俺は謙也さんのことがずっと好きだった。
でもそう想って日々が過ぎていくだけ。俺が想いを伝えることはなかったし、一緒にいられることが幸せで伝えようと思ったことすらなかった。
でも一学年上の謙也さんが先にテニス部を引退して、やがて学校を卒業し、俺より一足早く新たな門出を迎え、2ヶ月余りが過ぎた今…
あの人がこの学校からいなくなってから俺の日常はまるでがらりと変わった。
好きな人が側にいない時間ほどつまらなくて苦しいものはない。
人はこういう時時間が解決すると言うけど、むしろ時が経てば経つほど謙也さんを想う気持ちはどんどんと膨らんでいく。
あぁ…謙也さんに会いたい。でも、もういっそ会えずに苦しい思いをし続けるなら、謙也さんのこと忘れてしまいたい。
薄暗い夕方の自室のベッドに横たわり、瞳を閉じればアホみたいに歯を出して笑った謙也さんが瞼の裏に蘇る。
「…謙也さん…」
ブーーッ
思いが通じたのか、否か。
手に握っていた携帯がバイブしちらりと目を開けて画面を見れば、そこには謙也さんの名前があった。
「!」
俺は慣れた手つきでメッセージを開く。
忍足謙也:よっ!元気しとる?久々に会わへん?
たった一行のデジタル文字に呼吸が止まった。
感じたことのない喜びが腹の底から湧き上がって、携帯を持つ手が震える始末だ。
だって、願望が今現実に変わったのだから。それも、謙也さんから誘ってくれるなんて…。
アカン、こんなん、期待してまうわ。
俺は深呼吸をして脈打つ指先を画面に沿わせメッセージを送った。
財前光:お久しぶりです。まぁぼちぼちっすわ。ほな、日程は謙也さんに合わせますよ
***********
「なんやそれ!相変わらず可愛くないなぁ」
俺は財前から送られてきた無機質なメッセージに唇を尖らせたが、内心はドキドキのワクワクやった。
俺は財前のことが好きや。いつからなのかは忘れた。それくらい前からずっと好きやった。
でも、男が男のこと好きなんて財前はきっと気持ち悪がるやろ?
きっしょ…ってフラれるのがオチやねん。だから俺の気持ちに2年間蓋を閉じたまま、俺は四天宝寺中を卒業した。
でもどうだ。いざ高校に進学してあいつに会わない時間を重ねれば重なるほど、蓋がかたかたと揺れて閉じ込めてた気持ちが今にも溢れ出そうとすんねん。
俺はそれくらい財前のことが今も好きで、なんならもう我慢の限界やった。
そんなわけで財前をデートに誘おうと思ったわけなんやけども…
「俺の都合ええ時って…いや、むしろ今すぐにでも会いたいねんけど!」
でも無理やん!そんなん絶対キモいって言われるやん!
俺はそう一人で叫びながら部屋のベッドに携帯を握りしめたままダイブした。
目を閉じれば脳裏に焼きついた財前のスカした顔が鮮明に蘇る。
いや。やっぱ今すぐにでも会いたい…。
忍足謙也:俺はいつでもええで!なんなら今でも!笑
勢いでタイピングした一行の文章をもう一度読み返す。
うーん。やっぱ『今でも』はマズいか?キショいと思われるやろか…いや、でもそのために保険かけて『笑』とか入れとったし…
わー!どうしようどうしよう!
と両手の親指で画面を高速タップしていたその時だった。
「あぁっ!アカン!」
ミスタッチで送信ボタンが押され、俺が何度も読み返した一文が見事に財前へ送信されてしまった。
「ぬぉぉぉぉっ」
ど、どどどないしよ…やってもた!!俺のアホーーっ!
言葉にならない悲鳴を上げながらベッドにうつ伏せになったまま暴れていると、想像よりもずっと早く携帯が俺を呼んだ。
怖いものを見るように薄目を開けて画面を開く。
財前光:ま、そんなに謙也さんが俺に会いたいなら、ええですけど
「え…ええですけどォォォ!!??」
俺は予想外の返信に携帯を両手で持ちながらベッドの上で立ち上がった。
相変わらずちょっと皮肉臭いが確かに何度読んでもそれは同意を意味している。
俺は携帯に文章を打ち込みながら制服のズボンのポケットにコインケースだけいれて部屋を飛び出した。
**************
「…っ、流石にちょぉ早過ぎたか…」
すっかり日も落ち街灯が学校の裏道を細々と照らす。
やや年季の入った100円自動販売機の横で財前がまだここに来ていないことを確認し、俺はよっこらしょと腰を下ろした。
よぉ部活帰りに財前とここでジュース買って、近くの公園行ってだべってたっけなぁ…
隣に立つ自動販売機の前で一年前の俺が何を飲もうか顎に手を当てて悩んでて、隣で財前がはよぉしてくださいって急かしてる姿が見えるほど、ここには二人でよく来てたなぁ。
今やこんな高校の制服なんか着ちゃって。
なんや自分がエラい大人になったような感覚になるわ。
はぁ、と息を吐いて天を見上げたその時。
「何浸っとるんですか」
「どぉぉわぁっっ!!」
そんな俺を見下ろすようにしていつの間にか財前が目の前に立っていた。
吸い込まれそうなくらい深い黒色の瞳は相変わらずで、久々に見る財前の姿に心臓がどくりと高鳴る。
「び、びっくりするわ!来たんなら来たって言えや!」
「はぁ? なんスか、それ。」
財前は眉間に皺を寄せて首を傾げると俺の隣に並んで錆びれたフェンスにもたれかかった。
「はい。」
「ひゃぁっ!」
