―――女性が生きていたのは、正に奇跡に等しかった。

マフィア幹部から凄絶な拷問を受け、瀕死に陥った女性は廃棄された倉庫に捨てられ、そのまま死を待つだけだった。何度呼び掛けても反応しない愛娘。待ってて、もう少しでそっちに行けるからね。そう云って、娘の頭を撫でてあげたい。然し、女性にはもう喋る力も、腕を動かす力も残されていない。

瞼が重い。閉じて、迎えが来るのを待とう。向こうの迎えが天使か死神、どっちだろう。天国は無理ね、娘は天国に逝ってほしい。女性の聴覚が小さな足音を拾う。漸く、御迎えが来たようだ。足音は近くなり、ピタリと消えた。近くに気配を感じる。なら、足音の主が目前にいるんだろう。

(早く私を連れてって頂戴…娘だけは、天国に連れて逝ってあげて)

身体に浮遊感。瞼を開ける気力も、喋る気力もない女性は此れが天に召されるというものなのかと一人思うが、実は違う。



「諦めるな。まだ間に合う」



沈み行く意識の途中、聞こえた男性の声の意思の強さと温もりが思考を遮断した。




*******



黄金の草原が風に揺られ、波が音を立てる。女性のお腹に顔を埋めて、黙って話を聞く夏見の白金色の髪を一定のテンポを保って撫でる女性は、如何して自分が生きているかを紡ぐ。



「瀕死の私を救ったのは、武装探偵社。福沢さんが私を見つけていなければ、私はあのまま死んでいた。与謝野先生は私が全快するまでずっと面倒を見てくださった。探偵社の方々には、感謝してもしきれない。
だって、貴女に会えたんだもの。エルヴィア」



夏見が顔を上げたら女性は優しく微笑んで見下ろしていた。



「江戸川さんが死んだ子供は私の娘じゃなく、赤の他人だと云った時は驚いたわ。でも、事実だった。警察に鑑定してもらったら、私と其の子共は血の繋がりは全くない他人だったの。マフィアが用意した貴女の偽物だった。
エルヴィアが生きてると知って、私はずっと貴女を探し続けた。四年間ずっと…。貴女は横浜の何処かに居る。何時か、貴女と会える事を祈って此処で待ってたの。綺麗でしょ?海の近くにこんな草原があるのは、きっと私のせいなの」

「お母さんのせい…?」



女性ー基、母親が語る中沈黙を貫いていた夏見が初めて口を開いた。



「そう。私の異能力のせい」

「…」

「私の異能力は、あらゆるものに生命を吹き込む。元々、此処はただの土地だった。私が幼い頃、無意識に異能力を使って土地に生命を与えてしまったの。そうしたら、立派な草原になって。…此処なら、何時かエルヴィアが来てくれる。そんな気がした。エルヴィア…」

「…」

「ずっと貴女を待っていたわ。…この草原で、貴女と居る事が私の願いだった」



ポタポタと夏見の顔に雫が落ちる。母親の涙。

伊太利亜の母親の手は何時も夏見を叩いていた、口は何時も罵倒雑言しか出てこず、顔は鬼の様に恐ろしかった。

白く、綺麗な手が頬を撫でる。母親の手は、こんなにも温かくて優しいんだ、声は優しいんだ、顔は慈愛に満ち溢れ同じ眼差しが夏見だけを見ていた。


(お母さんの温もり…)


絶対に手に出来ないと思っていたものが今、此処にある。

手放しちゃいけない。母親のお腹に更にきつく抱きついた。娘の甘えを嬉しそうに見つめる。



「エルヴィア、日本に来てからどんな事をしていたか、お母さんに教えて。エルヴィアの話が聞きたいわ」

「…うん。あのね―――」



突如、鳴り響いた銃声。心臓を撃たれた際に飛び散った血が夏見の顔に落ちる。胸を中心に血に染まる白いワンピース。



「お母…さん…?」

「エル…ヴィア……愛してるわ…ずーっと…」



口から血を吐き出しながら紡がれたのは、夏見を生んで抱いた感情そのもの。会えなくても、深い愛情を娘に注ぎ続けた母親は左に倒れた。息はない。あの一言が、母の最後の言葉となった。動揺する夏見の瞳が人を捉えた。母の後ろに居た、母を撃った相手を。

夏見の瞳が限界まで開かれる。如何して、如何して、



「なんで…っ…なんで……如何して……?」



如何して、貴女が殺したの?



「ねえ如何してですか!?

―――太宰さん!!」



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