甘いもの


本日はバレンタインデー。
胸に秘めた熱い思いを愛しい相手へ伝える日。
それが例えお菓子会社の策略であろうと、沁みついてしまった人類の習慣は簡単に直るようなものでない。

何はともあれ、そう。
今日は世間的にも告白は許される日なのだ。

というわけで、私ことフィル・アイラス。
今年こそはあの方へ告白をしたく、チョコを準備する予定だったのだが……

「おかしい。こんなはずじゃなかった」

数週間前より行われた軍事演習、そして山のように積もった書類の片づけ。
上司であるカーティス大佐の決済が下りなければならず、中途半端な書類では絶対に許されない。
笑顔で「このような書類で片付けようとするなんて、貴方の頭はスライム並みですか?」的な嫌味まで言われそう。
そしてねちねちと説教されることを考えたら、最初から真面目にやった方が良い。
ただ、その書類が溜まりにたまった所為で、執務室から動くことができないのだ。

「演習は分かる。演習は。3日前に終わったんだもの、それから作っても間に合うはずだった。なのに、なんでこんなに書類溜まってるのぉおお!?」
「黙って仕事してください、アイラス少佐。文句が出るほどまだまだ元気でしょうに」
「元気ですけど時間が足りないんですよ! チョコ作る時間は諦めるとして、このままだとお店まで閉まっちゃうじゃないですか!」
「自業自得でしょう? 演習に行く前に片付ければ良かったものもあるんですから」
「ほぼ片付けていきましたよっ! でも、これ……、ほぼピオニー陛下から下りてきてるヤツばっかりですよね!? 陛下がサボってた決済が一気に下りたせいで忙しくなっちゃってるだけですよね!?」

憤りから思わず机を力任せに叩いてしまった。
執務から逃げる陛下など日常茶飯事だが、今回限りは許せぬ。
よりにもよってなぜバレンタイン付近で仕事を片付けたのか。
まさか陛下もチョコレートを求めて……。
いや、それはない。仮にも皇帝がそのようなことをするものか。
……、陛下だから絶対とは言えないけど。

で、そんな陛下の為に大佐まで残業となっているらしい。
私の言葉に大佐は大きく息を吐いては、それは冷ややかに微笑んだ。

「バレンタインなんてものに興味はありませんが、ちょっと陛下にはお灸が必要でしょうねぇ。これからはちゃんと机に向かっていただく為にも、椅子に縛り付けておきましょうか?」

メガネの奥の目が笑っていない。
密かに怒っていらっしゃる。
私は視線を合わせないように、目の前の書類に精を出そうとペンを走らせた。
だけど、先ほどまで冷やかな空気を出していた大佐が、突然空気を変えて明るく笑う。

「でも、そんなに悲しまなくても良いかもしれませんよフィル」
「え? どういう意味です?」
「貴方がチョコを渡したい相手、間違いなくフリングス将軍でしょうが彼の隊は今や演習に行っていていませんから」
「間違いなくそのフリングス将軍ですけど、演習………、はぁ!!!?」

まさかの言葉に書類に落としていた視線を上げて、大佐を二度見してしまった。
目があった大佐は面白いものを見つけたかのように、にんまりと口元が弧を描く。

「軍事演習ですよ。私たちと入れ違いで行かれたみたいですねぇ」
「き、聞いていないですよ!」
「おやぁ? 軍の将校たるもの他の隊のスケジュールぐらい把握していなければいけないでしょう?」
「うぐっ……、それは、そうですが……!」

大佐の正論が私の胸にぐさりと刺さる。
ああ、今日は将軍に会えないのか……。
ということは、将軍も誰にもチョコをもらうことはないということ。
それはそれで有難いが、それはそれで悲しい。

落ち込んだ私のペンが速度を落とし、大佐に怒られたのはまた別の話。









悲しみに明け暮れて夜。
もうお店も殆ど閉まっており、今や開いてるのは酒場だけ。
私は遅めの夕飯と共に、やけ酒を煽っていた。

「うう……、なんで将軍いないのぉ……」

チョコを用意出来たわけではないが、こんな日に会えないのは寂しすぎる。
今年こそチョコを理由に告白出来たかもしれないというのに。
そう考えると思わず涙が込み上げてきた。

カウンターに座って酒場のマスターに軽く絡んでいると、ふいにカランと来客を告げる鐘が鳴った。

「こんばんは……、って、あれ? アイラス少佐?」
「しょ、将軍!?」

声を聴いて驚いて振り向けば、そこには請い求めていた彼がいた。
私は驚きから固まっていると、将軍は自然と私の隣に腰を下ろした。

「こんな時間にどうしたんだい? 珍しいね」
「え、えっと……、その、書類が片付かなくて…。将軍こそどうして?演習中だったんじゃ」
「陛下に先ほど呼ばれて戻ってきたんだ。明日の朝には帰らなきゃいけないけどね」

困ったように笑いながら将軍はそう言うが、私の中では陛下の株がぐぐっと上がった。
ありがとうございます、陛下! 何の用事か知らないけど、昼間心の中で思いっきり罵ってしまってごめんなさいっ!

思わず笑みがこぼれてしまうのをググっと耐えて、私は身嗜みを整えようと指で髪を梳く。
すると、将軍が小さく声を漏らしたのにちらりと視線を向けた。

「そういえば、今日はバレンタインだったね」
「ふぇっ!? は、はいっ! そ、そうですね……」

知っていた。
いや、当たり前なんですけどね!
でも、チョコを結局用意しておらず、私としては出来れば知らないでいてほしかった!
会えたことは嬉しいけど、渡すものが何もないことに私はしょぼんと肩を落としていると将軍が何やらマスターへと声をかける。
二人の会話は耳に届かず、万が一にでも会えた可能性を考えて用意しておくべきだったと今更悔やんでしまう。

(いっそのことチョコ以外の何か。甘いものでも用意出来てたら……)
「フィル、フィルー?」
「あ、は……、え?」

声をかけられて我に戻ると、私の前にはホットココアが置かれていた。
甘い香りと暖かそうな湯気が食欲をそそる。

「……え、えっと、これは……?」

将軍の意図が読めず、私は恐る恐る問いかけると将軍は僅かに頬を赤らめて、片手で口を押えた。

「バレンタインっていうのは、日ごろお世話になっている人に甘いものを贈る日だろう? だから、これは、私からフィルに……、ね?」

そう言ってはにかむように笑う将軍に、私の顔は一気に熱くなった。

甘い甘いココアが、将軍によってもっと甘さを増したようで。
わたしは、このココアをどうにか持って帰れないかと考えながら、唇につけたのだった。





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