「....さっきから謙也さん、オーバーリアクションすぎ。高校行ってついにネジ外れたんとちゃいます」
「や、やって…!急にほっぺに冷たいモン当てられたら人間誰でも悲鳴あげるやろ!」
財前は俺の頬に当てた缶ジュースをほれ、と俺に差し出すと、自分もポッケから同じ缶ジュースを取り出した。
「あ…これ…なついわ!メロンソーダのやつやん!」
「謙也さん、そればっか飲んでましたよね」
ここで。と財前は俺の隣の自販機に目配せする。
せや、いつも迷った時はこればっか飲んでて、財前によく突っ込まれてたっけ。
俺は火照った頬の熱を冷ますようにグビっと喉にそれを流し込んだ。
少し安っぽい甘さが口の中いっぱいに広がる。
「…フっ。謙也さん、相変わらずですわ」
「へ?」
「元気そうでよかったっちゅー意味で。」
「はぁ…」
財前の笑顔…久々に見た。相変わらず生意気やけど、憎らしいほどに整った容姿は心なしか少し大人びていてドキドキしてしまう。
あ、コイツ、身長も少し伸びた気がするわ。
「…謙也さん、それ高校の制服っスか」
「え、あぁ…おん。学校から帰ってそのまま来たから……どや?!似合うか!」
俺はその場に立ち上がり、両手を広げて見せた。
財前は表情一つ変えずに缶ジュースに口つけると面白くなさそうにあぁ、と呟いた。
「なんやねん、その反応。俺、先輩やで?お世辞でも似合っとるって言いなさい」
「いやぁ…謙也さんポロシャツ似合わんなぁと思て」
「財前お前なぁ…」
府内でもトップクラスの学校の制服を身に纏うのは嫌じゃなかったし、ちょっと大人びた感じもして気に入ってたんにコイツは…
俺は小生意気な彼の首にガッと腕を絡めて黒髪頭をわしゃわしゃしてやった。
財前は髪触られるん嫌がるからな。お返しや。
「中3になってちょっとは角削れてきてるかと思ったら!ほんまに変わらんやっちゃなぁ!!」
「ちょ…っ、やめ…触んなや…!」
漆黒の髪が揺れるたびに腕の中でもがく財前の香りがする。
あぁ、せや、この香り。大好きな財前の香りや。
「ほんまに…やめぇ…やっ!」
「!」
思い出に浸かっていたのも束の間、一回り大きくなった財前の身体は俺の腕をうまく交わすとさぁ形勢逆転。
俺の両肩を掴みフェンスへと押しやった。
かしゃん!!と乾いた音が夜の住宅街に響く。
あ、あかん。やりすぎたか…怒らせてもーた…
「ざ、財前…ごめ…堪忍な!あ…はは…あ!財前やっぱ大きくなったなぁ!俺力でお前に負けたのはこれが初めてとちゃうか?」
笑って誤魔化そう。久々に会えたのに、険悪な雰囲気になったらいよいよこれから会ってくれなくなってしまう。
探るように財前の表情を覗いてみると、そこには苦いものでも食べたのか、眉間に皺を寄せる彼の表情が街頭に照らされていた。
「…?財前…?」
「謙也さん、俺…」
俺の両肩を握る大きな手にぐっと力が入ったのが分かった。
「ずっとアンタに会いたかった」
財前の真っ直ぐな言葉に俺の心臓は跳ね上がった。
それを皮切りにどくどくと全身の血管が脈打つ。
「謙也さんが卒業して会えなくなって…それがずっと苦しかった。」
「!」
「せやから、いっそのこと謙也さんのこと忘れようと思ってた。でも、そういう時に限って、アンタは俺に連絡寄越して…」
「財前…お前…」
「こうやって気軽に触ってくる謙也さんが、腹立たしくて…」
「…!」
財前は片手を離すと、それをそっと俺の頭に乗せて、ゆっくりと下ろし耳たぶを撫でた。
そこには俺が高校に入学して初めて開けたピアスがある。
財前を忘れたくなくて、ずっと側に感じていたくて恐怖に打ち勝って開けたそれをそっと撫でられる。
「これ…」
「そ…それはな!」
「謙也さんかピアス開けたとか、聞いてへんのやけど」
それを触る優しい手つきとは裏腹に言葉に棘があるのを俺は感じとっていた。
「どういうこと?」
「……っ」
真相を言えば、それは告白になってしまう。玉砕したらきっともう二度と財前には会われへん。
でも嘘を言えば俺はいつか後悔するかもしれない。
「ねぇ、けんやさ「これは!!!」」
俺はピアスに触れる財前の手をぎゅっと握った。
「これは!!!財前と一緒におりたくて、忘れたくなくて付けたんや!」
「!」
「お前は忘れたかったかも知れへんけどな!俺はお前のこと忘れたいなんて思ったことあらへん!そないに簡単に好きなやつ忘れられるほど俺は…ッ」
俺は軽いやつやないねん
そう言おうとした唇を生暖かくて柔らかいものが制した。
目を見開けば、瞳を閉じた財前が腰に手を回していて…
俺はキス、されている…
実際はほんの数秒だったかも知れない。
でも体感では何十秒もの間、財前の優しい香りに包まれながら俺たちは一つになっていたと思う。
小さなリップ音を立てて離れた財前はふっと笑った。
「ほんまは俺が告白しようと思ってたんに。一歩先をいかれそうやったんで。」
「……ッ」
未だに何が起こったのか頭の中で整理がつかない中、財前は俺の腰からそっと手を離すと今度は頬に両手を添えた。
「謙也さん、大好き。一生忘れへん。」
そしてまた、俺が口を開く前に背丈の伸びた財前は背伸びもせずにそっと俺に口付けた。
End.
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