未来の予約



「あ……」

鏡台の前で髪を梳いていたら、ぱきりと嫌な音がした。
手元をよくよく見てみると、櫛の歯が一本欠けている。
これもかなり昔に買ったものだ。そろそろ寿命だったのだろう。
新しいものを買ってこなければいけない。
昨夜任務も終わったばかりだ。この藤の花の家紋の家から商店街は近い。

「買いに行ってる時間はありそうだね……」

昼食を取ってから行っても遅くはなさそうだ。
わたしは折れた櫛を巾着に戻し、身支度を整えた。


**


昼食も済ませて藤の花の家紋の家の人へお世話になったお礼を伝えて、わたしは商店街のある方へと足を伸ばす。
良いものが見つかれば良いが、あれはあれで結構気に入っていたのだ。
質素なものではあるが、質が良い。
わたしのうねる髪もあまり引っかかることなく、綺麗に梳いてくれていた。
木材の違いなのかもしれないが、詳しいことは分からない。
とにかく、櫛がないのは困る為、こうして歩いてるわけなんだけど……。

(ん……?)

小間物屋がちょうど露店売りしているのが見えて足を止めた。
だけど、それだけが理由じゃない。
明らかに小間物屋の前に一人派手な頭をした知人がそわそわしながら櫛を眺めていたのだ。
ひとつひとつ手に取っては、首を傾げつつ真剣な眼差しで見極めてるかと思えば、非情に気持ち悪い顔に変化していく。

「どーしよっかなぁ……、こっちの方が似合いそうだし、いやでもこっちも……! うへへへ、これあげたら喜んでくれるかなぁ。え、もしかして『好きっ! 結婚してぇ!』って言われちゃう!? ど、どうしよう、そんなこと言われたら俺の心臓もたないかもっ! いやいやいや、でもでも、そうなったときは男・善逸、即座に受けるべきで……――」
「何してるの? 善逸」
「ギャァアアアアアアッ!!」

後ろから声をかけてみれば、派手頭。もといわたしの恋人である善逸はそれは汚い高音を発しながら仰け反った。
そしてわたしから三寸ぐらいひとっ飛びで離れると、がくがく足を震わせながら涙ながらにこちらを指さす。

「おおおおおお、脅かさないでよぉおおっ! 本当に俺、今度こそ心臓が口からまろびでるかと思ったじゃんか! でもでもそんな鈴は今日も綺麗で可愛いねっ! 会えてめちゃめちゃ嬉しいよっ!」
「言ってることと態度が合ってない気がするけど、脅かしたのはごめん。わたしも会いたかったよ善逸くん」
「え、本当? 今の幻聴じゃない? 俺、耳が良すぎて幻聴まで聞こえるようになった?」
「幻聴じゃない、幻聴じゃない」

【会いたかった】なんて滅多に言わないせいかもしれないけど、善逸の目が丸くなって此方を疑うように見てくる。
本当に心外である。
わたしは訂正するようにひらひらと軽く手を横に振ってそう言うと、善逸へ改めて声をかけた。

「それで、何をしてたの? こんなところで会うなんて珍しいね? 任務帰り?」
「あ、そうなのそうなのぉ! 聞いてよっ! 俺今度こそ死ぬかと思ったんだよ!? こう、なんていうか、胴体がにょろにょろとしてるくせに顔はきっしょく悪いガマガエルみたいな鬼でさ! 絶対にモテないと思うんだよね! ああいうヤツぅ! それにさ、べちょっとした長い舌が当たったところはくっさいし、溶けるし! ほんっと、よく生きてたなぁって思うよ……。知らない間に誰かが倒してくれたみたいなんだけど……」

飛び退いた距離分近づいて、善逸は身振り手振りで任務のことを一気に話してくるのに相づちを打つ。
っていうか、その鬼を倒したのってきっと善逸なんだろうなぁ……。

「それで、その帰りにこのお店に寄ったんだ? 誰かに贈り物?」
「うぇっ!? そ、それは……、その……」

恋人であるわたしに【誰かにあげるのか?】と聞かれて困るなんてちょっと疑っちゃうんですけども?
まぁ、彼に限って浮気はないと思ってるけど、もじもじとはっきりしない善逸にちょっと悪戯仕掛けてみようと、むぅと頬を膨らまし軽く拗ねてみれば、善逸もどうやら音に気付いたのかハッと顔をあげて両手を振った。

