよ。まだ一年ある。その間にもしかしたらアオイちゃんが特効薬を見つけてくれるかもしれないよ! それに鈴だって毎日お祈りしてるじゃん。だから、きっと良い方向に進むって!」

 明るくそう言う善逸にわたしは小さく微笑んだ。わたしも善逸も、本心はそんな甘くないってことを理解してる。だけど、自分たちの気を紛らわす為に、そう言い聞かしていた。
 わたしは頷いて顔をあげると、彼の手を握り返した。

「そうだね……、善逸だって……不安だよね……」

 彼の身体には獪岳さんが残した黒い血鬼術の痕が残ったままだ。愈史郎さんの薬では完治は出来なかった。日常の任務や鍛錬で負った怪我だけでなく、はっきりと刻まれた雷の呼吸。
 もう痕だけだと愈史郎さんは言うが、善逸は未だに時折うなされている時がある。今日のように冷え込む日は古傷が痛むらしく、朝なかなか起きられない日があった。獪岳さんは、未だに善逸を許していないのだろう。
 あの柱稽古の終盤で、善逸がおかしくなった理由を聞いたのはそれから数ヶ月後だった。育手であり親代わりでもあった桑島さんが切腹した話も、獪岳さんが鬼になった話も、善逸がそれを斬ったという話も。語ってくれるまで待つって言ってたのに、善逸の心の整理がつく前に偶然にその傷を見てしまったのが始まり。聞いたときには胸が張り裂けそうで、どうして言ってくれなかったのかと責めそうになった。あの時の善逸がどれだけ辛かったのか想像するだけで、涙が溢れた。
 だけど、泣き虫だった善逸が、一人で耐えたという事実が、わたしの言葉を詰まらせた。
 だから、思い切り褒めたのを今でも覚えてる。泣きながら、善逸を抱きしめて、辛かった事を肯定し、ただただ褒めた。桑島さんならきっとそうするって思って。
 
「鈴、顔が強張ってるよ。笑って?」

 ふいに善逸に抱きしめられた。わたしの身体を包み込むように彼の太い腕がわたしの背に回される。
 そして暗くなっていた顔を見ては、善逸は困ったように笑った。

「俺は気にしていないよ。それにこれはもう古傷だから。というか、鈴が気にするってことは、君が兄貴のことを気にしてるって思えてなんだか癪です。え、死んでもあいつ鈴の心縛るの? そんなことってある?」

 徐々に善逸の声が淡々としていく様子に、わたしは思わず噴き出した。肩をふるわせて笑うと善逸は心外だと口を開けた。

「ちょっと、鈴さん! そこ笑うところじゃないんですけど!」
「ごめんごめんっ。でも、善逸だって獪岳さんのこと忘れたくないでしょ?」
「そんなことないねっ! 鈴の心を占めるような男は俺だけでいいの! 俺以外は見ないで! むしろ考えないで! むしろ俺を見て!」

 とんでもない独占欲をさらけ出す善逸に、わたしは笑いが止まらない。わざとそうしているのか、それとも本気なのか。いや、善逸の場合は間違いなく両方だと思うし、本気が九割は占めているかもしれないけど。
 わたしが笑い続けているのに善逸は不満げに眉を寄せるけど、もう一度強くわたしを抱きしめた。その腕の力強さはとても安心する。

「ありがと、善逸……。わたし、善逸と出会えて本当に良かった」

 辛い辛い鬼殺の日々。あの日々が可能なら嘘であってほしい。だけど、それが嘘であれば、夢であれば、きっと彼との出会いも幻となってしまう。
 あの日を後悔する日もあるし、これからも夢であってくれと願う日は来るだろう。でも、わたし達は振り返らない。まだまだこの先、この未来、生きていかなければならないから。





 たくさんの同志が、たくさんの血を流して、たくさんの命を失ったあの日々を、わたしは今日も思い返し舞う。


 大好きな人と共に起こしたこの神社で、この神楽殿で、舞の呼吸に乗せて……―


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