光謙 | ナノ
「〜♪」
「......っしゃあ!終わったー!」


市営の小さな図書館に閉館を知らせる音楽が響く。
俺は握っていたシャーペンを開かれたノートに放り投げて大きく伸びをした。
時刻は5時。
秋の風も近づいて日は短くなり、外はかすかなオレンジ色に包まれている。
部活も終わって、徐々に受験モードに移りゆく日常は正直できたもんじゃない。
家からも遠回しに圧力かけられて、こんなんで冬まで保つのだろうか...。
財前。
お前への、気持ちも。


俺はノートとワークを閉じてそれをリュックにしまい、図書館を出る。
部活がないということはつまり、恋人である財前と会う機会がかなり減少するということ。
もちろんテニスができないのも、大きな穴が心にぽっかり空いてしまったようで、虚しい。
俺は気持ちを紛らわせようとして、図書館の窓から差し込んでいた光と同じ色をした空を見上げる。


「財.....前...。」



「はい。」



名前を呼べば、すぐ近くに奴の声が聞こえそうな気がして。
...むしろ、すぐ隣にいるようにすら感じられて.........。


「なんですか。」


あかん。
幻聴や。
まじで財前の声が聞こえるとかほんま俺末期やんな。


「謙也さん。謙也さーん。」


俺ははっとして声のする方に振り返った。
そこには、ツンツンの黒髪に垣間見えるピアスをつけた、愛しい奴が俺を上目遣いで自転車のハンドルを握り立っている。
多分部活帰りなのだろう。
相変わらずだらしなく制服を着こなしている。 


「っ財前!!?」
「呼ばれたんで。」
「は?」
「今、空に俺の名前呼んでたやないですか謙也さん。」
「あっ、あれはっ...!」
「俺まだ死んでませんし。」
「そこかい!」


俺は視線を逸らして頭をぽりぽりと掻きながらボケる財前にツッコミを入れる。
こんな事をするのは、何時ぶりだろうか。
俺たちのこんな些細な日常さえ、今はもう、ない。
そう思うだけで、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。


「謙也さん、悲しいん?」
「へ?」
「悲しいって、顔に書いてあります。」
「...っ」
「謙也さん...。」
「財前...っ」


刹那カッと目の奥が燃えるように熱くなって、一粒の涙がこぼれ落ちそうになったその時、俺はそれを隠すように財前に抱きついた。
財前は自転車を支えているから、両手の自由が効かないのは分かっているけれど、いつものように抱きしめ返してくれない彼がさらに俺の不安をかき立てる。


「謙也さん..」
「嫌っ、嫌や!もう、もう財前と離れとうないっ。ほんま、俺、こんなんで受験乗り切れる気してなくてっ、でもそんなのいけないって分かってる...っ!けどっ!」
「謙也さん...」
「ううっ」


俺は泣いてなんかいないとばかりに証拠を隠滅するようにしてこぼれ落ちた涙を財前の制服にこすりつける。 


「謙也さん...。帰りましょ。家まで...送っていきます。」
「...っ」


予想外の財前の台詞に言葉が詰まる。
財前のことだから、謙也さんの奢りでカフェでも行きましょか、なんて期待していたのに。
そんな俺はやっぱり、まだ子供なんやな...。
顔を上げて財前の顔を真っ直ぐ見つめる。
薄くピンクがかかった唇に鋭い目に浮かぶ揺らぐことがない深い緑色の瞳。
あぁ、そうだ。
俺なんかよりほんとはずっと、コイツの方が大人だったのかもしれない。
俺は言われた通りに財前の後輪部に足をかける。


「じゃ、行きますよ?」
「おんっ」


勢いよく回り出す車輪、どんどん加速していく景色。
俺は財前の肩に手をかけて、ただただ無言でこの貴重すぎる時間を噛みしめる。


「謙也さん。最近どうなんすか?」
「えっ、さ、最近?せやな...ちょお授業も難しくなってきて...って感じやな。」


唐突でらしくない質問に、満更にも思っていない間抜けな台詞が飛んだ。


「後は?」
「あ、あと!?.........部活なくて...その、なんちゅーか、寂し......い。」
「それって、俺と会えなくて、って解釈でええですよね?」
「......ったりまえやろ。」


愚問に何の迷いもなく出た言葉。
こんなこと、現役の俺には絶対言えっこなかった。


「謙也さん...さ。」
「?」


運良く大通りの信号に捕まり、減速、停車。


「俺の方が、辛いですよ。」
「...え?」
「そりゃあ謙也さんかて受験あるし、辛いと思いますけど、いつもいたはずの場所に、いつもの人がいないのって、ほんま悲しいんですよ。」
「財前....。」


向かいの横断歩道の脇に立つ歩行者用の信号機の青が点滅する。
俺の家には、この信号を渡って2分も自転車を漕いでいれば余裕で着いてしまう。


「なのに...!俺の気も知らないで!!いなくなって、辛いとか、ほんまどこまでアホなんですか謙也さんは!」


車がなんとか黄色信号に間に合おうと加速して俺らの横を通り過ぎていく。


「部活前のアップにも謙也さんおらんし、グランド走るときもおらん。ラリーの時も、試合ん時やって、号令かかって集まる時やって、いつもいないやないですか!」
「っごめ...ん」


謝ることなんかじゃないのに、財前の口から出ることはどれも当たり前のことなのに、それなのに、俺の口から唯一出せたのはこの単語だけだった。


「ほんま、アホ!馬鹿!こんな思いするんやったら」


そして、俺らを待ちかまえる信号の色は青に変わった。



「謙也さんと、会わなきゃよかった」



財前は、振り向きもせず、サドルに片足をかけたまま動こうとしない。
ただ、財前の肩に置かれた無気力な手だけが、かすかな振動を感じ取っていた。


「堪忍...」
「...っ」


だんだんと大きく、規則的になっていく財前の肩の震えは、俺の心を絶望と、悲しみに巻き込んでいく。
辛いのは、財前...
お前も一緒やったんやな。


「お互い...辛いねん。」


俺は後ろから財前の小さくなった体を抱きしめた。


「せやから、そんなこと言わんとって...俺かて、高校に進学したらそれこそ全て失ってしまいそうで、恐ろしいんや。新しい場所で、恋しい人もいなくて、怖いねん...」
「............やったら...」
「え?」
「やったら、誓ってください。」
「......は?」
「俺らは、絶対離れないて。どんなに遠くに謙也さんが行っても、心だけはずっと側にいるって。」
「......当たり前や、誓うまでもないわ。」


俺は財前の背中にこつんと頭を当てて誓う。
 ─ずっと、財前の隣におる


「せやったら、今度は財前が誓ってや。」
「?何て?今の誓いなんて、毎日唱えてますけど。」
「......浮気しない...って。」


アホか。なんて声が聞こえた途端一気に自転車が動き出す。
俺は慌てて財前の腹に腕を回した。
信号の青はちょうど点滅している。


「あ、危ないやん!いきなり走り出すとか!殺す気かっちゅーねん!」
「こっちのセリフや!謙也さんほんとアホっすわ!こんなとこでヤりたくないやろ!」
「はぁ!!?」


浮気なんてするドアホちゃいます。
なんて財前が言うから、俺はまた財前にぎゅっと抱きつく。
風にのってふんわりと俺の鼻をくすぐる制汗スプレーの香りが心地良い。
勿論彼はハンドルを握っているんだから俺を抱きしめることなんてできないけれど、今は先程とは打って変わって酷く安心している。
それはきっと、[浮気しない]の言葉じゃなくて、もっと大事なこと。



互いの想いが通じ合ったから。




(心はずっと側に)




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