「ち、違うよ! 浮気とかじゃなくって! ああでも、こういうのは内緒のまま贈りたかったから……」

焦る善逸の声が本当に焦っていた。
申し訳なさそうに首を竦めて、こちらを見上げるように両手を合わせる。

「鈴にしか、こういうことはしないよ。ごめんね? 不安にさせた?」

こういうところが善逸の良いところだなぁって思う。
わたしが勝手に責めてるだけなのに、此方を気遣って謝ってくれる。
申し訳なくなってきてわたしは頭を横に振ると、柔らかく微笑み返した。

「分かってるよ、善逸はそんなことしないって。贈り物考えてくれてたなんて嬉しいな。でも、わたしは君とこうして会えただけで嬉しいからそんなに気にしないで? ね?」
「す、鈴ちゃ……っ」

わたしが許したのが音で分かったのか善逸からも緊張が消えて、目をキラキラと輝かせてきた。

「俺も、鈴に会えて嬉し……――」
「あ、すみません。これください」

感極まった善逸が思い切り両腕を広げたそれを見て、わたしはひょいと身体を反らして店員に向き直った。
案の定、後ろで彼が頭から地面に飛び込んだ形なり、ずざざざっと痛い音がしたけどもわたしは気にしない。
はっきり言って、人前で抱きしめられるような趣味はない。
それは恋仲であろうと断固拒否である。
店員さんが後ろで見事にスッ転んだ善逸とわたしを交互に見ながら、わたしが求めていた櫛を丁寧に梱包していく。
そんな中で、復活した善逸がガバッと身体を起こした。
ちらりと視線を向けてみれば、その目には大粒の涙が流れている。

「なんで避けるのぉ!? 俺達恋人同士だよねぇ!?」
「だって、善逸とは違ってわたしは恥を晒す趣味はないし……」
「俺だってないわっ! そんな趣味! でもそんな辛辣過ぎる鈴ちゃんも好きっ!」

それはありがとう。
心の中で礼を伝えてから、店員さんに梱包してもらった櫛をもらう。
そしてまだえぐえぐと泣き続けている善逸の方に近寄ると、しゃがんでその汚れた顔を手で拭った。

「うう……っ、痛い、痛いよぉ……」
「はいはい、ごめんね? ほら、手繋いであげるから一緒に帰ろう?」
「ウン……、帰るぅ……」

まるで子供のような彼にわたしは思わず笑ってしまった。
これがあの雷の呼吸の使い手で、目にも留まらぬ早さの居合抜きが出来る人だんて誰が想像つくだろうか。
わたしは善逸の手をぎゅっと握って帰路に足を向ける。

「……、鈴は何を買ったの?」
「うん、櫛が欲しくて……。さっき壊れちゃったんだ。古いものだったから仕方がないけど、ないと困るから……」
「櫛……」

善逸がわたしの隣に並んで同じように並んで歩く。
だけど、買った物が櫛だと分かると、ふと考え込むように黙り始めた。

「……、善逸?」

気になって声をかけてみれば、善逸はハッと我に戻るように顔をあげて、そしてにんまりと笑った。

「鈴」
「ん?」
「いつか、俺が買うからね、鈴の櫛。だからそれまでは誰にも買わせたり、贈られたりしないでね?」

歯を見せて自信満々にそう言う彼に、わたしはポカンと口を開く。

(櫛を誰にも、買わせ……? 贈られたりってどういう……)

彼の言った言葉を頭の中で繰り返していると、ふと思い出してしまった。
櫛を贈るというのは【苦しい時も死ぬときも、共にあることを誓う】という求婚の誓いであることを。
それを理解した瞬間に思い切り顔に熱が集まっていくのを感じる。
湯気が出そうなくらいに顔が熱くて、わたしは思わず顔を伏せた。

「……ッ、い、ちおう……肝に銘じておきます……」

そうわたしが言うと、善逸の顔は先ほど泣いていたとは思えないくらいに幸せに緩んでいた。

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