ひとりじょうず | ナノ




第四章
   └十九



(薬売りさん…大丈夫かな…)



絹江さんに引っ立てられてから結構な時間が経った。

もうすっかり暗くなった空には、ぽっかりと月が浮かんでいる。




「弥勒くんはもう寝たかなぁ…」



さっきまで一緒にいてくれた彼も、目が利く内に寝床に戻っていった。





「……」


(廓の女の人だったんだ…)



「道理で綺麗な人だと思った…」





がらっ



「…!薬売りさん!」



襖が開いて姿を見せた薬売りさんは、あからさまにぐったりしていた。




「だ、大丈夫ですか…?」

『……………』



薬売りさんは疲れた顔をグッとあげると、衝立を持ち上げて窓辺に向かった。




どんっ!




窓を遮るように衝立を下ろすと、忌々しげに呟く。




『…あの馬鹿烏…』

「っ!!」



地を這う様な声に、思わず身を縮めた。

薬売りさんはふぅっと息を吐くと、私の方へ振り返った。




『…傷に薬を塗ってあげます』

「え…そんな大げさな…」

『塗るんです』



そう言い切ると、薬売りさんは私の手を引いた。




「わ…っ」



薬売りさんの目の前に座らされると、私の心臓は大きく脈打って暴れだした。





(…ち、近い…)



相変わらずの無表情のまま、薬売りさんは塗り薬を取り出した。




『…少し染みますよ』

「い・・・っ」



少し冷たい指先が私の口元に丁寧に薬を塗りこんでいく。




「お、大げさじゃないですか?」

『…痕が残ってもいけないでしょう?それに…』

「…?」



薬売りさんの眉がぴくっと動く。




『気に食わないんですよ、他の誰かに付けられた傷が結の顔にあるのは』

「…………」




たぶん、風邪をひいていた時より私の体は熱い。

でも、薬売りさんはそんな事気にもせずに、丁寧に薬を塗った。




『そう言えば…』

「は、はい…」

『今日は出掛ける前から何だかおかしかったですね』



急な質問に心臓が跳ねる。




「え、あ、そ、そうですか?気のせいですよ!」



薬売りさんは塗り薬の蓋を閉めながら、ふんっと鼻を鳴らした。





(うー…また思い出してしまった…)



私の頭の中を、昨夜の朧気な記憶が駆け巡る。

それに合わせて、頬に熱が集まるのが自分でもわかった。




『あぁ…』



薬売りさんがわざとらしく声を上げた。




『もしかして昨日の口付けの事ですか?』

「うわぁぁああ!!!何しれっと言ってるんですか!!」



狼狽する私をニヤリと見ると、

『ふ…そんな事で様子がおかしかったんですか』

馬鹿にしたように首を振った。




「ちょ…!そんな事!?あぁそうですか!そんな事ですか!!」

『何を興奮してるんです』

「してませんよ!!!」




あぁ、もう…

この人は本当に…




「薬売りさんにとっては…そんな事でしょうけど…私には…は…初めての…」



ごにょごにょと文句を言う私を、薬売りさんは不思議そうに見つめた。





『二回目ですよ?』

「……………はぁ?」



この期に及んで何を言い出すんだか。

全く意味がわからない…




『寝てる間に、水を飲ませるためにしたのが最初です』

「え…」

『だから昨日のはそんなに気にする事は無いでしょう』





何という…




「な、何なの…」

『は?口付けですよ、口づ…』

「わああぁぁ!!!もう連呼しないで下さい!!!」

『喧しいですね』




あぁ、もう…

私はとんでもない人に恋してしまったのかもしれない…





「も、もう寝ます!!おやすみなさい!!!」

『…静かに寝なさい、まったく』

「〜〜〜〜〜〜っ!!!」



布団に潜り込みながら、熱くなった頬を押さえて私は叫びたい衝動を必死に堪えていた。

布団の外では、薬売りさんのくすくす笑う声が響いて、余計悔しいんだか恥ずかしいんだか…





(よ、よくわからないけど、薬売りさんの馬鹿ーーーー!!)



不思議な気持ちを抱えながら、私は布団をぎゅうううっと掴んだ。


― 第四章・了 ―


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