光謙 | ナノ
『財前!待っとるで!絶対俺の学校来てな!』


俺より一回り小さく見えるラケットバックを持って、謙也さんは歩道橋の上でそう言い、俺に背を向けて歩き出した。
待って...行かんとって...。
そう思って走り出そうとしても、何かが俺の足にまとわりついているかのような感覚に襲われ、なかなか前に進めない。
懸命に逃れるように、離れていく謙也さんに手を伸ばしても─


『謙也さんっっ!!いかな』




ジリリリリリリ!!!




「...っ!」


けたたましい目覚ましの音で、俺は珍しく...いや、初めてぱっちりと目を覚ました。
まるで恐ろしい夢を見た後のようにじっとりと汗をかいていて、呼吸も荒い。
俺は前髪をかきあげて溜息と同時に目覚ましを消し、上半身を壁に預けたまま少しぼーっとしていた。
ふと足に目を落とすと、昨晩腹にかかっていたはずの毛布がすべて足に巻き込まれている。
...俺、マジでベッドの上でも走ってたんや...
道理で前に進まないわけや。
俺は決まり悪く、んー、と唸ってベッドから脱し、身支度を始めた。


「いってらー」
「...。」


兄貴の送りに無言で答えて、いつも通りセーターのポケットに音楽プレイヤーを入れ、イヤホンを付けてお気に入りの曲をかける。
しかし、今日はどうも気が乗らなかった。
─まるで卒業式翌日の朝の部活に行ったような気分。


謙也さんが、いない。


これは中3の俺に訪れた、先輩後輩の関係なら誰にでも起こる自然な現象。
だけど、いつも一緒にいた謙也さんがいなくなったということは、俺にとってはまた、想い人が隣にいなくなってしまったのと同じだった。
先輩なんて、みんな生意気で、後輩なんていいように使われるだけだって。
そんな先入観を初めてぶち壊してくれたのが謙也さんやった。
つかむしろ、端から見たら俺が先輩みたいに見えてもおかしくないくらい、謙也さんは俺を後輩じゃなくて、一人の友達として見てくれていた。
しかも、いざって時─テニスの試合の時なんかは普段とまるで違う、闘争心に駆られた純粋にかっこいい一面を持っていた。
そういうところをずっと見ていて、今まで本気で人を好きになったことなんて一度だってなかったのに。
初恋は先輩後輩の関係で、部活でしか繋がりなくて、しかも同姓の、その、謙也さん、なんて。
最初は病気かとも真面目に考えた。
やけど、これはそんなんじゃない。きっと多分これが初恋や、って。
それに気づいたのが、初めて謙也さんが俺の側から離れたあの時やってん。
もう遅い。
そう思いながら、俺は秋風が吹く心地いい天気の通学路を一人歩いていた。
そうそう。この道も一緒に遅刻や!言うて走ってたっけ。


「...」


あー、あかん、涙、出るかも。
俺は誰もいない通学路で、一人空を見上げた。
丁度俺の視界には高層マンションも、電信柱も何も入らなくて、秋晴れの高い高い空と薄く白い雲だけが俺を包んでいた。


溺れそう。


純粋にそう思った。
多分、あの変な夢のせい。
上下の感覚も分からなくなって、無重力状態に身体がふわふわ浮いて。


「...あほか」


ふと思い浮かんだ隣で笑う謙也を思い描いて、俺は自分を律した。
空におさらばして目の前の交差点で立ち止まる。
なんで今更になって謙也さんのこと思い出すんやろ。
馬鹿やろ。向こうだって、そんなこと知ったら鳥肌もんや、ホモか!言うて走って逃げるだろうに。
だけど、そんなことを考えつつ、どこかで鉢合わせたいと思っているのは確かで。
例えば放課後の駅前の商店街とか。
駅まで行くこの道とかで。
─って、駅、駅言うけど、俺、謙也さんがどの高校行ってるか、知らんわ...。
つまり最寄りの駅が分からん。
親しくやってたわりに、アドレスも交換したけど結果いつからか音信不通やし。
...普通、ほんとに友達って思ってたら、メアド変更とか伝えるやろ。
......あー、ダメだ。掘り下げれば掘り下げる程マイナスのことしか出てこない。
やめよ、やめよ。


「財ー前」


つか、同姓。何度も言うけど同姓。
無理やろ。むくわれるようなもんやない。
てか俺、今世紀最大女々しいわ。


「ざーいぜーん!」


...ダメだ。これ精神科行きやな。謙也さんの声聞こえてきた。
しかもどんどんリアルに近づいてきてる。


「財前っ!」


バタバタと、大げさな足音を立てて、そいつは俺の真後ろで止まり肩を掴み、ぐるりと反転させた。
息を荒らげたそいつの顔は涼しげで、面長で、相変わらずの金髪を風になびかせて─


「...好き。」


どこからともなく流れ出た声と同時に、大阪では有名な高校の制服をまとった奴は、俺の身体をゆっくり引き寄せて、そっと秋空の下でキスをした。





end.




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