第三章
└十一
いま、襖の向こうはどうなっているんだろう。
開けてしまったら、もっと苦しい思いをするのだろうか。
それとも…
「……もう…!」
ぐじぐじしてたって仕方ない…!
そっと襖に手を掛けると、静かに襖を引いた。
「……………」
部屋の中に、すでに加世さんの姿はなく。
いつもなら、布団があるはずの場所には何もない。
(薬売りさん…)
薬売りさんは窓辺に座って、縁に肘をつきながら目を閉じていた。
居眠りをしているのか、時折揺れる頭。
(…昨日は布団で寝なかったのかな…)
そっと一歩、部屋に足を踏み入れる。
と、同時に薬売りさんの目が静かに開いた。
「…っお、おはようございます…」
『……………』
薬売りさんは、無表情でジッと私を見たまま何も言わない。
怒っている…様には感じなかった。
ただ、いつもよりほんの少しだけ、薬売りさんの瞳が小さな子供のように頼りなく見えた気がした。
『…結』
薬売りさんはゆっくりと私に手招きする。
「は、はい…」
(や、やっぱり…怒ってるよね…)
怖ず怖ずと薬売りさんに近づく。
「あ…っ」
座ろうとした瞬間、薬売りさんは私の手首を掴んで強く引いた。
体勢を崩した私は、そのまま薬売りさんに倒れ込む。
「何す…!?」
『…結』
薬売りさんのくぐもった声が自分の首近くから聞こえる。
(あ、私、薬売りさんに抱きしめられて…る…?)
今の状況を把握するのに、若干時間が掛かった。
薬売りさんは時々私の名前を呼びながら、そして時々私の髪をかき混ぜながら、しばらく抱きしめ続けていた。
「あ、あの、薬売りさん、昨日はごめんなさい…」
私が口を開くと薬売りさんは小さく首を振った。
『…風邪はひかなかったですか?』
「…は、い…っ」
この人が…
薬売りさんが心配しないはず無いんだ…
「…うっ…ひっく…」
見ず知らずの私をこうして傍に置いてくれている薬売りさんが、優しくないはずがない。
「ごめ…なさ…っ」
あんな風に飛び出して、心配掛けない訳ないんだ…
どうしてわからなかったんだろう。
仲間外れな気分になったから?
話について行けなかったから?
…たぶん、どっちも違う。
(…あぁ、そうか…)
私、加世さん自身に嫉妬したんだ。
薬売りさんと仲がいいから…私の知らない薬売りさんを知っているから。
何度も自分で打ち消して誤魔化した。
でも、もう誤魔化しきれない。
(私、きっと薬売りさんの事が……)
――がたんっ
「おい!結を離せ!!」
突然飛び込んできた声に、私達はパッと身を離した。
「み、弥勒くん!」
『……………』
入り口では仁王立ちした弥勒くんが、薬売りさんに向かって怒鳴っていた。
「早く結から手をどけろ、この人攫い!!!」
「えぇ!!な、何言って…」
弥勒くんの言葉の意味がわからないまま、思わず薬売りさんに視線を向ける。
「う………」
(こ、怖っ!!)
いつにも増して不機嫌極まりない表情で、弥勒くんをただ睨んでいた。
『…ちっ』
(ま、また舌打ちしてるし…)
さっきのしおらしい(?)薬売りさんは、幻だったのか。
そして薬売りさんは静かに口を開いた。
『…お前、あの時の烏だろう』
「……!」
薬売りさんの言葉に、弥勒くんがピクリと反応した。
「薬売りさん…弥勒くんの事知ってたんですか?」
私をちらりと見ると、薬売りさんは小さく頷く。
『…知っていますよ。もっとも、人間の姿を見たのは初めてですが、ね』
ニヤリと唇を歪める薬売りさん。
私は、何が何だかわからず…
唯一わかった事と言えば。
(…なんか…不穏な雰囲気…)
睨み合う二人を交互に見ながら、私はこっそり溜め息を吐いた。
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