風の吹く音、波が風によって揺れる音。

自然が出す音しかない、静かな黄金色の草原に夏見は一人居た。

横浜郊外から少し離れた所にある此処は彼女の秘密の場所であり、自分に名前をくれた彼の人と出会った場所でもある。



『ん?迷子か?』

『迷子?ううん、違うよ。歩いてたら此処に辿り着いたの』

『そうか』



世間一般では其れを迷子と云うのだが、少女は自分が迷子になったと気付いてないし、男性も少女が迷子であると確信しなかった。

彼の人に会いたい、会ってお礼を云いたい。

流れ星にどんな願いをする?と聞かれれば、即答でそう云う。

比較的海に近い場所に何故草原があるのか。自分が如何でも良いことには何処までも如何でも良い夏見にしたら疑問にも感じない。

また、風が吹く。草原のど真ん中で寝転がり、空を仰ぎ見る夏見。

青空を見たい、お日様を見たい、生まれた瞬間からマフィアとして生きざるを得なかった夏見にとって、其れは普通であって死を覚悟しないと叶えない望みであった。伊太利亜で唯一人味方だった婆やや婆やの友人の力を借り日本の横浜に来れた。

若しも、まだ伊太利亜に居たら、自分は如何なっていただろう。本当の母親に出会えた?…そんな気がする。

母親…



「私の…お母さん…」



記憶の中にいる一人の女性。顔は知らない。でも、独りぼっちで悲しい時子守唄が何時も聞こえた。日本語で歌っているから、日本の子守唄なのだろう。

何時の記憶かさえも覚えていない朧気な子守唄がどれだけ夏見を助けたか…。瞼を閉じると聞こえる子守唄。



「…」

…………る………よ……


「…」

……まばきた…………る…


「…?」



―――夢…じゃない…?誰かの声がする

身体を起こし、周囲に気を集中させると、確かに、聞こえる、女の人の声。記憶の中でしか知らない子守唄と声。今、現実に聞こえる。

何処?何処?何処に居るの?

其処から立ち上がり、声のする方角へ走った。数メートルもない距離に目当ての人物は居た。

長い黒髪を後ろに束ね、白いワンピースに白いカーディガンを羽織った其の人は、自然の流れに従い流れる川を眺め、歌を歌っていた。

夢の中でしか聞けなかった子守唄。声も同じ。彼女がずっと歌っててくれた人なの?

無意識に歩を進める夏見の瞳から、涙が流れた出た。悲しいのではない、嬉しいのではない、涙が流れる理由が見つからない。

其の人は夏見に気付いた。日本人特有の黒い瞳が夏見の姿を捉え、大きく開かれる。


(何故か分からない。会った事はない。だが、血が囁く。彼の人は、私の―――)



「―――エルヴィアァ…!!」



走って自分の方へ向かい、抱きついてきた夏見を女性は確りと抱き止め、本名を叫んだ。

(血が囁く。私の本名を叫んで、泣いて痛いくらい抱き締めてくれる此の人は―――)




「―――お母さん…っ」



―――私の、本当のお母さん………









「……」



母と娘の再会を橋の上で見下ろす太宰。マフィアだった頃の冷徹な黒瞳が一人の少女に注がれている。外套のポケットにある物を確認し、また二人に意識を移した。



「本当の温もりを知った君は、私を憎むだろう。私を殺したい程に…」



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